The days of pat woodworking

気持ち良く使い続けられる家具を目指して

いよいよ

2010-10-26 22:39:19 | Weblog
大雪山などの山の初冠雪から遅れる事一ヶ月ちょっと。
平地でも雪が降り始めました。

朝から降り始めた雪は、少しだけ景色を白く変化させました。

フワフワとやさしく降る雪ではなく、バラバラとやかましく降る大粒のあられは一日中降ったり止んだり。
気温はまだそんなに低くないので、降れば少し積り、止めばすぐ溶けての繰り返し。


待ちに待った冬がいよいよやってきます。
しっかりと積りだすのはまだもう少し先だけど、シーズン最初の降雪はやっぱり嬉しいもんです。

さぁ、どんな冬になるかな~?





スコットファミリーも少子化?

2010-10-18 05:25:28 | Weblog
やっぱり来た。
この小指の爪ほどのヤツらがやっぱりやって来てしまった。


だけど、ちょっと様子が変。
出始めてそろそろ1週間になるのに、まだあの匂いを間近で嗅いでない。

いつもなら出始めのこの1週間がひどい。
一缶1200円もする殺カメ剤をサッシの枠に吹き付け侵入を防ぎ、それでも入ってくるヤツらを追いかける悪夢のような毎日。
なのにこの秋は家で捕まえたのはたったの1匹。
いるにはいる。でも明らかに少ない。
なんで?
めちゃくちゃうれしいけど、なんで?
この夏暑すぎてダウン?旅行?移住?何?

福島県の友人に「覚悟!」って言われて完全にビビっていたのに。
福島はずっと出続けている様子です。
しかもここらのヤツよりでかい親指の爪くらいのサイズらしい。
匂いもここより強烈なんやろか?
恐ろしい。

雪が降り始めればカメムシの姿はほとんど見なくなる。
気温は日々下がっている。初霜もそろそろの様子。


あのー、これからが本番なんて事はやめて下さいよ。
もう今年は少ないって決めつけてしまったんですから。










Waltzing Matilda

2010-10-09 23:30:30 | Weblog
一昨日の晩は上を向いたり横を向いたりしながら帰ってきた。
星空もまあまあ綺麗だったので眺めながら歩いていると、横の林からフクロウの声が聞こえてくる。
姿は見えないのだけど「おーい」呼ばれているような気がして林の方も眺めてしまう。
50m程の帰路なのに15分もかかってしまった。

昨夜は脇目もふらず真っ直ぐ前を見て帰ってきた。
別に何かを決意した訳ではない。
雨が降っていたので急ぎ足。

今晩は曇り。星は見えない。「ほんなら、俺自身がスターになったろかい。」と思いムーンウォークで帰る事にした。
でもよく考えると僕はムーンウォークなど出来ない。
「あら、どないしよ。」と思っているうちに家に着いてしまった。


普段は星空を眺めていると流れてくるWaltzing Matildaですが、前回少し書いたからか仕事中もずっと頭から離れなくなってしまった。
しかも同じフレーズばかり。
グルグル何回も。

「Waltzing Matilda」と聞くと「ワルツを踊るマチルダ」という女性を想像しませんか?
オーストラリアで生活しているとよく耳にするこの曲の事を僕もしばらくそのような曲だと思い込んでいた。
勢いで行ってはみたものの英語なんてほとんど喋れなかった僕にはメロディーしか聞こえませんでした。
詞は全く頭に入ってこず、優雅に踊るマチルダ姉さんを勝手に想像しながら「きれいな曲やなぁ。」と思っていたのです。
おそらく7,8ヶ月以上。
少し英語が理解できるようになった時、初めて違和感を感じました。
「billabong(沼、水たまり)」と言葉が耳に入ってきたからです。
当時サーフィンに挑戦していた僕の持っていたウェットスーツのメーカーの名が「Billabong」だったので言葉の意味を知っていた。
ワルツと沼はどうも接点がない気がする。
よく聞いてみると、しっかりと理解はできないけれどどうやらマチルダ姉さんは踊っていないようだった。
少し興味が湧いたので調べた。
スラング(方言)が多いので分からない所はその辺にいるオージーに意味を尋ねた。
Waltzing Matildaの歌詞の意味を調べている事に気づくとオージー達の目には火が灯る。
必死に理解させようと説明してくれる。彼らがとても大切にしている曲だという事はヒシヒシと伝わってくる。
その説明してくれている英語が分からなかったりするのだけど、何人かの説明を受けてこの曲の意味を知った。
「こんな意味の歌やったんや・・・」と驚いたのを覚えている。

