~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

大嶽山那賀都神社(山梨市三富)

2017-07-12 17:53:22 | ・神社・お寺

2017.7 牧丘でキャンプを楽しんだ翌日に、キャンプを楽しんだ皆さんと大嶽山那賀都神社(山梨市三富)へ詣でました。

2011.11、2013.10に続いて三回目の参拝です。

上空から見る(グーグルマップ)と、神社は、笛吹川にあちこちから川が集まっている辺りに位置していますね。

参道入り口の宮司像

社殿の大造営があった明治時代の宮司像で、参道の入口に立ち、参詣者の安全を見守ってくれます。神社HPより。

参道には、たくさんの小さな奉納旗がありました。

講碑 自然風化と思われる花崗岩に「亀戸開運講」の文字と葉団扇の神紋

参道脇に「行ノ道」(上級)・・・・いや~かなりの勾配ですが、ここを登るんですかね^^;

参道の上り坂が終わるころ、植林も無くなり神域といった空気に包まれます。

不動明王

不動明王への信仰は神仏習合、修験道ですね。

亀の手水舎

龍が多いですけどね。調べたらウサギ、カエルなどもあるそうです。亀戸天神の手水舎は、 もちろん亀。 講社と関係ある・・・?

神社境内の中には皮が剥ぎ取られたいるヒノキが沢山ありました。色合いがとても綺麗です。
ヒノキの外樹皮は檜皮葺の屋根材料として使用されるようですよ。

「渡辺いそ」霊が祀られていました。予想通り霊能を持たれた氏子さんだったそうです。他にも何人か(何人も)の霊能者が
おられたそうです。

参道左側で穏やかなお顔の天狗様(神の使い)が迎えてくれていました。

再び川を渡ると、いよいよ随神門です。

巨大な剣ですねー。

随神門

いや~、三度目ですが、スゴイ迫力です。

寺院の山門に当るりますが、神社では隋身門(隋神門)と称し、通常両サイドに右大臣・左大臣を配しています。当社では、
大天狗・小天狗が立っています。神社hpより。

隋神門のカラス天狗(左側)

小天狗・右手の剣で邪気を祓い、胸の薬袋で病人を救うとされています。神社hpより。

険しい眼力で睨んでいました。私の邪気を見通されたのかも。

隋神門の天狗

大天狗・左手の炎で邪気を清め、右手の神通力の羽団扇(はうちわ)は願望を成就へ導くと云われています。神社hpより。

門をくぐると・・・

手水舎にこんなに大きな鏡がある神社はあまりありません。「素の心となる如く清めよ」ですね。

神楽殿

昭和38年復興(昭和25年水害で流出)大祭には軽やかなリズムで神楽が奉納されます。神社hpより。

立派な神楽殿です。ここでお神楽かあ・・・・見てみたいですね。

急な階段を上ると拝殿です。

拝殿

此の拝殿は大嶽山の中腹に在ります。
今から60年程前までは「女人堂(下拝殿)」と称し、此れより上の本殿は女人禁制とされていました。神社hpより。

御祭神

・大山祇神(おおやまつみのかみ)
・大雷神(おおいかずちのかみ)
・高オカミの神(たかおかみのかみ)

大祓式にオカリナ♪ 素敵でしょうね~♪ 行ってみようかなあ。。。

年に二回、六月三十日と十二月三十一日に全国の神社で行われる神事だが、六月の祓いは特に盛大で「夏越の祓い」として
古歌にも詠まれている。当社では、地理的条件から此の時期に行っている。深山幽谷ゆえ涼風は下界の暑さを忘れさせる。
神社hpより。

いつの頃でしょうか?修験道の空気満載です。

この地図、とても分かり易いです^^

大嶽山那賀都神社の奥宮は国師ヶ岳天狗尾根(標高2159m)にあるそうですよ。


拝殿裏を散策しました。この奥に本殿がありますが、今回は詣でられませんでした。

オダマキが綺麗でした。

「ツルマンネングサ」で良いのかな?

う~ん・・・分からない・・・植えられたシュウメイギクかなあ??

日向社
う~む・・・日向山信仰・・かなあ?

こちらにも不動明王

神社hpによると、

・人皇十二代景行天皇の御代、日本武尊 東夷御征定の砌、甲武信の国境を越えさせ給う時神助を蒙り、神恩奉謝の印として
 国司ヶ岳の天狗尾根に佩剣を留め置き三神を斎【いつ】き祀る。(現・奥宮)


・第四十代天武天皇の御代、役行者小角 当山(現・社地)の霊験なるを以て修験道場として開山、不思議にも昼夜連日鳴動
 して止まず、以来当山を「大嶽山鳴渡【なると】ヶ崎」と呼ぶ。

・第四十四代元正天皇養老元丁巳【ひのとみ】年(717年)三月十八日奥宮より遷座す。

・天平七年行基、観世音像(昭和二十五年流失)を刻し、『赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留【なる】神のみゐづや高く 那賀都とは
 祈る』との神歌を奉じ、是より当社を「那賀都神社」と称したと伝えられる。又、養老元年最澄、天長八年空海相次いで
 来たり、清浄ヶ滝・座禅岩、下流川浦に絵書石等の行跡を残す。


・江戸初期大破に及ぶ事有り小祠となるが、元文五庚申年再建の為、羽黒派修験東叡山支配となり社殿残らず建立す。

・今の本殿は嘉永三年着工、明治十年竣工、他社殿神楽殿は同三十五年(流失昭和三十六年復興)・随神門同三十七年竣工、
 何れも甲府三日町の名医 喜多島宗甫氏の奉納。


・彫刻は都留市谷村の名匠 福田俊秀氏が当社に半生を篭もり手掛けた秀作。拝殿は同四十三年再建。

・明治六年村社に列せられ、昭和五十七年本殿が旧三富村文化財に指定。


こちらによると、大嶽山鳴渡【なると】ヶ崎→那留【なる】神→那賀都神社となったようですね。

ジャンル:
ウェブログ
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 八幡社(山梨市牧丘町北原生捕) | トップ | 神戸 SONE♪ »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (よしりん)
2017-07-13 21:30:55
これはまた風情が有りますねぇ(^^♪
行ってみたいです、見所満載ですね。

こんな場所だと、不思議感覚がビンビン来そうです。
Unknown (よしりんさんへ)
2017-07-14 15:48:47
お~!
やはり、そう思われますか?
まさに「霊験あらたか」ですよね。
少し瞑想したんですよ。
そこで、少し不思議なことが起こりました^^

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む