マイノート Blog

思いが伝わる/心がつながる

12月26日(月)のつぶやき あんな事が起きたのに何も変わらない体質

2011年12月27日 | 復興の記録
08:56 from web
浮かれ気分のクリスマスも過ぎて「年の瀬」という言葉が似合うようになりましたね。昨夜の特番(原発事故に対する官邸の対応)を見ていて「不信」と言う言葉を思い浮かべました。年の瀬、写真と同じくまだまだ「五里霧中」ですが・・・ http://t.co/wVQWr79x
10:30 from web


また日の出を撮ろうと女川町へ行ってきました。小乗浜の反対側にある崎山公園からはどんな日の出が見られるかと向かったのですが、公園は崩れる心配があるので立ち入り禁止になっていました。今は無い街に戻ってきて振り返るとそろそろ日の出の時刻 http://t.co/VPyfWPCA
10:33 from web
病院の駐車場に上がってみました。震災時は女川町立病院でした。この病院の1階まで津波が押し寄せたなんて今こうしてここに立っていても信じられません。 http://t.co/KbazaGLp
10:38 from web


夜明け前、車のライトが流れていきます。薄く積もった雪が海風に凍っています。静かです。今年最後の日曜日の朝・・・ 女川町 http://t.co/zPSxX2OF
11:17 from web
本屋さんへ行くと「震災写真集」なるもののコーナーが設けられている。私はそこで立ち止まりもしないし、見開く事もない。だいたい同じ内容で悲惨さを伝えるものだからだ。中には売り上げの一部を義援金に回すというものだ。そんな者は写真家でもなんでもない写真を売って食っているやつだ。
11:22 from web
それから原発コーナーも本屋さんへ行くとある。ほとんどは原発の危険性を訴えるものだ。そんなコーナーにおいてある本の作者もたいてい原発で食っている輩たちだ。原発がなくなれば食えなくなる原発依存者なのだ。そんな輩が「脱原発」をたからかに謳っている。
13:14 from web


来春の再開に向け急ピッチに復旧作業が行われているJR石巻線渡波駅付近です。石巻駅から下り方面は震災以降、臨時JRバスで運行されています。写真にあるあたりが新渡波地区です。 http://t.co/VCUSxgFo
13:21 from web
議会により承認された石巻市復興計画の副題には「世界の復興モデル」の記述があります。ここに移転してくるものは復興計画で恩恵を受ける者、線引きにより浸水域に取り残される者もいます。この線引きが「世界の復興モデル」だ。 http://t.co/YHTF1JPs
14:23 from web
RT @T_HIRASHIMA: リツイートを希望します。【あったかストーブプロジェクト】連休中はTLを見られなかった方もいると思いますのでもう一度ご紹介させ頂き増す。『被災者からのメール』ーー「暖房もなく、凍えて過ごしております」http://t.co/JvXFJb5S
14:55 from web
マニフェストとは国政の場合はただ単に国民への公約ではなく、国民との契約をいう。民主党の掲げたマニフェストが何一つ履行されないのはなぜなのだろうか。それは民主党が政権奪取のためだけにマニフェストを利用しただけだからだ。
14:58 from web
政権を奪取するためだけあ目的のマニフェストだったから政権奪取後のことは何も考えていなかったというところが本音だろう。奪取後は国民の顔色をうかがいながら主義主張さえも変えてしまう。民主党の存在意義とは何だろう。
15:03 from web
被災地の知事や市長には強い態度であたり、大阪の一市長には戦々恐々の体。
この体質はいったいどこから来るものだろうか。政治改革、衆議院定数削減はどこへ行ってしまったのか。
17:47 from web
RT @senior59: 宮城の有人島は11島あり、全ての島を訪ねた事がある。そんな中に、女川から出島、江島に渡る連絡船から女川港を撮った写真があった。丘の海抜16m付近に町立病院が建っていて、まさかと思っていたが駐車場や病院まで津波が押し寄せた。 http://t.c ...
18:02 from web
「コンパクトシティいしのまき」と言うが一市六町が合併して出来上がったしだ。牡鹿半島を含めた広大な市だ。震災による最大の死者・行方不明者を出した市でもある。旧市街地の事ばかりを考えているのは残念でならない。再生は遠いと言わざるを得ないだろう。
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JPPS日本心身医療研究所 災害時救急救命支援ネットワーク推進本部 (Mirai miyazaki.)
2011-12-31 09:13:44
遅くなりましたが、復興への医療支援の拡充に寝る間もなく、ボランティアの方、鎌田實医師、医療学会および、神奈川の地域の皆、芸能関係の方、関係各所に支援していただき、貧乏な赤字予算でそちらへの医療と福祉と物資を、直接届けられる支援体制をなんとか構築しています。
すぐにでもいける/すぐに何をもっていけばいいか
どこにいけばいいか/交通ルートと必要な支援
これらがわかれば、関東からはツイッターとブログでかなり、そちらへ視線が注がれると思います。

