京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
工房は京都市北区紫竹下竹殿町16だよ!

時計師の京時間「京の滅亡時計」

2017-04-24 09:25:48 | 時計修理

4月24日月曜日。
今日は1185年旧暦弥生の24日は壇ノ浦で平家が滅亡した日。
旧暦で今日は弥生28日なのでややこしい。
それでも滅亡から4日経ちました。平家の落人たちが熊本や長崎地方にやっとたどり着いた頃でしょうか?
平家の落人伝説はあちこちに残っておりその全盛期の影響力がしのばれます。

こんな日は初夏の大原の里へ出かけて見たくなります。
昨日、今日と絶好の晴天に恵まれています。
昨日工房から見える比叡山の夕日がきれいでした。麓は夕暮れ、暗くなるころお山だけが赤く染まっていました。
こんな日は京都の皆さんは時間を忘れます。ついでに止まった時計もそのまま忘れられるのでしょう。
時計が必要のない日もたまにあります。ただ夕方の逢魔が時には三々五々それぞれ塒に戻りましょうね~。

時計修理業は閑散とした一日でした。
時の流れるままにおまかせ!と言っても時計師は流れに気を使います。流れに任せたままではすぐに息絶えてしまいます。

時計業界は歴史的に大きく左右される業界でした。
最近では1970年代のクオーツシステムが大きな転換期でした。
特にスイス・フランス地域の時計産業を絶滅寸前まで追い込みます。
機械式ボンボン時計は捨てられた時代、時の記念日になんと燃やしてしまうイベントまでありました。

その前は太平洋戦争です。今思うと時計を含む貴金属を供出しないと勝てないような戦争ははじめから負けが決まっている。おかげで日本からアンティーク時計が消えました。
時計修理用のベンジンまで入手できない時代でした。また円の切り替えて虎の子の仕入れ資金も紙くずになった。

最近のターニングポイントでは2000年の始めにシチズンが腕時計のオールソーラー化を発表したことでしょう。その会見を会場で聞いた時には呆然として東京駅八重洲のチャンポン屋に立ち寄ることもなく当時住んでいた名古屋へ戻りました。
いわゆる時計の使い捨て時代の始まりです。
引き出しの中に大切にしまわれた時計文化の終わり使い捨て時代の始まり。

「国産時計からスイス時計に主軸を切り替えないと販売会社はつぶれる。」
早速全店にスイス時計の販売や修理ができない時計職人は解雇される時代が来ると報告した。
 ところが人は自分の都合よく思い込むものです。
「あの人は国産時計メーカーから追い出された人。ヤキモチで嫌がらせをしているだけ!」の反応でした。「時代の流れに乗れない人は溺れるだけ。」の警告は無視され結果会社は4年でつぶれた。
ボーダレス社会が直前までやって来ているのに旧態依然のセイコー、シチズンにしがみついていた職人は波間に消えた。
「昔々昭和時代には国内に5000件の時計店がありました。」なつかし昔話になりました。

現実は厳しくたびたび東北や九州の時計修理過疎地域へボランティア出張に行くがその費用はカルティエ、ブルガリ、エルメスなどのスイス時計修理の利益で行けるのです。
駅前のシャッター通り商店街に時計店があった名残の看板を見つけるたびにつらくなります。
フランス大統領選挙真っ最中です。
EUのボーダレス社会ではドイツ一人勝ちではなくてヨーロッパ10%の富裕層が勝つシステムになっています。その流れに抵抗する最後の選挙になるでしょう。
その後は資本の力でその抵抗も消えていく。

2000年当時貧乏ではあるが貧しくはない生き方ができる最後の時計師になろうと決めた。
時計部門のラストマン・スタンディングもいいかも?今日はいいお天気。
時間を忘れて初夏を楽しむのじゃ~。










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