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2016年4月29日(木)その2535◆本間静香の深化
本間静香ソロライブから今しがた帰宅。
フラメンコ通もイチゲンさんも存分に楽しめるエキサイティングなガチンコライヴだった。
静香のステージにはそういう華と勢いがある。
つまりフラメンコを知らない友人知人を心配なく引っ張ってこれる、
分かりやすいパッションと充実がある。
いま風とは異なる、必要以上に女性性をセーブしないスタンスも頼もしい。
女子会・男子会ノリとも無縁な艶のある、老若男女ノーボーダーで
フラメンコそのもののリピーターを発生させやすいストレートな芸風。
川島も圭輔も健太郎も最強だったな。
相棒プロデューサー(田代オーナー)の文句なしOKも得て、
静香にはその場で来春の再度出演を依頼し快諾を得た。
呑み放題コースですでにへべれけ上機嫌最高潮だが、
これからマッカランで締めてバタンキューの段取り。
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2016年4月28日(木)その2534◆本間静香ソロライヴ
今宵いよいよ、本間静香ソロライヴ。
カンテ川島桂子・有田圭輔、ギター徳永健太郎のスーパー協演陣。
いつも通りの静香で頼むと云うと、にっこり彼女は頷いた。
技量もルックスもい~い女に成長した静香だが、
私の中ではまだまだ中学生だった頃のイメージが強い。
おそらくは牧子夫人や淳ちゃん(田代マスター)や私のとなりに降りてくるであろう
故・本間三郎師匠とともに、ダメ出しメモ片手に応援する。
2016年4月28日(木)20時
会場◆高円寺エスペランサ
開演◆20時ジャスト開演(19時半開場 ※終演は21時10分ころ)
料金◆3,900円1ドリンク付(税込)
予約◆立ち見席のみ数席残あり、本日16時までに☎03-3383-0246
終演後のエスペランサは通常営業に戻り、23時まで1500円呑み放題セットあり。
明日は早よから遠足だが、ギリギリまで本間師匠に付き合うつもり。
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2016年4月27日(水)その2533◆誰でも歌えるフラメンコ
ぎゃあ、かっこええーーーーー!!!
タカミツのプロデューサー瀬戸さんが、こんな音源(↓)をアップしてくれた。
論より証拠、百聞は見に如かず、モチベーションはもう満開である!
お申込みはこちら→ paseshop@paseo-flamenco.com
https://www.facebook.com/takante/videos/1338055219554440/?pnref=story
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2016年4月26日(火)その2532◆ふぁるせぇた祝400号
創刊400号を迎えた『ふぁるせぇた』。
パセオの同期の桜である。
編集発行人であるギタリスト吉川二郎さんから寄稿を頼まれ
とりあえずざっと草稿をメモり、のちほど清書して送る段取り。
寄稿よりも奇行に定評のある私だが、
江戸っ子だけに何にしても早いのだけが取柄だ。
巨匠マヌエル・カーノを後継するにふさわしい関西の凄腕コンサートフラメンコギタリスト。
吉川二郎の東京デビューは鮮烈だった。
あのコンサートからおよそ35年が経つ。
繊細にして逞しい煌めくような音楽と、明るく真摯で気さくな人柄。
そういうタイプのフラメンコアーティストとはそれまで無縁だったので、
うれしく面喰らったことを今もはっきり覚えている。
その数年後ほぼ時を同じくして、吉川二郎さんは『ふぁるせぇた』を、
私は『フラメンコ情報誌パセオ』をそれぞれ創刊する。
1984年というのは、この日本に奇しくも同時に
二つの月刊フラメンコ・メディアが誕生した年だった。
寝る間も惜しんで仕事したあの頃の記憶というのは実に曖昧なのだが、
一方で二郎さんのことはよく覚えている。
ふぁるせぇた創刊二年後の1986年に日本人初の自作のフラメンコギター協奏曲を
大阪シンフォニー管弦楽団と協演されたことは、
日本のフラメンコギター界に大いなる衝撃と刺激を与えたものだ。
また、日本フラメンコ協会(現在は社団法人)を設立するために
全国行脚していた折にも、二郎さんにはひとかたならぬお世話になったことも忘れ難い。
当時音楽プロデュースが本業だった私のほうは
編集も広告も販売もまったくの出版ド素人で、
そのことにハタと気づくのは創刊号を出したあとだった(汗)。
闘いながら闘い方を覚える私のやり方というのは、
次々と新たな冒険にチャレンジしながら着実に実績を積み上げる
先輩・二郎さんに少なからぬ影響を受けているはずだ。
創刊から32年の歳月が流れ、四つ先輩の二郎さんも私も今や60代となり、
相変わらず刊行を続けている。
