フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

シュタットフェルト [065]

2006年03月21日 | アートな快感


 




       シュタットフェルト





 「ドイツ人なのにバッハが上手い」という、まるで「日本人なのに横綱だあ」みたいなマルティン・シュタットフェルトのピアノ・リサイタル(3月9日)に行ってきた。

 『三度のバッハ』(1月7日付)でも少し触れたが、彼はいま世界中のバッハファンの間でも話題になっているピアニストなのだ。
 1980年生まれだから今年26歳になる。1988年から優勝者を出していなかったチョー難関のバッハ国際音楽コンクールで2002年に最年少優勝した注目のホープなのである。

 会場はビセンテ・アミーゴ公演などでフラメンコファンにもおなじみの錦糸町“すみだトリフォニーホール”だ。アッと驚くような志の高い自主企画公演で有名な知性派ホールである。
 その昔錦糸町と云えば、ちょっとエッチな繁華街という印象があったが、最近はこのすみだトリフォニーのお陰で、まじめな大人(私)もエッチな大人(私以外)も、ともに仲良く楽しめる街へと変貌を遂げたのであった。



             



 会場はほぼ満員である。男女比はおよそ半々だ。
 おそらくはご自分でもピアノを弾かれるであろう20代の女性が目立つ。次いで目立つのが、30代から60代にかけてのバッハ族の男性だ(ここらへんの記載からは例によって私の妄想だ)。
 バッハ族とは楽器に関係なく、バッハのCDやコンサートに出来るだけお金を落とそうと考える種族のことで、私もその端くれの江戸っ子だ。CDもコンサートも、ハズレを引き当てることの方が多いが、それでも良しとするのがバッハ族に共通のプライドである。

 大昔とちがって巨大パトロンなどいない現代なのだから、愛すべきアートは、われら庶民一人ひとりが苦しいフトコロの中から少しずつ出し合って、これを応援してゆくよりないのである。
 私はどう好意的に見てもただのデブおやじだが、好きなアーティストのCDをただでダビングする(印税を渡せない)くらいなら死んだ方がましじゃい的な人間でもあるのだ。

 ま、それはさて置き、フラメンコの公演もこういうほぼ互角の男女比の観客構成になるともっとよくなるなーと私は思う。
 フラメンコの場合は、女性客が9割を越えるケースも多い。私としてはその方がうれしーが、男女半々くらいだと風通しがよくなるし、拡がり方の度合いもまるで違ってくると思うのだ。
 大きな課題だが、これがパセオフラメンコの中長期的テーマのひとつであることも忘れちゃならないだろう。


    ********** ********** **********


 じゃ、本題に入ろうか。なにっ、もう眠くなったって。……俺もだ。
 何せ、本日唯一のプログラム『ゴルトベルク変奏曲』は、元はと云えば某伯爵の慢性不眠症を慰めるために大バッハが作曲した安眠用音楽、というエピソードが残るぐらいの作品だからな。
 シュタットフェルトの演奏中に、私がその第6変奏から第7変奏にかけてついウトウトしてしまったのも、その有名な逸話に敬意を表するための必然的行為だったのである。

 さて『ゴルトベルク変奏曲』は、変奏曲史上最大の名曲であると云われる。
 いわゆる「主題と変奏」である。「主題も変奏」ではない。
 
それだと妙にアバウトな感じが漂ってしまう。むしろ「主題と変装」ぐらいの誤植で済ませてもらった方が被害は少ない。

 キーボード愛好家にとっては大人気曲なので、国際的なツワモノ奏者たちによる100種類以上のCDが世界中でリリースされている。
 そのうち私が購入したのは50種類程度だが、よく聴くのは、チェンバロではスコット・ロス、ピエール・アンタイ、それとあのキース・ジャレット。
 ピアノではグレン・グールド(新盤)、アンドラーシュ・シフ、アンドレイ・ガブリーロフ、マレイ・ペライアなどだ。
 名盤はまさに目白押しで、こうしたCDたちと互してゆくのは至難の業と云っていい。そうした弱肉強食シーンにポーンと飛び出したのが、このシュタットフェルト盤だった。



                        
              『マルティン・シュタットフェルト
                 
/バッハ:ゴルトベルク変奏曲』
            
SONY2003年録音)




 「主題+30の変奏+主題」という構成の大曲なのだが、各変奏のリピートをどうするか、全体のテンポをどう設定するかなどで、奏者によって演奏時間はガラッと変わってくる。
 ちなみにグレン・グールドの場合で旧盤(1955年)は約38分と短く、新盤(82年)は約51分である。シュタットフェルトの場合はこれを約70分で弾く。CDもライブもほぼ同じタイムだった。


 テレビCMなどにもよく使われる、親しみやすいト長調のアリア(主題)のリピートを、意表を突いてオクターブ高く弾いたりするのが彼の工夫のひとつなのだが、これはライブでは実に効果的だった。CDでは伝わりにくかったのだが、彼の高音の音色はとても美しい響きを持っているのだ。ドイツ気質とも云うべき内実をともなう深みのある美しさだ。トリフォニーの優れた音響も追い風になっている。