まず、そもそもこの曲はワルツ(3拍子)でない。4拍子なのです。
それもオージーに教えてもらうまで気付かなかった。

「Waltzing Matilda」とは放浪者という意味でした。


愉快な放浪者。
沼のそばでキャンプをしてた 。
ユーカリの木陰でお湯が沸くのを待ちながら歌ってた。
「誰か一緒に旅に出る奴はいないかな?」

羊が沼に水を飲みにやってきた。
彼は飛び上がって喜び、羊を捕まえて
歌いながら羊を食糧袋に詰めた。
「お前と一緒に旅に出よう」

その牧場の者がサラブレッドに乗ってやってきた。
警官も3人やって来た。
「お前の食糧袋に入っている羊はどこで手に入れた?」
「お前と一緒に旅に出よう」

放浪者は起き上がり、沼へ飛び込んだ
「生きてる俺を捕まえてみやがれ。」そう言いながら。
あの沼のそばを通ると彼の幽霊の声が聞こえるかも
「誰か一緒に旅に出る奴はいないかな?」



このような意味でした。

どこまでも続く赤い土の荒野。厳しい生活環境。
この国のなりたち。そこから生まれる権力への反骨心。
色んな事が歌詞に詰まっているのだと思います。
そしてこの歌をオーストラリアの人達はニコニコ楽しそうに歌います。
みんなそれぞれ、色々考えた末に笑いながら歌っているのでしょう。
名もなき一人の男の歌を国の歌にしようとする事がとても新鮮で素敵な事に感じたの覚えています。
今でもそう思います。
大抵の場合は逆ですから。

これからも夜空を眺めているとこの曲のかわいらしいメロディーがどこからか流れてくるはずです。



Once a jolly swagman camped by a billabong
Under the shade of a coolabah tree,
And he sang as he watched and waited 'til his billy boiled
"Who'll come a-Waltzing Matilda, with me?"

Waltzing Matilda, Waltzing Matilda
"Who'll come a-Waltzing Matilda, with me"
And he sang as he watched and waited 'til his billy boiled,
"Who'll come a-Waltzing Matilda, with me?"


Down came a jumbuck to drink at that billabong,
Up jumped the swagman and grabbed him with glee,
And he sang as he stowed that jumbuck in his tucker bag,
"You'll come a-Waltzing Matilda, with me".

Waltzing Matilda, Waltzing Matilda
"You'll come a-Waltzing Matilda, with me"
And he sang as he stowed that jumbuck in his tucker bag,
"You'll come a-Waltzing Matilda, with me".


Down came the squatter, mounted on his thoroughbred,
Down came the troopers, one, two, three,
"Where's that jolly jumbuck you've got in your tucker bag?"
"You'll come a-Waltzing Matilda, with me".

Waltzing Matilda, Waltzing Matilda
"You'll come a-Waltzing Matilda, with me"
"Where's that jolly jumbuck you've got in your tucker bag?",
"You'll come a-Waltzing Matilda, with me".


Up got the swaggie and jumped into the billabong
"You'll never catch me alive," said he,
And his ghost may be heard as you pass by that billabong,
"Who'll come a-Waltzing Matilda, with me?"

Waltzing Matilda, Waltzing Matilda
Who'll come a-Waltzing Matilda, with me
And his ghost may be heard as you pass by that billabong,
"Who'll come a-Waltzing Matilda, with me?"