その苦しさ楽しさがもたらすものは、フラメンコの世界では
私たち二人のみが共有する感慨であり、
こうしてふぁるせぇた創刊400号への祝辞を書きながら、
ふとささやかな歓びがこみ上げてくる。
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2016年4月25日(月)その2531◆類似性
ったく何をやってんだ。
過去の文化文明の衰退・滅亡の歴史を学ぶたびにそう思う。
そうした点においてのみ、過去の文化・文明にとてもよく似ているおれ。
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2016年4月25日(月)その2530◆ヒマさえあれば
春もたけなわプリンスホテルである。
亀戸天神のふじ。
根津権現のつつじ。
堀切菖蒲園のしょうぶ。
桜のあとも江戸っ子おやぢはそこそこ忙しい。
ヒマさえありゃあ仕事に打ち込む状況だ。
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2016年4月22日(金)その2529◆夏目星
「こういう天才に、掃除や料理や洗い物をさせてはいけない」
三十余年前、私のプロデュースライヴで彼女のバッハを一聴した、
のちのパセオフラメンコ初代編集長・架光時紀はそう断言した。
ギターを弾く指や爪にもしものことがあってはならぬというのがその理由である。
当時高校生、クラシックギター界のニュースター斉藤明子の天才に異論はなかったが、
男女・職業・体重問わず、炊事・洗濯・掃除を必修科目と認識する私。
互いに手の届かぬ高嶺の花をめぐる、インテリ架光との空しい大議論を
阿呆らしく懐かしく想い出す。
この春アランフェス協奏曲をテレビ収録されたという斉藤明子さんが、
久々の新譜アルバムを発表したことを知り早速にCD入手、
アイポッドに入れ連日大切に聴いている。
メインは28分に及ぶギターソロ大曲『夏目星(Mars)』。
夏目星とは〝火星〟の和名で、斉藤明子演奏を想定した
中村洋子作曲によるオリジナル作品。
宮沢賢治が最も愛した自作童話『双子の星』をイメージの源泉とする
全八章からなるファンタジー組曲で、ほの碧いシンプルな透明感が郷愁を誘う。
永い歳月、丁寧に磨かれた斉藤明子の深化が目に視えるように聞こえてくる。
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2016年4月21日(木)その2528◆わくわくドキドキ
この人のステージにはわくわくドキドキの魅力がある。
来週木曜は、バイラオーラ本間静香の初登場!
座席指定は早々にソールドアウトで、立ち見席(椅子はあります)が数枚残の状況。
川島・有田の最強カンテコンビと、2ndアルバムが話題の徳永健太郎のギター。
初体験となるそのアンサンブルも興味津々だ!
パセオフラメンコライヴVol.21
本間静香ソロライヴ
本間静香(バイレ)
川島桂子(カンテ)
有田圭輔(カンテ)
徳永健太郎(ギター)
2016年4月28日(木)20時
会場◆高円寺エスペランサ
開演◆20時ジャスト開演(19時半開場 ※終演は21時10分ころ)
料金◆3,900円1ドリンク付(税込)
※終演後(~23時)は1500円呑み放題セットあり。
【予約】立ち見席のみ数席残あり
昼(セルバ)☎03-3383-0246
夜(エスペランサ)☎03-3316-9493
かつてスペイン留学中のグラナダの地で出会ったのは、大地に深く根をおろす揺るぎない重心と、より上へ上へと高みを目指す上体とその魂の、二極の激しいせめぎ合い。そんな全身で今の生き様を叫ぶような踊りでした。
「たまらず表出して溢れ出るもの」
いま現在の自分の、嘘偽りのない真っ直ぐな本間静香のフラメンコ、そんな心持ちでこのライヴに臨みます。 そして共演は、川島桂子さん、有田圭輔さん、徳永健太郎さん。最高のメンバーと共に出来る限り頑張ります。(本間静香)
昨秋、日本のフラメンコ黎明期のスター舞踊手・本間三郎の三回忌ライヴでタラントを踊った長女・静香。まだまだ荒削りなその踊りにはプリミティブで強烈な魅力があった。この新人公演奨励賞バイラオーラにパセオライヴへの出演を依頼するのは数年先だろうと漠然とイメージしていた私は、その好ましいインパクトに逆に面喰らったものだ。終演後、相棒プロデューサー(田代淳)に駆け寄り意見を求めようとする寸前、すでに私の驚きを看破していた彼はこう云う「充分行けるんじゃないか」。その瞬間、本間静香へのパセオライヴ出演依頼が決まった。
彼女のフラメンコはとにかく魅せる。セクシーさと清冽さとが渾然一体となったそのベクトルは、フラメンコを初めて観る老若男女を惹きつける広角的魅力を満載している。潔い姿勢で観る者を最後まで引っ張ってゆく、リスクを恐れぬ勢いを見逃すことはできない。(小山雄二)
※月刊パセオフラメンコ2016年4月号より転載
