1日1話・今日の話題のネタ

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

4月21日・シャーロット・ブロンテの闘争

2017-04-21 | 文学
4月21日は、社会学者マックス・ウェーバー(1864年)が生まれた日だが、女流作家シャーロット・ブロンテの誕生日でもある。小説『ジェーン・エア』を書いた人である。

シャーロット・ブロンテは、1816年、英国ヨークシャーのソーントンで生まれた。父親はアイルランド系の牧師だった。シャーロットは、6人きょうだいの3番目の子どもだった。上に2人の姉がいて、下に1人の弟と2人の妹がいた。
彼女が5歳のとき、母親が没した。結婚後9年間で6人の子を産み、38歳の若さで亡くなったのである。すると、亡き母親の姉がやってきて、残された6人の子どもたちの面倒をみるようになった。
シャーロットが9歳のとき、2人の姉が結核にかかって相次いで亡くなった。これにより、彼女が、母親のいない一家の長女役となった。
寄宿学校などをへて、シャーロットは19歳のときから、私立校の教師や家庭教師をして家計を支えた。そうして、彼女はやがて、同じく学校や家庭の教師をするようになった妹たちと、私立の学校を興そうと画策したが、父親が体調をくずし、白内障をおこして失明寸前となり、彼女たちは父親の面倒をみながら、収入を得る方法を考える必要に迫られた。姉妹は小説を書いて、これを売ろうと考えついた。彼女らは原稿を書き、アドバイスし合い、励まし合って小説を書き上げた。でき上がった原稿を出版社に送り、拒絶されては、送り返されてきた原稿をまた別の出版社に送ることを繰り返した。
そうした努力が実り、ついに、シャーロットの書いた小説『ジェーン・エア』が、「カラ・ベル」というペンネームで出版された。すると『ジェーン・エア』は、たちまちベストセラーとなり、その勢いを借りて、エミリの『嵐が丘』、アンの『アグネス・グレイ』といった小説も出版された。シャーロットが31歳のときだった。
しかし、たったひとりの弟がからだを壊して31歳で没し、続けて妹のエミリが結核により30歳で亡くなり、末の妹のアンも結核にかかり29歳で死亡した。きょうだいがいなくなり、シャーロットはひとりぼっちになった。
シャーロットは『シャーリー』『ヴィレット』などの小説を発表し、38歳で牧師と結婚した。が、新婚旅行中に雨に濡れて風邪をひき、それがよくならぬまま、1855年3月に死亡した。享年38歳だった。
生前のシャーロットが「自分が世話をしなくては」と、つねに念頭においていたという病弱な父親は、シャーロットの没した7年後に、84歳で亡くなっている。

シャーロット・ブロンテの生きた時代の英国の田舎では、女性には基本的に仕事はなかった。女性が生活を立てていこうと思えば、結婚するなどして男に養ってもらうか、家庭教師をするしかなかった。
当時の家庭教師は、尊敬や敬意をもって遇されず、召使とまったく同等で、シャーロット・ブロンテも家庭教師をしていて、そうとう屈辱的な思いをしたらしい。それがいやで、ブロンテ姉妹は私塾や小説書きを試みたのである。
『小公女』を書いたバーネットもそうだけれど、お金が動機となって、しばしば世界的な名作が生まれるのだと、納得させられる。
(2017年4月21日)


●おすすめの電子書籍!

『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』(越智道雄選、金原義明著)
「ジェーン・エア」「風と共に去りぬ」から「ハリー・ポッター」まで、英語の名作の名文句(英文)をピックアップして解説。英語ワンポイン・レッスンを添えた新読書ガイド。


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 4月20日・ジョアン・ミロの精髄 | トップ | 4月22日・カントの自由 »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL