八国山だより

ノーサイレントマジョリティ!ごまめの歯ぎしりといえど、おかしいと思うことはおかしいと自分の意思を発信しなければ

原爆慰霊碑の前で行われるセレモニーの軽さとゲバラが献花した重さ

2022-08-07 04:34:53 | 社会
櫻井ジャーナル 原爆慰霊碑の前で行われるセレモニーの軽さとゲバラが献花した重さ
より一部を引用・転載  *太字は当ブログ筆者による

 その広島を1959年7月25日(あるいは26日)に訪問、原爆慰霊碑に献花して原爆資料館を見学、県知事と懇談した人物がいる。使節団の団長として日本を訪問していたエルネスト・チェ・ゲバラだ。7月15日から27日まで滞在したが、日本政府からは冷遇されたという。

 その日本政府から完成して間もない千鳥ケ淵戦没者墓苑への献花を持ちかけられたが、アジア侵略の手先になった兵士のために建設された墓苑に行くことをゲバラは拒否、大阪を訪れた際、日本政府による監視の目を掻い潜って広島を訪れたようだ。広島でゲバラは原爆慰霊碑などを写真に撮っている。

 そうしたこともあり、キューバでは学校で広島や長崎に落とされた原爆について詳しく教えているようで、日本人よりキューバ人はその事実を知っているという。

 毎年、原爆が落とされた背景や目的、そして犠牲者の実態を掘り下げることなく、当たり障りのない演出のセレモニーを仰々しく行うだけでは原爆投下地点が観光地化するのは必然だろう

米国の命令に従って破滅の危機に直面して抵抗を始めたEU諸国を怒るウクライナ

2022-07-13 05:00:29 | 社会
櫻井ジャーナル米国の命令に従って破滅の危機に直面して抵抗を始めたEU諸国を怒るウクライナ より抜粋、引用転載

 *太字および青字はブログ著者による

 政権を取る前からナチスをウォール街の住人たちは資金面から支援、ドイツ軍がスターリングラードでソ連軍に降伏すると、ウォール街の代理人だったアレン・ダレスを中心とするグループはフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部と善後策を協議した。このことは本ブログで繰り返し書いてきたことだ。

<中略>

 この状態が続くとEUは破綻、次の冬を越すことも困難だと見られていた。ウクライナ政府は装置を戻さないように求めていたが、自分たち存続が危うくなったEUがアメリカの命令に従い続けるとは限らない。すでにEUの庶民の間で反乱の兆しが見える。ここにきて修理した装置の返還が認められたようだが、その理由はその辺にあるだろう。

 この決定をウクライナの支配層は怒っている。ズビグネフ・ブレジンスキーが生まれたポーランドもロシア嫌いのエリートが多い。その一例がレフ・ワレサ。1980年8月にワレサたちはストライキを実施、その翌月に「連帯」を結成した。現在、ワレサはロシアの政治システムを変えるか、カラー革命で体制を転覆させるべきだと主張している。

 1982年6月にはロナルド・レーガン米大統領がローマ教皇庁の図書館で教皇ヨハネ・パウロ2世とふたりきりで会談、ジャーナリストのカール・バーンスタインによると、その大半はソ連の東ヨーロッパ支配の問題に費やされ、ソ連を早急に解体するための秘密工作を実行することで合意したというが、CIAとローマ教皇庁がポーランドなどソ連圏の国々に対する工作を本格化させたのは1970年代のこと。そうした工作でバチカン銀行(IOR/宗教活動協会)は工作の手先へ資金を秘密裏に供給していた


<中略>

 この連帯やチェコスロバキアの反体制運動に資金を提供していたひとりが投機家のジョージ・ソロスだ「開かれた社会」を築くと主張しているが、それは侵略に対する防衛システムを破壊するということを意味している。ソロスは1930年にハンガリーで生まれ、47年にイギリスへ移住、54年から金融の世界へ入っている。体制転覆活動を本格化させるのは1984年。その年にハンガリーで「オープン・ソサエティ協会」を設立してからだ。ソ連が消滅すると旧ソ連圏での活動を活発化させ、体制の転覆と新自由主義化を推進、ウクライナではロシア軍と戦い続けろと主張している。