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2016年4月20日(水)その2527◆デブの云い分
やせ我慢は得意技だったが、他人のそれを見るのが辛くなって、
自らそれを止めたのは、太り始めた頃だった。
大ざっぱに云って、人間素直がイチバンだと想う。
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2016年4月19日(火)その2526◆習性
「ほんとは自分で稼いだお金じゃないと強くなれないんだけどね」。
千円札二、三枚を笑いながらポンと恵んでくれた姉貴の、このひと言は身に染みている。
新聞配達スルーで、受験勉強もほっぽらかしで将棋修業に没頭した中学二・三年のころ、
道場通いと上達書籍購入のスポンサーは姉だった。
二年間で四段まで昇れたのは彼女のサポートのおかげだ。
上達本の中でもとりわけ加藤一二三九段の名著『振り飛車破り』には大いに助けてもらった。
そこでの構想力と判断力の具体的トレーニングは、
むしろプロテストに失格にした後の人生の決断力の核になってくれた感がある。
(その結果はほとんど失敗に終わるのだが、論旨が吹っ飛ぶのでここでは触れない)
指し手(定跡)を丸暗記するのではなく一手一手の意味合いを理解し、
常にヴィジョンと現状分析の合算からの次の一手を、
制限時間の秒読みの中で発見しようとする習性。
振付フラメンコも好きだが、タブラオのインプロに強く惹かれるルーツは、
どうやらここらへんにありそうだ。
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2016年4月18日(月)その2525◆これがほんとの
隣家からのもらい火で、小松川の実家は全焼。
パセオ創刊翌年のことだった。
焼け跡を眺めながら、兄は静かにこう笑った。
「綺麗さっぱり焼けちゃったなあ」
兄のその明るい諦観の爽やかさは一生の宝だ。
気丈な兄に張り合う気持ちもあったのだろう。
相次ぐ見舞いの連絡に、私はこう応えた。
「トイレまで焼けちゃってなあ。
これがほんとのヤケクソだよ」
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2016年4月18日(月)その2524◆サクサク感
朝風呂、朝バッハ。
まあとにかく、何が起きてもサクサク対応できるようにしておこう。
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2016年4月17日(日)その2523◆復元力
「右か左か。逆の方向に行けば、煙にやられて死んでたかもしれんな」
当時八つかそこらだった父や、父に手を引かれて
一面の火の海から逃げまわった叔母(父の妹)から、その恐怖体験を幾度か聞いた。
1923年(大正12年)の関東大震災は、東日本大震災以前の日本災害史上最大級の被害で、
復興のための外債は年間国家予算の半分以上だったという。
震災から18年後の太平洋戦争(1941~1945年)では、
今度は日本中が天から降ってくる爆弾から逃げまわる生活が始まるのである。
12歳で働きに出るのが普通だった苦難多き父の世代というのは、
ちょっとやそっとのことでは驚かぬ、また多くを望まぬ質実剛健の世代でもあった。
日本の現実を知るにつけ、昔の人たち(当時の現代人)の
生命力と復元力の逞しさに驚かされる。
自分もまたその構成員の一人なのだという矜持については、
もっともっと自覚的であるべきかもしれない。
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2016年4月16日(土)その2522◆おもちゃ屋
焼け跡の池袋、もしくは上野あたり。
闇市らしきどこか怪しい活気の路地を、母に手を引かれグズりながら歩く。
私は昭和三十年生まれだから、ちょっとおかしいシチュエーションなのだが、
おもちゃ屋に入りたい私はそんな成り行きを期待しながら歩く。
「お父ちゃんには内緒だよ」
ありふれた中華屋でひとつのラーメンをすする贅沢。
薄い焼き豚、なると、支那竹を私に与え、母の器には海苔とほうれん草。
いつも間にか私たちは駒込の母の実家近くを歩いている。
あたりはすでに夕暮れだが、よく法事で出掛けたこの坂の上にある
美しい桜の菩提寺に向かっているようだ。
寺の住職と叔父(母の弟)が囲碁を打っている。
ルールは分からないが、黒石の並びが綺麗なので叔父が有利なのだろう。
私は詰襟を着ていて、母は姿を消している。
「じゃあね、叔父さん」
「うむ、また来い」
パセオの締切原稿を思い出し、寺の裏手から早稲田行きの都電に乗り込む。
目覚めの朝風呂で、そんなたわいもない夢の意味を想う。
いまのおれには編集部がおもちゃ屋なのか、
そう適当にこじつけながら、炊飯器をオンにする。
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