ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

先輩、すごいです。巨悪の根源のテレビ。必要な鑑識眼。

2017-08-13 | NHK 日本放送協会

 

中学生から大学生にかけて、部活動の影響だかなんだか知らないが、とってつけたような敬語に類する言い回しをする子供が多い。
先輩、何々です。何々ます。というように、ですます言葉なのだが、妙に気に障る。それもそのはずで、「場違い」なのである。
教養も品もないようなのが、あの顔と態度とで、同じくそれ以下の「先輩」に向かって、何様じゃあるまいし、「~です~ます」とは、聞き苦しい。
「子供同士」は分相応に、いつもの子供用語を使うがいいだろう。
丁寧語をつかいたいなら、せめて漫画雑誌やテレビばかりではなく、少しはまともな本を読んで、日本語を話したらどうだ。そうすれば「ですます言葉」も、少しは、身についてくるだろう。

以上で、ご理解頂けたと思うが、それでも分からない人やわかりたくない人のために、もう少し説明しよう。

中学高校大学生の言葉遣いが異様な感じになってきたのは、平成になってくらいからである。
聞いていて、無理がある。自然でない。
丁寧語を話すにはそれなりの話し方というものがある。それを無視して、ただ、「先輩、~~です。~~ます。~ですか。」では、違和感がある。しかも相手が相手である。薄汚い同士が、言葉ばかり洒落ても、無駄である。

子供の下手な丁寧語ぐらいで、目くじらたてるな、という意見もあるだろう。
しかし、だれでもが口にする「ですます言葉」とはいえ、不勉強な中高大学生の口から発せられると、なんとも不気味不愉快嘔吐唾棄嫌悪なる気分になるのはなぜだろう。 
まことに不思議である。

これを品と言い、教養という。
「ですます」ですら、まともに言えない子どもが増えてきた。原因は、ご推察の通り、テレビである。テレビの司会者や解説者と称する芸人等が、インチキ言葉の震源である。テレビの巨悪は、かくのごとし。

では書籍はどうなのか。
書店には本雑誌の類が山積みである。それなりに売れているのだろう。しかし売れ筋の本はごく一部で、ほとんどは返本となる。
無駄に多すぎるのである。

あれは、本が豊富なのではない。数少ない良書を、読み手の目に触れさせないように、駄本で取り囲んでいるのである。読むべき本を、ごみ本の中に埋没させ、すぐには見つけることができないようにさせるためである。

次から次へと印刷される月刊誌、シリーズ本、単行本新書文庫は、出たと同時に大量廃棄物である。
出版社も商売だから仕方がないが、平気で出し続けることすのは、それなりに売れるからだろう。してみると、私たちの新物食いも相当なものである。

出版業は虚業である。正業の仮面をかぶったイカサマである。客にとりあえず、買わせればいい。
「どうすれば食いつくだろうか」と、ない知恵絞って、アイデアを搾り出す。その場限りで、売れてしまえば、後は野となれ山となれ、である。

ところで、古人は、多くの学問的遺産を残したが、彼らには読むべき書物は多くはなかった。
数少ない良書を熟読吟味して、新しい創造へと結びつけた。

現代ではどうだろう。
書物はあふれかえり、誰でも簡単に手に入れることができる。
書物の山を片っ端から読んだとしても、それでいったいどうなるのだろう。
繰り返しになるが、読まないほうがよいような、時間と金と資源の無駄になるような、そんな本が多すぎる。
ごく少数の良書は、読む意味のない、または絶対に読むべきではない大量の本の中に、埋もれてしまっている。

インターネットの普及した現代を、仮にネット時代と呼ぶのなら、ネット時代の読書とは、数少ない良書のみを読むことをいう。
多くの知識、細々とした知識の断片は、ネットで検索し、参照すればいいのである。
基本書の熟読とネット検索の技術とがあれば、それなりの理解に到達できるのではないだろうか。
学校での、国語の授業の目的は、子供が自分にとっての良書を、他の多くの愚書から読み分けて、選択できる「鑑識眼」を育てることではなかろうか。
そうなれば、日常の言葉の問題も自ずと解決できるに違いない。



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