ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

子供の「安心安全」はあるのか。親が、子供の送り迎えをするしかない。

2017-07-16 | 安心安全

At Your Own Risk
自分の責任に置いて、自分の判断で、どうぞご勝手に。
ためになる言葉である。
日本の教育に欠けているのはこの精神なのだ。

「自己責任」という言葉がなんとなく流行ったが、多くの事例で、日本以外ではAt Your Own Risk である。
日本の公教育は、ぞっとするほど、子供を甘やかす。ついでにその保護者までも甘やかす。

日本の教員のなかでも、小学校教員は世界一良質だと思うが、その中身は、児童の面倒見の良さで世界一なのである。子供の能力を十分に伸ばすことによってではない(例外有り)。

これは、日本の初等教育の強さでもあり、弱さでもある。
フランスの学校で、門の外で生徒が交通事故にあった。窓から見ていた教員は誰一人席を立たなかったという。
門の中に入るまでは他人である。門を出れば責任外である。
その境目は明確である。責任の範囲がはっきりしている。
学校の責任は、校内で、しかも生徒の始業時から下校時間までである。それ以外は生徒自身の責任に置いて生活せよ。

日本もそうなるべきなのか。

その通り。そうなるべきである。
そうでなければならないのである。
でなければ、何時までも、余計かつ無駄なことに学校教員が関わり、その揚げ句、日本の教育は今以上に愚かなものになるだろう。

ーーーー

いまだに太平楽ではなかろうか。「安心安全」が合言葉である。

一歩家を出れば、大人も子供も、その先は闇である。真っ暗闇にもかかわらず、自分のまわりはいつも安全だ、と決めつけるのは日本人の我が儘である。

他国では、毎日、事故や犯罪で人がどんどん死んでる。日本でも、たまには死ぬこともあるだろう。

学校は、多くの子供を集めて、教育活動という「危ない仕事」を進める場所である。怪我や病人はつきもので、児童生徒学生が死ぬこともある。それは望ましくないことだが、必ずあり得ることである。
そのたびに、感情的になって道徳論を説いてもはじまらない。後は金銭的な解決が残るだけである。

「学校」に対しては、多くの大人(子供も)にとって、唯一、言いたい放題で自分の身勝手な我が儘をぶつけることができる、現代の「オアシス」である(だから、学園ものは人気がある)。

しかし、この風潮はいかがなものか。
学校も教員も、通う子供も、様々である。一々問題を詮索すると、きりがない。


たとえ、今現在が不況だとしても、まだ周りの人々は飢えてない。ダイエットだとか何とかで、肥満を揺すって歩いている。
都会ではビルが爆破されてない。スカイツリーは陽を浴びて屹立している。皇居周りは朝夕、男女がランニングしている。国賊国会議員がまとめて狙撃されたという話もきかない。
たまに殺人がおこると、すぐに全国ニュースになる。
太平楽と言えなくもないのではないか。
しかし、それでも「登下校が危険だ。どうしてくれる」と言い出す。

あの程度で危険だと思うなら、家から出るな。
広い世間だ、色々な人間がいる。悪人も多いと心得よ。
第一、北朝鮮に、生徒学生社会人が多く誘拐され、利用され、殺されたりしてきたではないか。それは無視しておいて、何を今更、危険ぶるのだろう。

我が子が心配なら、登下校付き添って、学校の門まで送り届けるがいい。日本以外では、それが常識である。

学校が、親の批難を避けるために、安全指導、登下校指導だので、お茶を濁す。見てはいられない。
母親は、子供を送り出すと、さっさとお勤めに出かけるのである。またはテニスやゴルフのお仲間とおしゃべりに夢中である。
子供は学習塾の帰りに、平気で夜の10時でも11時でも、コンビニエンスストアでお買い物である。

一歩家を出たら、親子ともども、戦場と心得よ。

学校給食、生活指導、地域との連携。どれもこれも、学校教育を馬鹿にしきっている。学校を託児所に、教員を便利屋にしようとする。

学校は学問を教えるところである。それ以外に仕事はない。できない。してはいけない。
親や子供の甘えを増長させるだけである。 

話があちこちしたが、学校は、ばたばたするな、ということが言いたいのである。特に公立の小中学校は、もっと落ち着くがいい。
学期はじめに、日本の古典や、日清日露の戦の話を、ゆっくりと語って聞かせてみたらどうか。

以上の話は、登下校中に遭遇する、精選錯乱または心神耗弱状態で車を運転する者どもには、当てはまらない。あれは犯罪である。厳しく処罰するがいいだろう。



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