お昼のバスで DANS UN AUTOBUS


バス停に向かう。バスが発車しそうだ。こういう時、運命論者を決め込んでいる私としては、成り行きに任せる。もし乗れなかったら、そこに何かの意味があるのだろうと暇な時は考える。それは取りも直さず、その後の出来事を観察することである。でもたまには何も考えずに、間に合おうとしてみてはどうかと思い、久しぶりに軽く走る。そう思うと気持ちが軽ろやかになる。軽やかにならないのは、体であった。とにかく体が重く感じられ、ステップが弾まないのだ。筋肉がなくなり、弾力性のない線維しか足に残っていないという印象である。知らない間に、想像以上に体力が落ちている。

そのバスには間に合い乗り込むと、ご老人が多いのに驚く。ほとんどがそうなのである。やや憂鬱になる。電車では余り気付かなかったが、お昼のバスでこの世の今を垣間見た思いであった。この傾向はこれから益々強くなるのだろう。

と、ここまで書いて、はたと気が付いた。息を切らして乗り込んだその人も彼らから同じ思いで見られていなかったのか、と。以前よりは自分が見えるようになっているつもりであったが、自分はさておいて、という傾向はなかなか直らない。

今読んでいる Lewis Wolpert の "Six Impossible Things before Breakfast" に面白い話が出ていた。

「大多数の人は、自分は他の人より知性があり、公正な判断力を持っていると思っている」
「アメリカの高校3年生の70%は、自分にはリーダーの資質があり、わずかに2%しか他の人より劣ると思っていない」
「大学教授の94%は、同僚より優れていると考えている」
「アメリカの白人の44%は、他の白人より黒人差別意識が少ないと考えている」

自分のことは、見えないものである。

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コメント
 
 
 
Unknown (さなえ)
2007-02-05 22:07:07
翻訳の話ですが、自分と同じくらいと思ったときには相手が上、自分よりちょっとうまいと思ったらはるかにうまい、自分より下手だと思うレベルが自分のレベルだそうなんです。自分を客観視するのは辛いなあと思うのです。
 
 
 
Unknown (paul-ailleurs)
2007-02-06 00:34:40
今回の統計には人間というものがよく現れていると思い、引用してみました。翻訳でのお話もそれと同列にあるもののような気がして読んでいました。横との比較ではなく、遠く(昔の人や比べることもおこがましいような人)との比較をする方が、精神的にも実質的にもよい効果を及ぼしてくれるように感じています。少なくともそのように努めるようにしています。
 
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