チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『1812年』ラルゴ(ロシア正教聖歌)の全奏での回帰とポロネーズ」

2012年09月07日 00時17分27秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


今日、2012年9月7日は、
ナポレオン率いるLa Grande Armee(ラ・グロンダルメ=大陸軍)14万を
いわゆるモスクワの西約100kmの
Бородино(バラヂノー、いわゆるボロヂノ)で
Михаил Голенищев-Кутузов
(ミハイール・ガリェーニシシェフ=クトゥーザフ公爵、1745-1813)が総司令官の
ロシア帝国軍12万が迎えうった
Бородинское сражение
(バラヂーンスカエ・スラジェーニエ=いわゆるボロヂノの戦い)から
200年にあたる日である。結果、
ナポレオン軍は3万5千、ロシア軍は4万5千の死傷者という、
双方大損害を被りながらの痛み分けに終わった。
ナポレオンは急遽ロシア軍殲滅作戦に切り替えたこの戦いで
目的を果たせなかった。いっぽう、
多大な損失を出しながらもロシア軍はかつての
対スウェーデン大北方戦争と同様に、この戦闘で持ちこたえたのを機に
焦土作戦に打って出たのである。つまり、
このボロジノでナポレオンは詰んでたのである。ちなみに、
焦土作戦とは、
攻められてるほうが自軍自国の施設・農地を焼き払って後方に退却し、
その拠点を奪られても占領した攻め手のほうがかえって困っちゃう、
という戦法である。これは戦略的には効果的でも、
自国の庶民を飢え死にさせるという非情な作戦である。
おもしろいことに、
露・中・朝(韓)という、日本の近隣悪徳国家が得意とする戦法である。
それはともあれ、
ボロヂノーというよりはボロボロヂャッタノー、
スモレンスクから動かないでフォン=メック夫人が生まれるのを待ってればよかった、
我が生涯の一番の失敗じゃったわい、
とナポレオンはこの戦闘をセント・ヘレナで回顧したらしい。ちなみに、
Бородино(バラヂノー、いわゆるボロヂノ)という地名は、
日曜作曲家として知られる化学者のいわゆるアレクサンドル・ボロディンの
Бородин(バラヂーン)という名と同源である。もとは、
борода(バラダー=顎髭)であり、ボロヂンの祖先の
渾名が「髭おじさん」だったのである。
外来人でないロシア人のサーネイムは渾名が転じたものが多い。
大柄でデブだからトールスティでタルストーィ(トルストイ)、
ノロマで実直だからラフマーヌィでラフマーニナフ(ラフマニノフ)、
である。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラルゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラルゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。その
A´の箇所である。

この曲は、
ヴィオーラ2棹とチェロ4棹の、たった「6声」のmfのソリで、
ロシア正教の聖歌:
"Спаси(スパスィー=救い給え),
Господи(ゴースパヂ=神よ),
люди(リューヂ=民を) Твоя(トヴァヤー=汝の)"
つまり「神よ、汝の民を救い給え」、
[Largo(ラルゴ)、4分音符=60、3/4拍子、3♭(変ホ長調)]
***♪ドド|<レー・<ミー、
   ・>ドド|<レ<ミ・<ファファ・ファー|ーー・ー・ーー|
   >ミミ・ミミ・ミー|ーー・ミー・ミー|>レー・ーレ・レレ|<ミー・ーー♪
を奏でるところから始まった。が、ここでは、
ナポレオンの大陸軍が食い物も暖もないモスクワから
這々の体で逃げ帰る情けない敗北を嘲笑うかのように、
鐘が打ち鳴らされる中で、バンダも加えた吹奏楽器軍が
上記旋律をfffの大音響で奏するのである。それに、
弦楽器軍が木管軍を従えて壮大なスケイルの合いの手を入れる。
このA´部はたった22小節ながら、
21小節め(次の進軍B´部になだれ込む前2小節め)では、
吹奏楽器軍は、
♪【レーーー・ーーレレレ(3連符)・レーレー】│レーーー・ーー>シー・>ソー<シー♪
という律動を高らかに歌い上げるのである。この
【】内の律動は、チャイコフスキーがこの曲を書いた1880年の
4年前から翌年に書けて作曲した「交響曲第4番」の「運命の動機」と、
3年前から翌年に書けて仕上げた「オネーギン」の第3幕の
舞踏会の幕開けで用いた、
♪【ターーー・ーータタタ(3連符)・ターター】♪という
【ロシア帝国の対外的勝利と偉大さの誇示を象徴するポロネーズ】
なのである。実際、
ナポレオンが侵攻してきた1812年には、
ロシア帝国の国歌ともいうべきものは、
オースィプ・アントーナヴィチ・カズローフスキィ(いわゆるコズロフスキー、1757-1831)
が作曲した、
****♪ドーード・<ミー>レー・>ドー<レー│<ミーーー・>ドーーー・●●●●│
   >ドーー<ミ・<ソー>ファー・>ミー>レー│<ミーーー・ーーーー・●●●●♪
"Гром(ь) победы, раздавайся!"
(グローム(ミ)・パビェーディ、ラズダヴァーィシャ=勝利の轟音よ、敵を粉砕せよ)
というロシア帝国主義の力の象徴【ポロネーズ】だったのである。かつて、
モンゴル人に屈服させられ、その血を注がれて、200年も組み敷かれてた
負け犬の劣等感が厚顔な性格にさらに追い打ちをかけ、
力に頼る粗野な国民性を増長させたのである。
自分のものは自分のもの。他人のものも自分のもの。
北方領土を不法占拠するなどはいかにも奴らラッシーヤという所業である。
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