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著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

12月31日・林芙美子のすごみ

2016-12-31 | 文学
12月31日。大晦日は、シンガー・ソング・ライターのジョン・デンバー(1943年)が生まれた日だが、作家、林芙美子(はやしふみこ)の誕生日でもある。

林芙美子は、1903年の大晦日、下関(北九州の説もあり)で生まれた。父親はテキ屋だった。芙美子が4歳のころ、父親の浮気がきっかけとなり、彼女の母親は彼女を連れ、父親の店の番頭をしていた男といっしょに家出した。この番頭が芙美子の養父となった。
旅商いをする両親について芙美子は九州、山陽地方を転々とした後、13歳のころ、広島県の尾道に落ち着き、ここで7年ほど、小学校から高等女学校までの時期をすごした。
夜や週末に働きながら通った女学校時代から、彼女は詩や短歌を書いては新聞に投稿する文学少女だった。
女学校を卒業した芙美子は、19歳になる年に上京し、会社の事務員やカフェの女給をし、男と同棲や結婚、離婚を繰り返しながら、同人誌に詩や小説を書いた。
宇野浩二の泊まっているホテルに押しかけて教えを乞うたり、徳田秋声の家に出入りし、紹介状なしに新聞社や出版社に乗りこんでいき、書いた雑文の原稿を置いてきたりした。たいてい原稿は不採用のまま郵便で返却されてきて、年に2、3度くらい採用されて原稿料が入ったという。
25歳のとき、雑誌に『放浪記』を連載するとこれが好評で、原稿の大幅な改稿、書き下ろしを加えて同作品は単行本として出版された。『放浪記』はベストセラーとなり、林芙美子は一躍大流行作家となった。
彼女は小説執筆に講演にと引っ張りだことなり、戦争がはじまると、新聞社の特派員、または内閣情報部の従軍作家として、南京や漢口などの戦地へ出かけ、各地の軍隊を慰問してまわった。
戦後も忙しく取材、講演に駆けずり回りながら執筆を続け、1951年6月、心臓麻痺で急死した。47歳だった。
作品に『清貧の書』『晩菊』『浮雲』などがある。

『放浪記』は舞台化され、森光子がでんぐり返しの演技を披露して2000回以上のロングラン公演を記録した。

林芙美子の『風琴と魚の町』が、高校の国語の教科書に載っていて、授業で習った。作者が子どものころの体験を題材にした話で、旅商いをする父親が怪しげな薬や化粧品を仕入れてきては、たまたま汽車を下りた町の縁日で売りさばく、子どもはいつもお腹をすかせていて、白いごはんと聞くと涙が出てくる、というような話で、強烈な印象だった。「尾道」という街の名をこの小説ではじめて知った。

出版社の編集者が、日本文学全集のなかの「樋口一葉」の巻の推薦文を、林芙美子に頼みにいったという話がある。林芙美子は推薦文を書いたが、ほんとうは樋口一葉が嫌いで、
「あんな六区のペンキ塗りの看板みたいな話、どこがいいの」
というようなことを言った
。浅草の六区は、演芸所やストリップ小屋が並んでいたところで、林芙美子が言う感じはよくわかる。林芙美子と、樋口一葉とでは、たしかに東と西の地平線ほどちがうかもしれない。

林芙美子の作品は実生活の体験に裏打ちされていて、素朴で強い。読む者の胸を深くえぐってくる重たいものがある。
(2016年12月31日)


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