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AIジャッジ

2018年02月11日 | 社会派らぼ
なんだかんだ言いながら、平昌オリンピックが開幕しました。好成績を期待されている選手たちも、五輪という独特の大舞台に緊張し、いまひとつ伸びやかさに欠けているのかも知れません。先陣を切ってメダルを手にし、日本選手団を活気づけたいと各選手が願っているにも関わらず、未だ号砲は鳴りません。

フィギュア団体予選でも、宮原選手の得点が伸び悩みました。演技後にガッツポーズを見せ、満足感を漂わせていたにも関わらず、キスアンドクライでは予想外の低得点に驚いた表情を見せました。

勿論、ジャッジに抗議するといった素振りも見せませんでした。スポーツでは審判が絶対で、抗議は見ていて美しくありません。が、世界中のフィギュアファンからは、ジャッジたちの判定を残念とする声が沸き起こっていると言います。

バンクーバー五輪でフィギュアの審判を務め、その後引退したベルギーのパトリック・イベンス氏は、かつてインタビューで「完璧に公正なジャッジは、10%くらいしかいない」といった意味の事を話されたことがあります。ジャッジは匿名で行われはしますが、自分の国のスケーターを守るための愛国的偏向はあるというのです。それでも、選手は異を唱えないのがマナーでもあります。

そうなって来ると、AIにジャッジをさせる…という話が現実味を帯びてきます。将来AIにとって代わられる職業…のリストに、多くの職業が名を連ねました。AIで可能だから…という理由で、人間の仕事をAIに明け渡すべきではないと私は思っています。AIというのは、人間にとって代わるものでは無く、人間をサポートするものでなければならないからです。

フィギュアのジャッジが可能なプログラムが開発されたとして、だから人間の審判が不要かというと、そうではないはずなのです。ただ、参考点としてAIが客観的に審判することは、もしかしたら有益かも知れないと思うようになりました。AIとあまりにかけ離れた得点を出すジャッジがその場でチェックできれば、パトリック氏が言うような「公正なジャッジは10%しかいない」という現状を変えられるかも知れません。

今回の平昌オリンピックは、あまりにもスポーツが政治に利用されることを端的に示す例となりました。選手たちは、全身全霊をかけて、この4年間、練習に打ち込んで来たはずです。選手たちの練習成果が本番で遺憾なく発揮できますように。誰もが納得できる五輪だったと、後から振り返ることができますように。

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3Dオブジェクトというフォルダーが増えているのですが、何でしょうか。

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