a green hand

a green hand =未熟な人  日々の生活における自分の未熟さを綴る

生老病死

2017-07-01 | Weblog

義弟が亡くなり今日で1週間、あっという間に仏事が終わってしまった。

一月に入院し、半年間、孫と娘たちとの時間を濃く過ごした。
若い頃、未熟者の親たちが仕事に忙殺されている間、義弟はうちの子供たちに大変よくしてくれた。

それを親よりも感じていた子供たちは、互いの結婚式以来、疎遠になっていた叔父との面会を果たし、お別れをしていた。

脳への転移のため言語に障害を持つ義弟は話せなくても可愛がった甥と姪のその心を感じてくれていたに違いない。



今月24日 、姪から知らせをもらい夫と駆けつけた。

観察室に移された義弟は 、額呼吸で苦しそうに息をしていた。
我々の訪問を告げる姪の声に眼球が動いた。

布団の中の手を私は暫く撫り、力なく握り返す手に苦しさなのか私への言葉なのか分からないものを感じていた。
「可哀想だね〜」「苦しそうだね〜」の言葉は出ても「頑張って」と言う言葉は一切思い浮かばなかった。
主治医の話だと今日か明日と告げられたという。
苦しんでいる姿に「早く妹のそばに行けますように」と心の中で繰り返し祈っている自分がいた。

30分ほど病室にいて帰ってきた。


家に着き、すっかり疲れた私はソファーで微睡んでいた。

別れてから3時間後だった。
とても静かに妹の元に旅たったという。

最愛の娘2人と孫2人、そして私の妹と5人に見守られた静かな臨終だったという。

妹があんなに静かな最期を見たのは初めてという。
延命をしないという最期は、血圧が下がれば静かに息をひきとることができると知った。

半年の闘病であったが義弟の家族や甥 姪との濃い時間でもあった。



通夜の席で説法があった。
人生の4つの苦 についてだった。

「生まれること 」「老いること 」「病気になること 」「死ぬこと」

誰にでも平等に訪れる苦しみ「生老病死」である。

老は20歳からと説いていた。
早すぎて長いというのが私の感想………😔

いかに受け入れ、人生に意味を見出すかの「幸せ」の答え
それは、どの年齢であっても「今できることを一生懸命すること」に尽きるようだ。

それぞれの苦しみに抵抗が大きければ大きいほど苦しみは増すように思えてならない。

それほど私は高齢になったと自覚した。



ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 大学病院というところ | トップ | 病室から »
最近の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事