ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

募金

2017年05月19日 | 社会派らぼ
駅前など人通りの多いところで、募金箱を抱えて、声を出している活動は、決して珍しい光景ではありません。足早に通り過ぎる人も多いわけですが、それらを見ても、活動そのものを一々疑う事はあまりありません。が、きれいごとを掲げて募金を集め、現金を持ち逃げしてしまう「偽者」も後を絶ちません。最近、東南アジア系の人が「アジアのめぐまれなこどものため」と説明を書いたカードを手に、募金を呼び掛けて来るケースが多く報じられています。募金箱を持たず(つまりパッと見ても募金風景に見えない?)、募金活動の許可証と偽って他の書類を見せ、封筒に溜まったお金でジュースを買ったり切符を購入したりする姿がSNSなどで拡散されているようです。

振り込め詐欺や架空請求などの巧妙な詐欺が横行し、事あるごとに警戒感を高める啓発も行われてはいますが、なかなか根絶することはできません。同じく寄付詐欺も、なかなか無くならず、人の善意を手玉に取るやり方が許されて良いはずもありません。そう言えば「〇〇ちゃんを救う会」的な詐欺がニュースになった事もありましたっけ。

元々、資金力を持たない活動が、多くの浄財に活路を求める…というケースは多々見聞きしますが、個人的には違和感を覚えてしまいます。藁をもすがる…思いの人達が多く居て、可能な限り、それぞれの人達が救われて欲しいという思いは、等しく持ち合わせています。そして、命や幸せの量が、持っている資産の大小で明暗を分けていくという現実には、非常な不合理を感じます。かと言って、世の中に募金という形でしか実現できない事が存在すると言う事に、そして募金に頼ればそれが実現していけるかもしれないところに、割り切れなさが残ります。

駅前募金ばかりでなく、「赤い羽根共同募金」といった類のものが、未だに毎年の恒例行事のように繰り返される事にも多少の疑問を感じ始めています。赤い羽根は元々アメリカでの共同募金の象徴だったものを、戦後の混乱期に採用したのが始まりだったとされています。元々のアメリカでは、自主的な募金だったものが、日本では自治体や関係機関などが母体になったまま今に至ります。大体が、本来社会の中で必要とされる分野が、浄財に頼らねばならないという状況は、自治体としてはあるべき姿では無いように思います。もうそろそろ、こうした形の「募金」は止めにしても良いのではないでしょうか。必要なら、キチンと予算化して行って欲しいと思います。

寄付とは…呼びかけるものでなく、本来個人や会社の自由意思で、用途を指定し、キチンとした目的に使われることを条件に成立して、初めて意味がある事のように思います。深い考えも無く、財布から10円やそこらを箱に投じた事で、良いことをしたかのような錯覚に浸ることは、少し違っているのかも知れません。



ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 大学入学共通テスト | トップ | 陳腐なCM »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL