林住期 LE TROISIEME ETAPE DE LA VIE SELON BOUDDHISME


本屋に入ると、五木寛之著 「林住期」 が積まれている。その言葉には昨年末、山折哲雄著 「ブッダは、なぜ子を捨てたか」 を読んだ時に強く反応し、このブログでも取り上げている。

  2006-12-18 ブッダと子捨て 
  2006-12-19 ブッダと子捨て (II)

その時は完全に自分に重ねて読んでいた。そこから関連部分を転載したい。

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・・・ブッダの人生を次の三期に分けて考える。紀元前5世紀の誕生から結婚し家を出る前後までの 「シッダールタ (悉達多:しつだつた)」、家を出てブダガヤで悟りを開くまでの 「シャカ (釈迦、釈迦牟尼)」、悟りを開いて以降の 「ブッダ (仏陀)」 である。 

当時のインドではヒンドゥー教が力を持っていた。その教えなかに人生の理想的なあり方を四期に分ける考え方があった。「四住期」という。すなわち、
 第一住期は、師について勉学に励み、禁欲生活を送る 「学生期(がくしょうき)」、
 第二住期は、結婚し、子供をつくり、神々を祀って家の職業に従事する 「家住期」、
 第三住期は、妻子を養い家が安定した段階で家長が一時的に家を出て、これまで果たすことのできなかった夢を実行する 「林住期」、
 そして最後は、ほんの一握りの人が到達できるステージで、彼らは家族のもとには帰らず、たった一人で遊行者の生活を送り、聖者への道を目指す 「遊行期 (ゆうぎょうき)」 あるいは 「遁世期 (とんぜいき)」 と言われる。

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「林住期」とは、自由な時間と生活を求めて一時的に妻子、家を捨ててひとり遍歴の旅に出るもので、一人瞑想してもよし、巡礼の生活を楽しんでもよし、宗教や芸術の仲間との交遊に使ってもよい。この時期にシャカは再び「家住期」に戻るべきか、「遊行期」に進むべきか悩んでいたのではないかという。心を酔わせる自由と家を捨てる良心の呵責の間で悩み、そして決断した時期がシャカの人生にとってきわめて重要だったのではないかという。このことは同時に、父スッドーダナ(浄飯王:じようぼんのう)を捨て、継母マハーパジャーパティ(摩訶波闍波堤:まかはじやはだい)を捨てたことになる。血縁のわずらわしさからの逃避をも意味していたかもしれない。仏教の歴史には、脱血縁の思想が見られると山折氏は言う。

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「林住期」 において、人間の世俗的な欲望を制御しようと努めていたはずだが、究極的には 「自己を捨てる」ということにつながることであった。その旅のなかで家族という血縁を捨て、村という地縁を捨てていったのだが、そのはじめの行為が子を捨てるということではなかったのか。異文化のなかを自分の足と眼だけで遍歴し、自分との絶え間ない会話をしながらブダガヤでの悟りに辿りついた。その思考過程から、「縁起」の理、「四諦八正(聖)道」 (したいはつしょうどう)、輪廻、五蘊(色・受・想・行・識)などが結晶する。

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丁度、パリ行きの機内で読んだので、向こうの何人かの友人に仏教における理想的な人生の送り方と 「林住期」 という時期の存在について話していた。今ネットで調べて見ると、いくつかの本が見つかったが、以前には全く目が行かなかったものである。

  桐島洋子著 「林住期を愉しむ ― 水のように風のように」 (1998)
   桐島氏は早くから林住期について気付いていたようで、1989年には本を出している。
   また、ご自身のブログを 「林住期通信」 とまで名づけている。
  山折哲雄編著 「『「林住期』 を生きる ― 仕事や家を離れて第三のライフステージへ」 (2000)

ただ、これらの本を読もうという気にはならない。この時期の意味は自ら考えるものだろうから。

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コメント
 
 
 
Unknown (Nao)
2007-03-05 18:05:09
山折哲雄氏は第三の林住期について「家族生活の縁を保ちながら、しかも聖なる脱俗の生活へと徐徐に接近して行こうとする段階で」「そこに特徴的にみられるのは、聖俗の断絶、死と再生といつた二分法的な考え方ではなくて、俗と聖の接続、一つの生からもう一つの生への段階的な昇華、もしくは自然成長的な超越、といつた考え方である」(「四住期の論理と四諦の論理」現代思想(臨時増刊 総特集ブツダ)」1977,208−216p
と述べられ河合隼雄氏はこれを卓見である、と述べしたがつて、「林住期は相当なアンビバレンツに耐えてゆく力を持たないと、通り抜けてゆくのが困難な時期であり、「身心的成長の難所」であるということができる。」といつておPられます。「この四住期的生き方こそ、人間の『自然』に根ざしているともいえる。われわれ現代人の方がはるかに無理をしていきているのではなかろうか。無理をして生きた分だけ、われわれは老いることや死ぬことにも、相当な無理を強いられるのではなかろうか」岩波講座 精神の科学6ライフサイクル 1983.
昔の河合氏の文章ですが、生き生きしていますので、ご紹介させていただきました。いつも不思議におもうのですが、じゃあ・・女性のライフサイクルつて、どうなるの?ということです。すてられた女、子どものライフサイクルも男は考えにいれていたのでしょうか?
 
 
 
四住期 (paul-ailleurs)
2007-03-06 04:59:20
人の一生をどのように捉えるのか、これは人さまざまでしょうが、その中で四住期という考え方、生き方は一つの魅力的なものだと思います。この時期についての引用ありがとうございます。私の中で少し陰影が加わったように感じます。最近は大量の定年が迫っているのでこういう話がビジネスになるのか、語られることが多くなっているようです。人は何かの終わりが見えると考えざるを得なくなる生き物なのか、模索が始るのかもしれません。一つの終わりは新しい始まりを意味しますので、林住期的な生き方は大きな挑戦ではありますが、それまでの囚われから解放されて全く新しい自分を発見できるような気がしています。私自身は積極的に林住期を見たいと考えています。ところで四住期における女性の位置ですが、確かにはっきりしないようです。無責任かもしれませんが、女性の宗教家が出なければ駄目なのかもしれません。

 
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