フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ
J'OBSERVE DONC JE SUIS
フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE
三重にて A MIE

昨日の夜、会議のため三重に到着。夜、T氏、M氏、O氏と会食。それぞれのこれからや会のこれからなど話が尽きなかった。今日から2日間は会議。初日の今日、私も話をさせていただく。会に功労したとのことでその機会が与えられた。話の最後のところで最近考えていること、このブログでも触れていること、つまり科学の中でどうやればよいのかということではなく、科学を外から見た時に見えてくるものを中心に話をする。これが意外に多くの人の心を捉えたように感じると同時に、このような視点で話をする科学者がほとんどいないのではないかという思いに至る。会の後の懇親会では、同年代の方のみならず若い人も問題意識を持って話しかけてきていた。彼らとの話の中で、いずれ科学精神、大きく言えば人生をいかに生きるべきかということについて、私の経験から得られたことをまだ専門家になっていない若い世代 (小学校、中学校、高校、大学の学生) に話をしてみたいという欲求の芽生えを感じていた。こういう会でいろいろな方に会うことがなければ、そのような変化は生まれなかっただろう。
実は、その前日不思議を感じる出会いがあった。それは乗り換えの名古屋駅で新書を手にとった時、そこにはどのように講演をすればよいのかということが語られていたのである。その本は堀田凱樹 、酒井邦嘉著 「遺伝子・脳・言語」。その中にデルブリュックの教えというのが紹介されている。
1)聴衆は完全に無知であると思え。
2)聴衆は高度な知性をもつと考えよ。
この教えを、専門知識が必要ないように基本から始めながら、高度なレベルにも至るように工夫しなさいと解釈し、堀田氏はさらに次のように改変している。
1)聴衆は完全に無知であると思え。
2)聴衆の知性は千差万別であると思え。
3)聴衆がおのおの自身 (各自のレヴェル) より一段上のレヴェルまで理解できるようにせよ。
べらべらと話す癖がついている身としては、どのように話したら相手に言いたいことを伝えることができるのかということについて考えを巡らさざるを得なくなっていた。
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