安倍元首相殺害の深層

2022-07-11 05:15:26 | 社会
田中宇 :安倍元首相殺害の深層 より引用転載

 *太字および青字はブログ著者による

 左翼リベラルなどは安倍を敵視してきたが、安倍は今後の日本に必要な権力者だった。だがその安倍は今回、ロシアなどが日本への資源輸出を止める報復措置を強め始め、安倍の出番が近づいたまさにそのタイミングで殺されてしまった。これから日本が資源を絶たれて困窮しても、日本を苦境から救うことができたかもしれない安倍はもういない。7月8日の安倍の殺害は、偶然のタイミングにしては絶妙すぎる。報じられているような、犯人の個人的な怨恨によるものとは考えにくい。今回のような大きく衝撃的な政治事件は、偶然の産物として起きるものではない。安倍の殺害は、日本がこれから困窮しても中露と関係を改善できず、中露敵視を続けざるを得ないようにするために挙行された可能性が高い

 岸田政権のロシア敵視強化は、ロシアからの報復を招き、日本国民の生活と岸田自身を困窮させる自滅策だ(その分、露中など非米側の優勢が増し世界が多極化する)。岸田は米ネオコン(隠れ多極派)の言いなりで日本を自滅に誘導する策をやり出している。米ネオコン系はドイツにも露敵視を強要して自滅させているが、それと同じことを日本に対してやり出した。安倍は、日本側の自滅が顕在化するまで傍観し、自滅が顕在化したら岸田のために安倍がロシアと掛け合って日露を和解に持っていき、日本のエネルギー輸入を保全しようと考えていたのでないか。だがそれは安倍の殺害によって不可能になった

 安倍殺害は、2日後の7月10日の参院選挙で同情票を得る自民党を有利にした。岸田政権は参院選に勝利して権力を強化するが、その権力強化は安倍が敷いた米中両属・対露和解の路線を潰すために使われる。安倍の死で、自民党は安倍の路線から離れる方向で優勢になる。安倍は自らの命を奪われれただけでなく、死によって自分の路線を破壊される。ひどい話だ。米諜報界は残酷に狡猾だ

 安倍を殺した実行犯が逃げずに現場にとどまったことも、私怨による単独的な犯行でなく、後ろに巨大な勢力がいて犯人を動かしたことを思わせる。私怨による単独犯なら、犯行後に逃亡を試みるのが自然だ。犯人が逃げずに逮捕され、犯行の動機を警察に供述したことにより、安倍殺害は統一教会への怒りによって引き起こされたという頓珍漢な話が喧伝されることになった。統一教会の話は、実行犯の気持ちとして本当なのかもしれないが、事件の全体像としての本質から逸脱している。背後にいる米諜報界は実行犯に対し、犯行後に現場に残って逮捕されるよう誘導したのだろう

 安倍は死んだ。岸田の露中敵視もいずれ破綻する。その後の日本は弱体化し、経済的に露中敵視を継続できなくなり、米国も金融破綻や国内混乱で弱体化するので、いずれ日本は再び米中両属への道を模索するようになる。それを自民党の誰が主導するのか、まだ見えない。岸田自身が露中敵視の強化が自滅策だと気づいて方向転換を図るかもしれない。左翼リベラルなど野党やマスコミが事態の本質に気づく可能性はほぼゼロなので、そちらからの転換はない。マスコミ権威筋が頓珍漢なままなので、日本人のほとんども何も知らないまま事態が転換していく

「イーロン・マスク氏は、Twitterの文化を変えるよりも、火星にロケットを着陸させる方が簡単だと感じてしまうかもしれません。」

2022-05-04 05:27:32 | 社会
GETTRのメルマガより引用転載

 GETTRの最高経営責任者 ジェイソン・ミラー氏は、イーロン・マスク氏によるTwitter買収について、マスク氏をもってしてもTwitterを直すことができない理由について次のように見ています。

 「この時代の最高の革新者であるイーロン・マスク氏がTwitterを買収する契約を結んだと報じられています。言論の自由を支持する者なら誰しも彼を応援するでしょう。しかし、この買収がどのような結果になろうとも、ここ2週間の反応は、 Twitterがイデオロギー的に差別されたネガティブの掃き溜めであり、かつて同社が持っていた独立性や自由な発想、言論の自由への取り組みといった面影は、永久に失われてしまったことを示しています。