 透明かつ情感豊かなアリアと、テクニカルな第一変奏。その緩急における正確で豊かなダイナミックレンジを捉えた客席は、彼が看板に偽りのないピアニストであることを早くも察知する。
 音色、テクニック、各音部のバランス、構築性と歌心、そしてそれらを統括するリーダーシップと感性が、数々のコンクールで入賞した輝かしいキャリアを楽勝に納得させてくれるのだ。

 だがしかし、バッハへの道は過酷である。
 曲の中盤のそのごく一部ではあったのだが、バッハの命とも云うべき「旋律同士による相互の高め合い(この曲では2声から4声)」が「ぶつかり合い、もしくはもたれ合い」になってしまうような瞬間があったのだ。
 ロマン派以降の音楽ならばヘマをこいてもひとつの味わいのように転化できる(誤魔化せる)ような余地が、バッハの音楽にはひとつもないのだ。
 何百年かかっても自分では弾けないので、私たちはプロのアーティストにお願いして弾いてもらうわけだが、それにしても私たち聴き専のその要求は余りにも苛烈なのだな、と何だか気の毒になってしまう瞬間でもある。



          



 だが、そこで負けてしまうマルティン・シュタットフェルトでは当然なかった。
 後半の山場である第25変奏(ト短調/アダージョ)。
 それはあたかもアレグリアスにおけるシレンシオのように曲全体の陰影を際立たせる重要な役割を担う部分なのだが、そこでの彼のピアニズムは客席に極上のひと時をもたらした。
 このしっとりとしたロマンティックな祈りを、彼はその美しい音色、絶妙なバランス感覚、思わずクラッとくるような瑞々しいセンスで、ギリギリ限界まで歌い上げてみせたのだ。

 さあ、その情緒的クライマックスでバッハと完全に一体化したそこからのシュタットフェルトは、お見事のひと言に尽きた。
 魂が乗り移った上に、技術はパーフェクトなのである。
 続く超テクニカルな変奏たちをひとつの揺らぎもミスもなく、まさしく完璧な推進力をもって駆け抜けた上に、おしまいの大団円たるアリアで、う~ん超ナットクぅー!という共感のタメ息がもれる美しさで締めくくってみせたのだ。
 私たちはその胸のときめきに、何度も腰を浮かしそうになりながらも、それらを一息で聴いたように思う。

 各声部は、まるで異なるキャラクターの生き物であり、それらが互いに堂々主張し合いながらも、最終的にはひとつの明確なヴィジョンに向かって全体的に協調し合うという、まさしく理想的なバッハを体現していたのである。
 計らずも私の脳裏に飛来したものは、アントニオ・ガデス舞踊団のあの一糸乱れぬ群舞シーンだった。

 ヒイキのチームが2対3で1点リードされた終盤、7・8・9回で計10点を叩き出し、終わってみれば12対3の大勝だったゲームを観たような、実にスカッとした爽快感があった。
 カーテンコールと2曲(バッハの編曲もの)のアンコールを入れて、休憩なしピタリ90分のコンサートは快い充実に充ち、私はその幸福な余韻に今も浸っている。
 とりわけ彼がアンコール最後に弾いた『イエスよ、私は主の名を呼ぶ』の心に染み入る響きは、早くも懐かしい想いをかきたてる。ケンプやブレンデルの名演にちっとも負けてなかったぞ。
 メロディ・メーカーとしても超一流のバッハがけっこうマジで書いたこの可憐な哀愁メロディは、客席でしみじみ聴き入る私たちに忘れがたい余韻と明日への活力を与えたのだ。


 さて、プログラムを見て驚いたことに、このシュタットフェルト、ソニーから今年だけでもあと4枚のCDの国内発売が決まっているという。
 オール・バッハ、バッハの協奏曲、バッハ&シューマン、そしてモーツァルトの協奏曲(20番と24番/自作のカデンツァで暴れるらしい)の4枚とある。このクラシック不況の折に異例の事態である。うれしすぎるぞー。
 この未完の大器のCDと来日コンサートはとりあえず十年くらいは追っかけてみようかと、私は思った。



        



 「ゴルトベルクすみだトリフォニーで!。そんな定評を築いてみたいんです」。

 先月だったか、私のボロ愚(三度のバッハ)を見た、ビセンテ・アミーゴ以来の付き合いになるトリフォニーホールのU氏からそんな抱負をのぞかせるメールをいただいた。
 プログラムを見ればなるほど、『トリフォニーホールのゴルトベルク変奏曲/セルゲイ・シェプキン(2007年3月)』の予告がすでに入っている。なるほど、強ぇーピアニストによるゴルトベルクを定期でやる気なんだな。うれしーぞ。そっちがその気なら、こっちはマイ年中行事(梅と桜のあいだの頃)に入れちまうから覚悟しておけよ。


    ********** ********** **********


 さて、今日はずいぶんと長くなってしまった。
 読む途中、何度か爆睡してしまった方も多いことだろう。私もそうだ。意外なことに書いてた時間より寝てた時間の方が長い。
 ゴルトベルクについては聴くのも読むのも書くのも、それが正しいスタンスなのである、と私はこの曲にまつわる有名なエピソードを信じ、そう思うことにしたい。

 ところで、あまりのつまらなさに即読むのを放棄した約十割弱の方々よ。余計なお世話かもしれんが、

そんなことでは
  
 睡眠時間が足らんと思うぞっ!!

 






 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