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平和の哲学

2017年05月05日 | 社会派らぼ
北朝鮮をめぐる情勢が不穏な動きを見せています。ミサイル発射が相次いでいるのはニュースの通りで、その意図がどこにあるのか、彼の国の思惑は私たちの常識を超えていますから、定かではありません。あれよあれよという間に、なんだか一触即発の気配さえ見せています。

国際的な話は「正しい」「正しくない」では測ることができません。たとえ外からはどう見えていても、どの国も自分が「正しい」という理論の上にいるのですから。どの国も、同じ歴史をたどるわけではありません。が、日本がたどって来た歴史を振り返ってみると、北朝鮮という国は「まだ」戦国時代を生きているのかも知れないと思います。隣国から攻め入られないよう知恵を絞り、時には奇襲をかけて不意打ちに戦いを仕掛け、強大な力を手に天下を手にする野望を抱いた時代。もしかするともっと太古の時代、仲間以外のすべてが「敵」で、身を守ることに汲々とした時代。彼の国が生きているのは、キットそういうもっともっと古い歴史の日々なんだろうと想像します。近代の科学文明の利器を知っているからと言って、その時代に至っているとは限らないのです。どうすれば、世の中には「敵」以外が存在する…と言う事を理解してもらえるか、難問が続きます。

ずっと引っかかっている言葉があります。米国副大統領が「平和は力によってのみ初めて達成される」としたもの。北朝鮮がまだはるかな歴史の時代を生きているとしても、米国は「今」の時代にあるはずの国です。が、もしかすると米国すら、力で力を倒す時代を生きているのかも知れません。「軍事核」というものは、大方の人が思っているように、人類が手にしてはいけないモノであったのだと思います。ですから、それに手を染めようとしている彼の国が非難の集中砲火を浴びています。けれど、既に持っている者は良くて、持っていない者は持ってはいけないという論理は、北朝鮮ならずとも何かチョットおかしいのだと思います。

もしかすると、大きな戦争を経験し、もうそんな愚かな戦いは二度と起こしてはならない…と、世界が思っているというのは単なる幻想で、私たちは未だ戦国時代から抜け出せていないのかも知れません。哲学と呼ばれる学問は、かつては人の英知を学ぶ学問であったような気がしますが、今ではなんだか「旧い」理論を学ぶ学問のようなイメージが強くあります。「力」によらない「平和」を実現する哲学が必要です。

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