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著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

11月26日・アームストロングの大砲

2017-11-26 | ビジネス
11月26日は、ゴロで「いい風呂」の日。この日は、言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールが生まれた日(1857年)だが、アームストロング砲で有名なウィリアム・アームストロングの誕生日でもある。

ウィリアム・アームストロングは1810年、英国イングランドのニューカースルで生まれた。父親はトウモロコシ商人で、後にニューカースル市長になった。
学校をでたアームストロングは、弁護士事務所に弟子入り、25歳から35歳くらいまでは弁護士として働いていた。そんなある日、釣りをしていて、水力を利用した機械を思いつき、技術者に転身。水力のクレーンの製作をはじめて成功し、作った水力クレーン会社も大きくなった。
つぎに彼の会社は兵器製作に乗り出し、アームストロング砲を製作した。
それまで大砲は、弾がでる砲身の前から弾を詰めて、どかんっと撃っていたところ、彼が作ったアームストロング砲は、大砲の後ろから弾をこめる後装式で、これは画期的な発明だった。弾は後ろからこめられるほうが、作業が手早くおこなえ、また速い弾が撃てるのである。
ただし、後部を密閉して、どかんっと撃ったときの爆発の衝撃を受け止め、かつ、開閉がきいて、つぎの弾がこめれられるという頑丈で便利な装置を作るのには、当時の技術は幼すぎたとみえ、アームストロング砲は欠陥品で、これを採用した英国海軍は、地球の裏側の極東で困るはめにおちいった。
日本の薩摩藩と戦った薩英戦争(1863年)で、アームストロング砲が砲身内で爆発する事故があいついだ。このため、こりた英国海軍はこの採用をとりやめ、前から弾ごめするタイプの大砲にいったんもどした。
司馬遼太郎の短編小説に『アームストロング砲』があって、佐賀藩がアームストロング砲を購入し、自藩でもこれを試作した旨が書かれている。佐賀藩は、江戸幕府と薩長連合のあいだで長らく中立を保っていたが、最後には薩長の説得をいれ、戊辰戦争に参戦、官軍の江戸攻撃に加わった。佐賀藩は、英国製のアームストロング砲2門を江戸へ運び、江戸・上野の寛永寺に立てこもった彰義隊の陣地へ打ち込んで、膠着していた戦況にたちまちかたをつけた。彰義隊の側でも、フランス製の大砲を7門もっていたが、射程距離と破壊力が格段にちがったのである。

ウィリアム・アームストロング本人は、会社の経営者の地位には長くい続けたが、50代前半にはほとんど実務を離れ、イングランド北部のいなかにクラッグサイドという大きな屋敷を買ってそこの手入れに熱中したり、寄付活動をしたりしてすごした。
1900年12月、ウィリアム・アームストロングは、クラッグサイドで没した。90歳だった。

「ものごとを人間の意図にしたがわせるのが、われわれ技術者の本分であり、われわれが供給した手段を正しく適用することについては、その使う側に責任がある。」
アームストロングはそう述べて、兵器産業に関わる自分の立場について、後ろめたさはないと胸を張った。リアリストとして貫徹した一生だった。
(2017年11月26日)



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