フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

バロメーター [その262]

2009年04月21日 | アートな快感







             バロメーター

 

 

 「アートの仕事がしたいんなら、バッハだけはきっちり押さえといた方がいいよ」

 万年学級委員だった五つ上の従兄弟の勉あんちゃんは、高校生の私にこう云った。
 昨年の法事の席で、あのひと言でオレ助かったよと礼を云うと、すでに後光のまぶしさではあのザビエルを軽々と超える勉あんちゃんは、そのエピソードをまったく覚えてなかったが、そーか雄ちゃんが生きてんのはオレのおかげだったか、じゃあとりあえず今度寿司おごれ、目が回らないやつでさっ、と私を恐喝した。

 若い頃に、自分が好感を持つ人から自分に向けて発せられる言葉というのは、案外に強烈な影響を及ぼすものなのかもしれない。
 勉あんちゃんの冒頭のひと言で、私のバッハ好きには相当の拍車がかかったはずだ。


               


 かつてはギターやリコーダーで自らバッハをプレイしたこともある。
 テクニックとリズムと音色と解釈と音楽性と暗譜の問題などを除けば、そんなに悪い演奏ではなかったと思うが、私がバッハを練習する時には、誰も私に近寄ることはなかったことを思い出す。
 ついでに、他の曲を練習する時にも、誰も私に近寄ることはなかったことを思い出す。

 本格的にバッハを聴きはじめたのは高校時代だから、そっちの方はすでに40年近い年季が入ってる。
 その当初から、バッハ関連のライブや楽譜・書籍やレコードに使った金だけはハンパじゃなかった。
 自らそれをハイレベルに体現できない以上、その道の専門家を縁の下から支えるのはファンの使命だと思いたい、ギブ安藤テイクな私なのである。
 そのためによく働いたし、よくメシも抜いた。


             


 ヨハン・セバスチャン・バッハ(ドイツ/1685~1750年)。
 単純に生理的に好きなのだが、もちろんそれだけではない。
 この音楽をバックボーンに生きる限りは、いっくら世の中が厳しくてもそう簡単にはくたばらねーぞ的に、チキンなハートの内側に、じんわり勇気が湧いてくる感触がいかにも頼もしかった。
 また、日常的にバッハとふれあうことには、いつでも危なっかしい私が人の道を踏み外すのを辛うじて回避させてくれるお守り的効果もあったかもしれない。

 NASAが異星生命体との交信用メッセージとして選んだバッハの音楽は、数学的であり、かつ文学的であるとよく評される。
 数学と文学の行き着くところは結局は一緒なんだと誰かが云ってたが、バッハの音楽には、まさしくそんなファンタジーがある。
 感性その他もろもろに不足のある私のようなタイプの人に限って云うと、彼らが自分の心の中に確かなバロメーターを築きたいと願う場合、その製造手段としてのバッハは、なかなか有力であるかもしれない。



[フィロメーナ・モレッティ/バッハ・アルバム◇TRANSART 2004年]


 さて、バッハのお気に入りCDは、季節や天候や気分などでコロコロ変わるが、近ごろはギターやリュートのバッハを集中的に聴いている。
 端正なジョン・ウィリアムスや、名人アンドレス・セゴビアを現代風に後継するクリストファー・パークニングや、リュートのホプキンソン・スミスなんかを特に好んで聴くが、今もパセオに流れるように、ここ数日はイタリアの女流ギタリスト、フィロメーナ・モレッティ(1973年~)にハマっている。
 ライブ録音なのにほとんどノーミス、しかもノリノリのバッハなのである。

 バッハ演奏においては淡々とインテンポつーのが通常的なのだが、彼女のバッハは、自由奔放にほんとうによく歌う。
 だが、やりたい放題というのとはちがって、その強靭なテクニックの裏側には、それ以上に強靭な信念がみなぎっている。
 おざなりをよしとせず大胆な表現に踏み込む、その心意気そのものが何よりうれしい。
 最初は少なからず抵抗があったが、ここまで徹底的にやってくれんのなら、ま、いーか、バンザ~イ、みたいなことになりつつある。

 信念ある一貫性が、ハイレベルなある水準を充たしたとき、それが人々の好みなんかを楽々超えながら直接ハートに飛び込んでくるのは、何でもかんでもいっしょみたいだな。
 その昔の銀座・数寄屋橋あたり、ふと足を止めて聴いた赤尾敏さんの辻説法。
 右でも左でもない私だが、ふいに浮かんだその面影が妙に懐かしかった。

 


[フィロメーナ・モレッティ/バッハ・アルバムvol.2◇TRANSART 2008年]