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マッカーサー・ノート第2項の背景 戦後初期における米国の安全保障政策の転回と9条

2015年12月21日 | 研究会報告
マッカーサー・ノート第2項の背景
戦後初期における米国の安全保障政策の転回と9条

報告者 三輪 隆

[1]9条起源に関する従来説の問題点

1.合作説:内容は幣原発案、決断・規定はマッカーサー。
1.24会談の会話内容:後知恵の説明のみで本人の言明なし
1) 幣原発案の難点
戦争放棄はあっても非武装の主張はない。
幣原主張の一貫性のなさ:「松本4原則」承認、1.29閣議発言の弱さ;2.21マッカーサー会談での弱音
→ 幣原の主張は天皇制存続のための戦術的平和論
*日本支配層の非武装化受容論:早期和平構想、裕仁自身の「平和」主張(9.488帝議開会式勅語、9.15記者会見・NYT報道、9.17マッカーサー訪問)、軍の有力者(酒井鎬次、石原莞爾、吉積正雄)など素地があった
security by disarmament=assurance : defensive realism
2) マッカーサー決定動機:天皇制存続バーター論の難点
古関説:3.6勅語との前後関係(時間逆転が問題ないとしても、これは憲法改革全体に対応する説明にはなり得ても、9条のみに対応する説明にはならない)
45.10.から46.1~2:天皇制めぐる問題状況がより深刻化したとは言えない:
・ 9.18上院の裕仁戦犯訴追要求決議、SWNCC55/3(10.6)証拠収集指示;オーストラリア政府、国民党政府の訴追論
・ 12.21&28 改革終了アピール、1.19 FE裁判所憲章(元首非免責条項の不在)、SCAPによる検察任命(起訴権限の掌握)、1.25「恐喝」電報

* 憲法改革を日本指導層に委ねることで「自由に表明された人民の意思」による天皇制存続が計られていた: 裕仁自身の平和アピール ⇒ 指導層(近衛・幣原)への改憲作業付託[天皇制批判の民衆運動の関与を遮断]

非武装化は、戦後政策の最高目標である(対日)安全保障に関わる問題
これを天皇制度の存否選択を補強施策(より下位の政策課題)と想定することは無理
戦争終結時・戦後の重要問題:戦争放棄一般ではなく非武装化にこそ着目すべき
9条:非武装規定 → 安全保障問題 ⇒ 対日非武装化条約

2.仮説:対日非武装化条約提案を無意味にするために
-1)第2項と対日非武装化条約案との内容の対応;対外的な表現
-2)2.3ノートにおける第2項の比重と詳細さ
GS作業:規範性の確保、幹部が担当(天皇条項は若手)
-3)ハリマン/マッカーサー 2.1会談
* W.Averell HARRIMAN:43.10-46.1 駐ソ大使、対ソ交渉の中心
 外交経験ないトルーマン大統領とバーンズ国務長官に助言・勧告的要請・内面指導
-4)マッカーサーの動機:占領統治(独占)実績作り+ソ連関与の排除
⇒ 48 大統領選出馬

[2]非武装化条約提案の背景と狙い

1. 提案の背景:米国の対ソ政策の転換

連合国・国連=集団安保体制立ち上げ、勢力圏・経済ブロック復活阻止
43段階の国務省の不安:ハリマン
 赤軍進出による東欧のソ連勢力圏化、疲弊した英国では大陸勢力圏再分割に対応不能
44夏:ワルシャワ蜂起の放置
45.2 ヤルタ会談:ポーランド政府問題、東欧;対日戦へのソ連参戦
FDRの瞞着政策:戦時協力のための自由選挙、人民自決・信託統治;門戸開放の先送り
ドイツ分割問題:占領地域、賠償問題(西側負担の回避・軽減)
戦後初期における米ソ大連合の修正:
 勢力圏の事実上の相互容認 + 欧州正面における軍事的東西対決の回避

