1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月26日・フランクルの知性

2014-03-26 | 科学
3月26日は、『飛ぶのが怖い』の作家、エリカ・ジョング(1942年)が生まれた日だが、精神分析医のヴィクトール・フランクルの誕生日でもある。
自分は若いころ、フランクルの著書『夜と霧』を買った。比較的薄い本で、文章も平易なのだけれど、なかなか開かなかった。数年後、やっと読んだ。以来、引っ越しで本を処分するたびに迷うけれど、この本を手離す気にはなれず、数十年たったいまももっている。

ヴィクトール・エミール・フランクルは、1905年、オーストリアのウィーンのユダヤ人家庭で生まれた。父親は公務員だった。
18歳でギムナジウム(高等学校)を卒業したヴィクトールは、ウィメーン大学へ進み、医学を専攻し、神経医学と精神医学の専門家になった。ジクムント・フロイトやアルフレッド・アドラーの教えを受けたフランクルは、32歳でウィーンの病院の研修期間を終えた。彼はその病院で、3万人以上の自殺衝動患者を診察した。
33歳のとき、ドイツとオーストリアが合併。ヒトラー率いるナチス・ドイツの政策により、フランクルはユダヤ人だったため、ドイツ人を診察することを禁止された。
フランクルは36歳で結婚。その翌年の37歳のとき、両親、妻とともに身柄を拘束され、チェコにあるテレジエンシュタット強制収容所へ送られた。両親と妻は収容所で相次いで死亡したが、ポーランドのアウシュビッツ絶滅収容所へ移送されたフランクルは奇跡的に生き延び、40歳で終戦を迎え、翌年、収容所体験をつづった『夜と霧』を発表した。
戦後は、ウィーンの病院に勤務し、ウィーン大学のほか米国のいくつかの大学で教鞭をとった後、1997年9月、ウィーンで没した92歳だった。
著書に『「生きる意味」を求めて』『意味への意思』『苦悩する人間』 などがある。

ナチス・ドイツの占領下においては、ナチスに反抗する疑いありと判断された政治犯容疑者は、家族ごと夜のうちにどこかへ連れ去られ、消えてしまうという「夜と霧(Nacht und Nabel)」指令が実施された。『夜と霧』の題名はここからきている。

アウシュビッツでは、食べ物は1日に1回、水のようなスープと、小さなパンひと切れというのが基本だった。囚人たちは苛酷な労働に駆りだされ、病気で死に、衰弱して死に、またガス室へ送られて続々と死んでいく。石炭酸の注射で殺され、殴り殺され、射殺され、また、脱走を試みた者は絞首刑にあった。むち打ちや拷問は日常茶飯事。

この本でいちばん驚いたのは、そんな地獄のなかでも、フランクルが冷静に人間を観察、分析していることだった。
「知識を取り去ったところに、残るのが知性」
とはよく言われるところだが、精神に異常をきたす者が多い収容所で、フランクルは、人間の精神を観察し、ほかの囚人たちを落ち着かせるべく医学的な話をし、失われた論文を新たに書き起こす準備をしていた。これは恐るべきことで、自分はフランクルこそ知性の人だと思う。『夜と霧』こそ、知性の書だと思う。

フランクルはこう書いている。
「これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの『種族』は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。」(霜山徳爾訳『夜と霧』みすず書房)
きっとそうだと思う。肌の色や血縁などとはちがう種族の区切りがあると思う。
(2014年3月26日)



●おすすめの電子書籍!

『ポエジー劇場 救世主』(ぱぴろう)
大人向け絵本。環境破壊により人類は自滅寸前。そこへ宇宙から救世主が派遣され……。生命の原理に迫る絵画連作。

http://www.meikyosha.com
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3月25日・清水善造のロビング | トップ | 3月27日・レントゲン的 »

コメントを投稿

科学」カテゴリの最新記事