日々徒然に

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それぞれの5月…異動先での仕事

2017年05月14日 | Weblog

 こんにちは。
 連休明けの疲れはいかがですか。そして、仕事ははかどりましたか。
 はやいものです。連休が終わったと思ったとたん一週間がすぎていきました。ぼくにとっては、新異動先での初めての生活がはじまったところです。

 さて今週はどんなことがったのでしょうか。
 福島の原発事故の森林除染で下請け業者が一部が工事を終えたかのように偽装した写真をつけ過剰請求をしていたという記事がありました。
 なんとも、単純な偽装で何千万もの除染費用が騙されていることに税金の無駄遣いがわかります。それを写真だけで判断してしまって、実際現地に見にいかないというのがわかりません。他人のお金でやっている意識があるように思えた記事でした。けっきょく騙されたということでしょうか。請負業者も困りものですがそれを確認しない職員も困りものです。そのために働いている人が違うことで働いて利益を得ていることでしょう。

 要は働いていなくて利益をあげようとする人、それを無視している人。当人だけの問題だけではなく、これは、私たちの税金への意識もあるように思えます。最近、つくづく感じることは、「年金」のことです。
 さんざん給料から差し引いておいて、請求をしなかれば受け取れないということに怒りを覚えます。それも、とても複雑な書式で何度も確認するほどです。以前みた「わたしは、ダニエル・ブレイク」という映画を思い出します。役所は本当に私たちの味方なのかという気持ちになってきます。

 




 今週、あらためて「辞令」が出ました。異動先は、2年前にいた元の職場でした。今回戻ってきての感想は「世代が変われば空気も変わる」ものだということでした。上司が替わって、平均年齢が20年もの差がある職場となっていました。とはいえ、元いた職場です。知らない人達でもありませんが…。話もできるだろうと思っていました。

 さて、異動先での現実は。
 前任者がつかっていた材料がまだ残っていました。眺めてみれば、机の上には余計なものが多くて少しずつ片づけておこうと考えています。
 けっきょくのところ、ぼくにとっては2年前にいた職場であり、やりやすいと思っていました。ところが2年も職場を離れていると、何か違う空気があるように思えました。何がいちばん違ったといえるのかといえば、上司がちがっていました。職場を見渡せばこの上司の色に染まっているのでしょうかねえ…。
 のんびりやっていけたらと思っていますどんな文章にめぐりあえるのか楽しみのある一方、職場の人たちとは距離があるようです。
 それは何か…。
 
 2年前と同じ窓際の机に座っての仕事が始まりました。ぼくの仕事はすべての雑誌、新聞の「内校」が中心です。多く人の文章を読みながら、間違っている字や使い方についてチェックをいれる場所でもあります。
 だんだん以前の仕事の記憶がよみがってくる日々でもありました。
 一人職場の時は、一人で決め一日の仕事を終わらせていった日々でした。ここでは、誰かの工程を追いかけて仕事をしていくというやりかたで気を使う職場でした。

 世の中うまくできています。一人の職場のときは仕事は大変でしたが、誰に気を使うこともあまりなく過ごしてきました。ここでは、何をやるにも他人の流れの中での仕事です。
 これが疲れます。それでも、その分、ここにきたメリットを最大限いかすことにしていきたいと思います。それは、休暇をとれることでしょうか。これが最大のメリットでしょう。ほかはいまのところ何もないように見えます。

 ここでいちばんやりたいことは、文章の言葉について考えていきたいと考えています。2年前もそうであったように思いますが、ここではそれがメインでしょうか。
 さて、それを許す環境ができているか、これから眺めていこうと思います。

 「生活上の多くの悲劇は、距離を置いてみているとしばしば喜劇となります」(折々の言葉・斎藤環=4月23日/朝日新聞)

 ぼくの職場「一人職場」はここに来ても同じです。窓際に座って仕事をしながら眺めていく中でさまざまな出来事がどれだけ自分という人間をつくっていくのだろうかと思います。とくに、以前ここへいた時の上司が替わったということもあって、一人の人を眺めているだけでもその職場の形ができていくのでしょう。それがどんなものなのか眺めていきたいと思います。なぜなら、彼らはこれから、ぼくにとって大きくのしかかってくる問題な人であったり、助けてくれる救世主になったりするでしょうから…。

 「再雇用2年目」の日々が始まりました。
 ここでもできるだけ、ペースを守っていきたいものです。それは今の自分の身の丈にあった仕事をするということです。



「最後に」
誰かが私を笑っている
こっちでも向うでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃない
「最後に笑うものが最もよく笑う者だ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れず微笑みたいものだ
樺美智子(1956年)


※日々の生活に疲れたとき、自分に言い聞かせる一つの指針となるような「詩」だと思います。十人いれば十人の意見や価値観があります。それが自分にとっては、とてもいやなものに思えてもさけることができないのが現実です。それが生活でしょう。新しい職場にうつって一週間、誰もが理解してくれないことも自分にとっては必要なものなら大事なことだと思います。大事なことは、他人の価値観ではなくて、自分が成長できる価値観をもつことでしょう。他人のいうことにブレることないものをつくる毎日を送っていきたいと思います。今、自分のできることしかできない現実を励ましてくれる詩だと思います。



 今月と来月、いままで地方から東京に来て一緒に働いていた人、二人があいついで東京での生活をただんで故郷に帰る知らせを聞きました。
 ぼくも東京にきたころはよくお世話になった人たちです。考えてみれば、お世話になるだけだったような気がします。ちょうどNHKの朝の連続ドラマの「ひよっこ」のような生活でした。見るもの食べるものが面白くて、都会の満喫した時代でした。この都会で半世紀以上住んだことになります。
 東京を去る両人はどんなお思いでいたのでしょうか。
 6月送別会をやる予定です。そんなことも聞いてみようと思います。

■「女三界(さんがい)に家なし」という言葉あります。意味は「三界」は仏語で,欲界・色界・無色界,つまり全世界のこと。女性はは「三従」といって,幼い時は親に従い,嫁に行っては夫に従い,老いては子に従わなければならないとされるから,一生の間,広い世界のどこにも安住の場所がない。女に定まる家なしという意味だそうです。
 ぼくは、この言葉を現代風に言えば、女性だけにいえる言葉ではないのではと思います。けっきょく「根なし草」という言葉がうかんできます。都会に住む地方出身者にとっては、都会では会社に従い「過労死」、町では金銭に従い「低賃金」、老いては若者の勢いに押されて従い「一緒に歩けない」…、と行き場を失って最後は「孤独死」と。日本はますますこの方向に向かっているように思えてしまう。



 今週は異動してやっとまともな仕事ができるように落ち着いてきました。後は、同じ引っ越しをしたこれまで一緒にやってきた新聞と月刊誌がうまく動いていくサポートです。バタバタとしていましたがどうにか動き始めたようです。おそらく、これが落ち着いたら反省会でもやってみる必要があると予定しています。それにしても、こんなことをどうして、やるべき人が提案してこないのか…、やりずらいですわ。
 それでは今週はこの辺で失礼します。
 来週は、月刊誌の責了日。うまくいくといいのですがこちらが非常に心配です。初めてなのでサポートに行く予定です。

 それにしても毎回同じであきているでしょうか?すいません。
 では、読んでくれた人、ありがとうございました。
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