2. 条約提案の浮上

-1)Vandenberg 1.10演説
FDRの瞞着政策への懐疑
孤立主義者・対ソ対抗派の転換:上院などの反対派の同意
米ソ対決の回避へ
-2)ポツダム会議準備と国務省の検討 45.6.
ソ連側の脅威感の縮減 → よりリベラルな政策へ(特に東欧での)
欧州における英ソの勢力圏対抗の回避
勢力均衡ではなく集団安全保障(→ 憲章12章問題)
-3)ポツダム会議
動員解除・撤兵の国内圧力
ドイツ占領管理:賠償問題、占領地域の経済的分割への傾斜
政治的一体性の維持・対立回避
門戸開放政策・国内世論とのきしみ:上院などの抵抗

ドイツ非武装化:米ソの連携と対決を越えた共通課題

-4)ロンドン外相会議 9.20打診
東欧の門戸開放・占領管理
* 非武装化条約提案に対するスターリンの分析:①ソ連の注意を極東から逸らす、②欧州でのソ連との対等⇒指導的役割確保、③東欧諸国とソ連との同盟の無効化
「対日非武装化条約も提案させよ;同時にでなければ調印しない」
極東での権益保障とのリンク:対日ACCモロトフ提起 9.22/24
米国の占領独占 vs. 英ソの異議 → 日本占領管理体制の修正へ

-5)バーンズの方針転換と条約提案
10.24・25 Gagli 会談:米国の単独占領、しかし内政について管理委員会を
(ルーマニア、ハンガリー方式で)
占領軍構成問題
* 国務省:欧州正面のための日本占領での妥協
「日本憲法構造の根本的変更、、、日本統治の全体としての変更にかかわる」米国政府の対SCAP指令に対するFECの事前同意権
12.24.再打診 ⇒ 国務省条約案策定作業開始

[3]2月1日マッカーサー・ハリマン会談と決断

1.ハリマンの帰国:アバダン、カラチ、ニューデリー、重慶、上海経由で東京
各地で今後の対ソ関係の情報収集と意見交換

2.会談内容:満州のソ連
ハリマンはソ連の進出を警告
HarrimanはMacArthurの勧めで朝鮮視察;当時の朝鮮は米ソ対峙の不安定な状況
ソ連との対峙の意味・現状把握を試みた:バーンズ国務省の米ソ共同モデルは幻想と確認
「駐ソ大使退任後は朝鮮担当になって戻ってくれ」

推論: a) 条約案はこの時点での対ソ関係の主要論点であり、またハリマンはバーンズの対ソ交渉に批判的であったので、両者の間で情報・意見交換がなされなかったはずはない(ケーディスの大森への証言)
b) 両者は、対ソ対抗で一致「意気投合」対ソ対決への転換が必要との判断で一致した
c) そうした判断の一致からは、非武装化条約案は退けられるべきものでしかない。

3.ハリマンとの会談でノート第2項が入った:この時点でMacArthurは非武装化条約案を知り、対ソ対決の必要 &/or それが彼の政治的野心と対立するものであることを認識し、決断


【4】非武装化条約案・その後

1. 対独非武装化条約案の挫折
占領地域の経済的分断

1)パリ外相会議
政治的分断→勢力圏復活の阻止
46.4.正式提案

2)ソ連共産党政治局の警戒
査察への警戒

2. 対日講和の初期構想

1)47.5~8.国務省第1次案への継承

2)オーストラリア、NZ
9条維持を講和条約に明記せよ
日本非武装化を監視する「太平洋協定」構想

3) 政策計画局の異論:
非武装化は講和条約で、
講和後の日本監視へのソ連関与は民主化、米国利害確保を阻害

4)軍部の反対
講和後も基地を維持

主な資料と参考文献

Foreign Relations of the United States,
1945, vol.II, VI, XII
1946, vol.II, VIII,
Gaddis(1972), John Lewis, The United States and the Origins of the Cold War, 1941-1947.
Harriman,W.Averell & Abel,Elie(1975), Special Envoy to Churchill and Stalin, 1946-1946.

豊下楢彦(1992)『日本占領管理体制の成立 比較占領史序説』
柴山太(2010)『日本再軍備への道』
ポポヴィチ, エドアルド(2004)「日本占領管理機構の形成とソ連」環日本海研究年報、第11号
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