フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ
J'OBSERVE DONC JE SUIS
フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE
一目を失い千眼を得る PERDRE UN OEIL, OBTENIR DES MILLE YEUX

時差ぼけのためか、ソファでうとうとしていた。目が覚めたところでテレビに目をやると、五木寛之がアメリカを訪ねて仏教を見直すという番組が流れている。丁度その時、コロンビア大学教授が話をしている。彼は若き日に事故で片目を失い絶望の淵に叩き落される。その時、世界を放浪しなければならないという思いで旅に出る。チベットで僧に出会い、仏教を知るようになり平穏、幸福を感じる。驚いたことに10ヶ月後にはチベット語が話せるようになり、それから仏教の勉強を始めた。現在は仏教を通して真理とは何かを追求している。この間の経緯を先生に話したところ、「あなたは目をひとつ失ったかわりに、千個の新しい眼をもらいましたね」 という言葉が返ってきたという。彼はこう続けていた。「もし片目を失っていなければ、ぼんやりとした人生を送る平凡なアメリカ人だっただろう」 と。
このエピソードに強く反応していた。まるでこの話を聞くために眼を覚ましたかのようである。何かを契機にその後の人生が大きく変わるということが確かに起こりうる。ほとんどの人はこれほど大きな事件に出くわさないのだろうが、眼を凝らしているとそれが見えることがあるのかもしれない。
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ポールさまと謎髭さまとは、やはり同一人物だつたんですね。写真をみくらべて、どうなんかなあ・・とかんがえておりました。私は58歳くらいから、まじめに仏語の勉強しはじめて、もう10年以上になりますが、夫の介護を5年。すつかり、だめになり、またこの年でまじめにやりはじめようと、かんがえております。フランス在住31年の竹下節子先生のサイトにもご訪問くださいませ。随分勉強させていただうております。「竹下節子」でサイトがでてきます。仏語の質問箱はとてもありがたいです。私もときどき、おしゃべりルームに訪問いたします。ありがとうございました。
私も最近は事のつながりを考えることが多くなっています。それは考えるための材料が増えてきたということで、とりもなおさず時間の経過を意味しています。つながりを見つけてその意味を探るということは、年輪を重ねることの楽しみのひとつのような気がしてきています。私のフランス語での経験から、4−5年という単位で見たほうが気が楽になるように思っています。
コメントありがとうございます。paul-ailleurs は謎髭様のような歌の才はなく、いつもうらやましく思っている者で、残念ながら全くの別人物ですがよろしくお願いいたします。物事を始めるのに遅いということはない、ということは聞いていましたが、最近それは確信にも変わりつつあります。これからはそれしかないように思います。それから、竹下節子様のサイトを紹介していただきありがとうございます。これから訪問してみようと思います。
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