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言葉を磨く

2017年05月03日 | 社会派らぼ
滋賀県立大学では、課外活動の一環として、宮城県気仙沼市で集荷所を建設する活動を実施し続けて来ているそうです。昨年度3月に発効した学部年報には「苛酷過ぎたこと」「参加学生たちに楽しみを提供できなかったことは失敗だった」との報告が載せられました。これを見た被災者から「学生を楽しませるための活動なのか」との抗議、学生からも「楽しみ目的で参加したわけではない」などの指摘が相次ぎました。大学はチェック体制が不十分だったとし、報告した助教に口頭厳重注意処分を科したというニュースがあり、その後もあちこちで、ボランティアの目的を履き違えるな…と実例に挙げられます。

大学自体が、学生ボランティアを積極的に推進している事には意味があると思われますが、ボランティアの見返りとして何かを設定すること自体は、誤りなのでは無いかと思っています。参加学生の純粋な気持ちは微塵も疑いませんが、それによって「単位認定」されたりする制度そのものには、非常に疑問を感じています。(冒頭の滋賀県立大の例が、学内でどのような扱いであるのかは知るところではありません。)

ただ、この報告を書いた助教が一方的に「不適切」と決めつけられている事には多少の違和感も感じてもいます。要するに…言葉が足りなかっただけでは無いのでしょうか。元々このような「報告」には、玉虫色の言葉が並べられることの方が多く、どんな試みも総括されるときには「有意義であった」といった文字が並ぶことの方に慣れている自分に気づきます。そこに「失敗だった」という文言を残すことの方が異例であるような気がし、ある程度の意思を持って書かれた文だったのではないかと想像するのです。

では助教の本意はどこにあったのか…あくまでも想像です。大学が実施したボランティアを通じ、「ボランティア」という無償の行為から学生たちに誇りや満足感を得て欲しかったと願っていたのではないでしょうか。「次」なる自主的なボランティアへと実を結ばせるためには、彼らの中に「参加した満足感」が残らなければならないと考えたような気がするのです。それが、ただただ疲弊しただけで、2度と止めておこうといった感想に繋がったとしたら、それは失敗だったと。「凄いことをしている」といった間違った自己満足を指しているのではありません。

言葉というのは、そこに強い想いを込める事ができる「道具」です。ただし、込めた想いがそのままの形で、ほかの人にも伝わってくれるか?というと、実はそうではありません。誤解や曲解、そして何よりも言葉の使い方が未熟なせいで、想いが逆に伝わってしまう事も十分にあり得ます。だから、私たちは「言葉」を磨くことを覚えると同時に、他人の言葉を優しく受け取る事も必要なのでは無いかと思います。

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