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著書『誇りに思う日本人たち』
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『黒い火』ほか

8月14日・シートンの哀しみ

2017-08-14 | 文学
8月14日は、映画女優エマニュエル・ベアールが生まれた日(1963年)だが、作家アーネスト・シートンの誕生日でもある。『シートン動物記』の作者である。

アーネスト・トンプソン・シートンは、1860年、英国イングランドのサウス・シールズで生まれた。両親はスコットランド系イングランド人で、父親は船主だった。アーネストは11人きょうだいの9番目の子で、6歳で亡くなった姉のほかは、みんな男の兄弟だった。
父親は海運事業をやめ、一家はアーネストが6歳のときに大西洋を渡り、カナダのオンタリオ州リンゼイに引っ越した。父親はそこで農場経営をはじめたが、うまくいかず、アーネストが10歳のとき、一家はトロントへ越し、父親はそこで会計係の仕事についた。
子どものころから自然にひかれ、動物の観察を好んだアーネストは、19歳のとき、美術学校で金メダルを受賞し、美術研究のために英国へ渡った。英国では奨学金を得てロイヤル・アカデミーで勉強しはじめたが、体調をくずし、21歳のとき、カナダへ帰った。
22歳のころ、兄のひとりが農場をやっている、カナダ中西部のマニトバ州へ引っ越し、同州の公認博物学者に任命された。その後、辞典に収録するための動物の挿絵を描いたり、パリで絵画の修行をした後、33歳のころ、米国ニューメキシコ州で放牧された家畜を、オオカミに殺されて困っている牧場主から、助けを求める依頼を受けて、シートンは現地へ向かった。このときのオオカミ退治の話が、後に『オオカミ王ロボ』となった。
38歳のとき、『ロボ』の話を含む、はじめての著書『私の知っている野性動物』を発表。ベストセラーとなり、以後、作家、講演家として活躍した。『シートン動物記』と呼ばれる一連の動物物語や、森林冒険生活のバイブル『二人の小さな野蛮人』などを書き、ボーイ・スカウト創設に関わった後、1946年10月、ニューメキシコ州で没した。86歳だった。

アーネスト・シートンの父親は、家庭内では絶対的な暴君で、性格的に異常で、ひじょうに粗暴な人物だった。一歳になったわが子が泣き出してもかまわず殴りつづけ、妻の遺産を自分の趣味の射撃に使い果たしてしまった。
アーネストが21歳になったとき、父親は彼のためにこれまでにつかった養育費の明細を見せ、アーネストにはこれを返済する義務があり、以後は利子をつけて計算すると宣言した。そのなかには、出産時の医者の費用までが記載されていた。アーネストは衝撃を受けたが、二、三年のうちにそれを返済した。アーネストは父親のことを生涯憎みつづけたという。

『オオカミ王ロボ』はとても感慨深い話である。シートンの文章は、オオカミの運命への共感や憐れみ、尊敬などが込められていて、百年前に書かれた古さをまったく感じさせない構えの深さをもっている。シートンを読むと、オオカミも、牛も、羊も、人間も、みんな生きているというのはただそれだけで悲しい、とわかる。

23歳のとき、シートンは田舎から大都会のニューヨークへ、自活するためにひとりで出てきた。ポケットには全財産の2ドルがあるきりだった。シートンは毎日、ロールパンを半分だけ食べてしのぎ、職をさがした。そのとき、彼はこう決心した。
「僕の生きている限り、もし『お腹が空いた』といって寄ってくる者は、人間でも動物でも僕は絶対彼らを拒みはしないぞ」(同前)
彼は出世してから、浮浪者にお金をせびられると、必ず応じてお金を手渡した。
(2017年8月14日)



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