瓦礫と放射能、原発と余震リスクまで抱え、こちらも節電と過酷勤務に振り回され、みな、限界まで予算を出し切って、なんとか支援しています。

音楽の方たちは、彼らがその場で歌うことで、マスコミとカメラをまわせ、と伝えるために訪れています。
彼らががなって通り過ぎることで、次の音楽家がいきます。

いやでもカメラは回ります。
カメラは- 現実を 国と海外に正しく伝えてくれる確かな証拠をあらわしています。
そこには、偏見も、理屈もなく、
一体どうすればいいのか、国際的に平和を願う皆の意識が動くことは
語るまでもありません。

今、当研究所では、海外の方に謝罪しながら、日本の抱えるこの問題を海外の有識者の方、ならびに大学の方、企業家の方にも翻訳していただき、医療研究者として、震災リスクからどう人道支援として格差なく、支援がまともに生き届かない人、これから失われる命の危機に怯える人の支援、医師の派遣、医療機関と臨床福祉士などがどのエリアにどう配置すれば長期にわたる被災から救い出せるか、少ない研究者と少ない学者、医師が全国の被災状況を調べ、心身careできる体制を整えようとして全力で動いています。

こちらは任意の医療研究所なので、(難病ですので長生きは出来ません。)零細でとても貧乏ですが、国境なき医師団の鎌田様から、期待を託されました。

鎌田医師は、全力で被爆リスクと東北支援、チエルノブイリとタイ、イラクのすべての人々のケアにあたりながら、長野諏訪中央病院の医師たちは交代で現地入りし、他に講師・寄付支援募集・海外から日本までの往来、を通して、核と戦争がなくなるやさしい医療実現に全力で寄与しています。

それほど困難をきわめますが、私の住む関東のみなさんも、悲しくて笑えないんだ、泣きたくても泣けないのだとおっしゃいます。
みなさん、気付いてもらえないのは
かおがみえないお付き合いだからだと思います。

特に通信手段がろくになく、会話もできない状況では、困りますから、テレビ電話くらいの動画やビデオ電話での医師や他地方の方との連絡くらいできる媒体が被災地周辺に届けられるよう、支援をあおっています。

科学者、医学者は、常に警鐘を鳴らしていました。私は朝日新聞にも2008年、NHKにも民放にもずっと危険性を提言してきました。

それを正しく用いず浮かれてきた日本人の危機管理の甘さは国際レベルでいえば、公開裁判になるな、と予見していました。

震災/原発、これは本来、東日本震災などと
いう言葉でくくるものでなく、
最初からすぐに「原発やばい」と私は危機感をもっていました。
関東では世間は安穏としていましたが
この最悪のシナリオは私には予見していました。
今の状態も、予見していました。
およそかなりの確立で、対策を講じないとこうなるでろうというシナリオです。