 Twitterが再び言論の自由の原動力となるためには、土台から徹底的に解体する必要があることは明らかです。同社の指導者を解任し、政治的に差別するイデオロギーを持ちながら日々の運営に携わっている者達も交代させなければなりません。これにはプログラマーをはじめ、同社で働くほぼ全ての人が含まれます。そして、それは不可能ではないにしても、信じられないほどの労力を要する作業となるでしょう。

 そしてもちろん、無視できない最終試験となるのはTwitterがドナルド・J・トランプ大統領のアカウントを復元するかどうかにかかっています。それなくして、Twitterが真に自由な言論の場となることはないでしょう」

 


北海道に避難された方からのメール

2021-10-04 08:20:48 | 社会
阿修羅掲示板より引用転載
北海道に避難された方からのメール 「福島に残った人がどんどん亡くなっている」 


*黒字は当ブログ筆者による

北海道に避難された方からのメール。
ご本人の名前は伏せさせていただきます。
日本政府も無茶苦茶だが、国民の無関心も酷い。

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OOOO@北海道です。

福島事故から早いもので1 0 年ですが、このひとつの 『節目」 (と
私たちはまったく思っていませんが) を象徴するかのように、1 0
年間、思いをひとつに福島現地にとどまって闘ってきた方の計報を
耳にする機会が最近、増えました。

私が見知っている方だけでも、すでに今年に入り3人。

そして今朝早く、4人目の方の計報に接しました。

福島原発告訴団、福島原発刑事訴訟支援団の最重要支援者で、郡山
市在住のフリーライター人見やよいさん。ご存じの方もいると思い
ます。

がんで闘病生活が続いていましたが、今年まだ還暦を迎えたばかり
の、あまりに早すぎる別れです。

恐るべきことに、今年に入って謀報に接した4名の方は、全員が7
0歳に達せず、6 0歳代でのご逝去です。全員、あまりにも早すぎ
ます。

過去、私は原発問題で何度も講演会の講師などを務めてきました。

その中で 「避難生活が経済的に苦しくて疲れた。もう福島に戻りた
い」とか、逆に「もう●年経っていますが、今からの避難でも意味
があると思いますか」という質問を何度も受けてきました。


そのたびに私は「今ははっきりとはわからないけれど、事故から1
0年くらい経てば、避難した人のほうが正しかったとわかる日がは
っきり来る。それも悪夢のような恐ろしい形で。だから、 避難生活
がどんなに経済的に苦しくても福島には絶対に帰ってはならない
し、 放射線被曝量は生涯累計なので、避難は時間が経ってからでも
できるならしたほうがいい、と答えてきました。

この点は過去 1 0 年、まったくぷぶれていないし、考えがほんの一瞬
といえども揺らいだことはありません。なぜならそれは、チェルノ
ブイリで事故後に起きたことを見れば明らかだからです。

ウクライナ・ルギヌイ地区の健康状態 (イワン・ゴドレフスキー/
ウクライナ科学アカデミー)
http:/1am.sakura.ne.jp/Nuclear/kou64.pdf

私は、過去の講演会でこの資料を基に話をしたことがあります。

福島では事故の影響がはっきりしていない時期だったので、「先行
事例」であるチェルノブイリの例を基に話すのがいいと考えてきた
からです。

この資料を作成したイワン・ゴドレフスキー氏はウクライナ科学ア
カデミーの研究者です。ウクライナのような旧共産圏では、科学ア
カデミーは政府系研究機関で、どんなに成績優秀でも、共産党員の
資格がなければ門も叩けないと言われてきました。

そのような権威ある政府系研究機関の研究報告書が、このような形
で警鐘を乱打している事実があります。

この資料の終わりから3ページ目 、「図9 1000人当り死亡率の年
齢別グループ内訳 (チェルノブイリ事故の前と後) 」を見ると、チ
ェルノブイリ事故 (1986年) 前の1984-1985年と事故5~10年後の
1991-1996年では、60歳以下の若年層では死亡率はあまり変わらな
いものの、60歳以上では大きな差があり、特に65-69歳の年齢層で
は2倍もの差があります。

