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著書『誇りに思う日本人たち』
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3月21日・バッハの精神

2017-03-21 | 音楽
3月21日は、国際人種差別撤廃デーだが、作曲家バッハの誕生日でもある。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、1685年(ユリウス暦による)、現在のドイツのアイゼナハで誕生した。ヨハンは8番目の子だった。
父親は町の音楽監督で、その兄弟も、教会のオルガン弾き、宮廷音楽家、宮廷作曲家など、みんな音楽関係の仕事に就いているという音楽一家だった。ヨハンは父親に、バイオリンや音楽の基礎理論を教わった。
ヨハンが9歳のころ、母、父が相次いで亡くなり、彼はオルガン弾きをしていた、14歳年上の長兄のもとに身を寄せ、音楽の勉強を続けた。
バッハのキーボードプレイヤーとして才能は、しだいに地域に知られるところとなり、18歳のとき、アルンシュタットの聖ボニファティウス教会のオルガン弾きに就任。それから、オルガン奏者として、いく度か転職をした後、32歳のころにケーテンの宮廷音楽家となり、演奏と作曲に従事した。その後、ライプツィヒの音楽監督、ザクセンの宮廷作曲家に就任。
64歳のころ、目の白内障が悪化し、バッハは手術を受けた。しかし、手術は失敗し、目の見えなくなったバッハは床にふし、後遺症に悩まされた。1750年7月に没。65歳だった。

バッハは、それまであった音楽を分析、整理し、バロック音楽を集大成した人で、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンら後世の大作曲家たちに絶大な影響を与えた。しかし、その死後は、彼の息子たちは演奏者として活躍していたものの、バッハ本人の作品は、一般には百年近くのあいだほとんど忘れ去られていたらしい。
その後、バッハを再発見したメンデルスゾーンが、1829年にバッハの「マタイ受難曲」を取り上げて演奏し、それをきっかけに一般にもバッハが再評価されるようになった。
1950年代に天才ピアニストのグレン・グールドが、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を新しい解釈で演奏して、音楽界に衝撃を与えた。
おそらく、これからも人類が音楽を聴きつづけているあいだは永遠に、バッハ作品は再発見され、再解釈されつづけていくのにちがいない。

キリスト教徒でなくとも、バッハの曲を聴いていると、バッハの信仰心のあつさを感じ、胸を打たれる。「G線上のアリア」「主よ、人の望みである喜びよ」「マタイ受難曲」など。
バッハは作曲をするとき、五線譜に音符を書き記しながら神に祈ったという。バッハを聴いていると、そういう感じがわかる。

バッハの「管弦楽組曲 BWV 1068」の第3番第2楽章「アリア」を、後世の音楽家ウィルヘルミがニ長調からハ長調に変えて編曲し直し、ヴァイオリン独奏曲とした。そうやって調を変えると、ヴァイオリンのG線だけで演奏できることから、この曲は「G線上のアリア」と呼ばれる。この曲のように、バッハが作った曲は、なめらかな主旋律が展開されている底のほうで、低い低音が、ゆっくりとした、しかし、たしかな足どりで動いてくる。こうした低音部について、バッハはこう言っている。
「通奏低音は音楽のもっとも完全な基礎であり、通奏低音の究極の目的はあらゆることばと同様、神の栄光と魂の再生である」
(2017年3月21日)



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