打つべき手をしかるべき時に打たなかった政府の危機管理の甘さは指摘されています。

関東から全国で、音楽家のデモ、パレードがすごいことになっています。
カメラが回り、異様に音楽が盛んになり、半端ではない状態です。

しかし、彼らは関東では、みな、ひとしく「被災者支援に東北の被災地に届けるから」と寒い中あちこちでcdを売り、自分たちの生活は最低限にして歌っています。

歌うことで目立ち、目立てばなんとか国が東北を支援してくれるから、という切なる願いも数千円になれば、被災地に届けられる、と思う継続の力が人々からお金を生み出しています。
私は、クリスマスに被災地にいけないまま、(予算もなく研究と地元被災者の方のケアも行き届きません)仕方なく、長期にわたる支援のために、一旦被災地方面への医療知識、被爆リスク対策、関東から東北を繋ぐ心身医療拡充プランを関係各所に配りました。

80円、宅配で800円、次々に予算が減ります。
羽田からのアクセスとJRからのアクセス、
祖父の寺へのアクセス(福島県飯坂 西覚寺)まで調べるのにこれほど目先の被災者の方のほうが見ていられない有様でした。

活動沿革については、ブログなどに細切れに
綴っております。
今一度ご確認くださいます様、

こちらの身内は、もともと祖父の地が東北の福島です。千葉や宮城など東北には縁故関係はもとより、安否不明の方々が人生の師ともいえる方々が沢山おられます。
その方々のご恩を感じて生きて来た音楽家たちはカメラが真実を報道するように、その場に訪れているのです。

音楽は、継承されていく文化です。
音楽ある所に人がおり、人がいるところに文化があり、音楽と人、言葉と言霊、音がない環境などありえないのです。

無音ではなく常に何かの音が聞こえる世界。
これが地球です。
そこに奏でられた音色がその場の真実だと思います。

こちらでもカメラは常に回っています。
こちらでも、音楽家に直接、被災の恐怖、あってはならない悲しみを音楽療法士として、人道支援を願う、一人の心理学者として、伝え続けています。一番弱きを救え、と歌い続けてきた平和を愛する人の歌が真に視聴率、人気を獲得しているのは地位でも名誉でも金でもなく、平和を願う当たり前のことを歌にしているだけの音楽家の歌が、長く愛される曲となって海外にも伝えられていきます。
このような活動が、自然発生的に人々をつないで、理屈や議論ではなく、地に足のついた人道支援をしていく原動力になっていきます。

カメラが回る以上、歌うたいの歌が届く以上、見捨てられていないよ、今いくからね、というサインだと理解してください。
医師不足の今、すぐに踏み込めば全員医師が長期にサポートできませんが、どこにどれだけ支援が必要か、状況把握中です。
情報をお寄せ下さい。

関東含めあらゆるボランティアが現況把握しながら、どこまで何を届ければいいのか手をこまねいています。これからやっと末端で支援がいかない人々から順に(今までとは逆順のやりかたで)一番苦しい方々の声を拾い上げていきたいと思っております。

このための準備は、ちゃんとした枠組みと地盤、計画性とリスク管理、360度網羅した知識を集結した上で、被爆覚悟の特攻隊と調査隊、次の中間支援隊、最後の後方支援隊が囲んでバトンリレーでの被災者支援の繰り返しとなっていきます。

そこまでの対応が遅れましたことを
予防精神医学者として心よりお詫び申し上げます。

JPPS日本心身医療研究所
災害時救急救命支援ネットワーク推進本部
(関東-東北連携医療推進事務局)
お疲れ様でした。
〜東日本震災復興支援〜
Japan preventive psychiatry Laboratory.

http://jpps2011.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/japan-preventiv.html

http://www.facebook.com/mirai.miyazaki#!/mirai.miyazaki

http://jpps2011.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-0d03.html

http://blog.goo.ne.jp/jpps_001/e/252717429dfd01f0389d4aa5bc4976d8

tel/fax:044-951-9199 24時間自動受信
JPPS日本心身医療研究所 災害時救急救命支援ネットワーク推進本部 in kanagawa kawasaki-city.
斉藤和義の歌で被災地を応援しています。

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