原発事故の被害では、若年層の甲状際がんばかりが騒がれており、
日本政府は意図的に人々の意識をそこに引きつけようとしています
が、本当の披害はむしろ高齢者の超過死亡という形で起きているこ
とがはっきり示されています。


高齢者は避難なんてしても仕方がない。それより早く避難解除し
て、ふるさとに帰らせてやったほうがいい」などという言説がまっ
たくのデタラメであることがわかります。高齢者でも汚染地に帰る
選択などしてはならないのです。

人見やよいさんを初め、今も福島に残って活動をしているみなさん
は、それを自分の人生だと見定め、自分の意思で残った方がほとん
どです。その人の人生であり、部外者がそれに口を挟める余地は最
近ではほとんどないことから、私も事故後5年目くらいからは、避難
を呼びかけるのは「要らぬお節介」になりかねないと、本人の意思
を (仕方なく) 尊重してきました。

しかし、10年目を迎えた今年あたりから、事故の影響がはっきり目
に見える形になってきたな、と身震いする思いです。 「逃げるは恥
だが役に立つ」は真実です


今、 公務員宿舎から2倍家賃を請求され困難に直面している人を支え
る活動をしている人も、このMLにはいると思います。どんなに経済
的に苦しくとも、困難に直面していても、命より大切にすべき価値
観などありません。やはり避難はすべきだし、継続すべきです。

もうひとつお伝えしたいのは、郡山市の汚染状況です。

私は2013年3月まで、 事故後の2年間を福島県西郷村で過ごしまし
た。
外出時は常にマスク着用、水道水は飲まず、地元産のものは食べな
いという生活を続けてきました。

郡山市の汚染状況については「ほぼ全域がチェルノブイリ並み」と
いう厳しい認識を持ち、不要不急の理由で郡山市に立ち寄るととは
避けてきました。 福島市は、事故直後3度出かけ、3回とも後日体調
不良に見舞われたことから、「もはや人間の住む場所ではない」と
判断し、その後一度も立ち入っていません


一方、郡山市では 『行くたびに体調不良」という極端な状況でなか
ったため、福島市に立ち入るのを避けるようになってからもやむを
得ない事情で何度か足を運びました。汚染状況については、福島市
渡利、大波などの極端な地域 (避難指示区域と実質ほとんど変わら
ず) を見てきたせいか、福島市のほうが数倍、激しいという認識で
いました。


しかし、 福島市は実際には渡利や大波などの地域がある一方で、西
部の土湯温泉など、子どもたちを数週間から1か月スパンで短期保養
に出そうと思えば出せる程度には汚染の少ない地域も存在します。
汚染状況はかなり「まだら状態」というのが実際のところです

しかし郡山市はほぼ全域が高濃度汚染され、ほとんど逃げ場がない
という状況で事故直後の数年間を過ごしました
。この状況は現在も
ほとんど変わっていません。郡山市の汚染状態は、福島時代に私が
認識していたよりもはるかに厳しい状態だったのかもしれないと、
最近の相次ぐ計報に接して、改めて感じています。

10年経った今、すでにほとんどの人が生き方を固めている中で、避
難の呼びかけなどしてももう意味がない時期に来ていると私は思っ
ていました。しかし、人見やよいさんのような意識、知識量いずれ
も高い方ですら生き延びられないという現実を前にして、いかに放
射能の前に人間は無力かを改めて思い知らされ、打ちのめされてい
ます。

改めてみなさんにお知らせします。

1. いま避難をしている方は、絶対に継続すべきです。
2. 今から避難を考えている方は、いまからでも遅くないので実行
すべきです。
3. いま帰還を考えている方は、絶対に中止すべきです。


当たり前すぎるほど当たり前のことですが、最も心強い戦友を失っ
たいま、この原点に改めて立ち返るときだと思い、お知らせするこ
とにしました。私がこんな当たり前すぎることをここで再度訴えな
ければならないほど、10年経っても福島現地の状況が深刻だという
認識を、みなさんが改めて持っていただけることを望みます。