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2月18日・ロベルト・バッジョの目

2017-02-18 | スポーツ
2月18日は、インドの聖者ラーマクリシュナが生まれた日(1836年)だが、至上のサッカー選手、ロベルト・バッジョが生まれた日でもある。

ロベルト・バッジョは、1967年、イタリアのカルドーニョで生まれた。8人きょうだいの6番目の子で、小さいときからサッカーに秀で、地元のユース・チームの選手として活躍し、1試合で6ゴールを決め、プロ・スカウトの目にとまり、15歳のとき、プロ・デビュー。
彼は、セリエC1のヴィチェンツァというチームからキャリアをスタートした。高い技術に裏打ちされた、想像力豊かな華麗なプレーと、圧倒的なゴール決定力でチームの勝利に貢献し、18歳のとき、セリエAのフィオレンティーナに移籍。ところが、右ひざをけがし、2シーズンを棒に振った。それでも、チームはバッジョの回復を待った。けがが回復して、戦線へもどると、バッジョは大活躍して、地元フィレンツェはバッジョのプレイに熱狂した。バッジョが、当時の史上最高額の移籍金でトリノのユヴェントスへ移籍することが発表されると、フィレンツェでは暴動が起きたほどだった。これは、フィオレンティーナのオーナーの一存でおこなわれた移籍で、バッジョ自身も当惑したといわれるが、ユヴェントスへ移ったバッジョは、やはり大活躍して、チームをUEFAカップ優勝に導き、バッジョ自身も国際サッカー連盟(FIFA)の最優秀選手に選ばれた。以後、バッジョは、ACミラン、ボローニャ、インテル、ブレシアとチームを変えて活躍し、「ファンタジスタ」の名をほしいままにした後、37歳で現役を引退した。
一方、サッカー・ワールド・カップにおいては、1990年イタリア大会(第3位)、1994年アメリカ大会(準優勝)、1998年フランス大会(ベスト8)と、バッジョは3大会にわたって代表として出場し、いく度となく奇跡的なゴールを決め、母国を窮地から救い、勝利へと導いた。3大会を通じて、バッジョを擁するイタリアは、一度も試合のスコアで負けたことはなく、敗北はすべてPK戦による。
引退後は、国連食糧農業機関(FAO)の親善大使として、貧困や飢餓撲滅のために奔走し、病院への寄付、ハイチ地震への寄付、ミャンマーのアウンサンスーチー氏解放に尽力し43歳のとき、ノーベル平和賞受賞者世界サミット事務局から「平和サミット賞」を受けた。

バッジョはサッカー史に残る数々の名場面を演出してきたが、いちばん印象に残っているのは、サッカーW杯の1998年フランス大会、グループ・リーグのイタリア対チリ戦で見せた、相手ディフェンダーの手をねらって蹴ったボールである。
試合の後半の終わり近く、イタリアが1対2でリードされている悲壮的な場面で、バッジョは敵ペナルティーエリア内にいる相手ディフェンダーの手にボールをわざとぶつけ、PKを得て、みずからゴールを決めた。試合は2対2の引き分けで終了し、イタリアは貴重な引き分けポイントを手に入れた。
あのキックを見たとき、背筋に寒いものを感じた。勝負師バッジョのすごみを見た。どんな絶望的な状況でも、活路を見いだし、あらゆる手段を使って勝ちにいく。つねに自身の勝利を確信していて、最後の最後までその確信を捨てない、そういう強い意志を感じた。
バッジョの目はいつもキラキラと鋭く輝いている。それは、獲物をねらう黒ヒョウの目に宿る光である。あの光がほしい。バッジョの趣味はハンティングだという。
(2017年2月18日)



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