星は何処へ

2010-10-07 05:04:33 | Weblog
仕事を終えて帰る時、工房から家に帰る50m程の距離を僕は上を向いて歩く。
独り身が悲しくてたまらなくなり溢れだしてくる涙をこぼれないようにしている訳ではない。
下を向いて歩いていては人にナメられるからといきっている訳でもない。
ただ「星は出てるかなぁ?」と空を眺めながら上を向いて歩いているのです。

北海道に来て3年になるけれど満天の星空をまだ見ていない。
空気が汚れているのか、それともこの辺りが見えにくい土地なのか理由は分らないけど、大した星空は見えない。
よその土地に行った時にも見上げてみる。あまり見えない。
夜、車で走っている時も見えそうな所で車を止めライトを消してみる。でもやっぱり見えない。
「関西ではあまり見えなかったけど、北海道なら・・・」と期待していたので残念だ。

この春に福島県に行った時の方がよく見えた。酔っ払ってたから少し回ってもいた。
子供の頃、奈良の山奥にキャンプに連れて行ってもらった時にはもっとよく見えた。寝袋に入って家族並んで夜空を眺めたっけ。

詳しいわけではないのだけれど(星座とかもよく知らない)なぜか星は見たくなる。
宇宙や星々は人間にはほとんど理解できていない世界であるのに、よく分らないそれが現実にドカンと目の前に広がっているのが何かとても愉快な感じがするのです。
そして夜空を眺めているとよく「Waltzing Matilda」が胸の中で流れ出します。

Waltzing Matildaという曲を知っていますか?
「知ってるさ。」と今、胸を張った人はきっとオーストラリアに行ったことがあるのでしょう。
Waltzing Matildaを国歌にしようという運動が起こるほどオーストラリアでは有名な曲です。

高校を卒業してすぐに行ったオーストラリアの夜空、とりわけ2ヶ月間働かせてもらったカンガルーアイランドの農場で見た夜空は強烈だった。

雨の日以外は晩御飯の後に農家のボスの息子と共にライフルを持ち外に出る。
羊を飼っている農場だったので昼間に蒔いた羊の餌を夜行性の動物に食べつくされないように見回らなければならない。
ターゲットはカンガルー、ワラビーが主になる。
大きいものはその場で捌き、持ち帰り食料とする。
小さなものは撃ちっぱなし。翌日にワシ等の猛禽類かでかい爬虫類などの食料になる。
そのやり方が最善の方法かは分らないがそれがそこでの生活だった。

僕より1つ年上のその農家の息子とはよく気が合った。
英語が上手くない僕相手にでもいつもゲラゲラ笑う愉快なヤツだった。
「毎晩毎晩真面目にやってられるか。なぁ、ナオト。」
と狩りをやめ、ピックアップバンのボンネットに寝そべる。
「肉も結構たまってるから今日はええか。」とたばこに火を付けながら僕もボンネットに寝そべる。
見上げると満天の星空。
月の出ていない晩などは言葉に出来ない美しさです。
天の川は大河だった。
眺めていて目が慣れてくると奥の方からまた星が湧き出てくる。どんどん奥から星が湧きだしてくるのでなんだか焦点が合わない気がした。

銃声がしないとサボっているのがボスにばれるので、たまに星空に向かって2、3発ライフルを撃つ。
そしてその言葉では表現できない程美しい夜空の下で僕たちは人間としての価値観などを語り合う。
内容は、
「おれはやっぱりメロンちゃん(デカパイの意)が好きだな。」
「おれは大きさより形やな。」
「あそこのパブの店員はめちゃかわいいメロンちゃんなんだぜ。」
「ほんま?じゃあ、そのパブいつ行く?」とかのとても深い内容のものを語り合う。

星空を見ているとそんなオーストラリアでの素敵な日々が思い出されるのかWaltzing Matildaが僕の胸の中で流れ出す。


ホントはWaltzing Matildaについても書きたかったのだけど、思い出にふけってると時間ばかり過ぎてしまった。
近日中に書き足します。