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著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

11月12日・グレース・ケリーの強さ

2016-11-12 | 映画
11月12日は、米国の社会運動家エリザベス・スタントンが生まれた日(1815年)だが、ハリウッド女優で、モナコ公妃となったグレース・ケリーの誕生日でもある。

グレース・パトリシア・ケリーは、1929年、米国ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれた。父親はアイルランド系で一介のレンガ職人から建築会社を経営する億万長者にのし上がった人物で、ローボート競技の五輪チャンピオンでもあった。母親はドイツ系で大学の体育講師。グレースは4人きょうだいの3番目で、姉、兄、妹がいた。
きょうだいでいちばんからだが弱かったグレースは人形遊びが好きな内気な少女だった。
11歳のころ、遅まきながらバレエを習いだしたグレースは、アマチュア劇団に入り、実生活では表現できない理想の自分を舞台上で表現する喜びに目覚めた。
17歳で高校を卒業した彼女は、家を離れ、単身ニューヨークへ越して演劇学校に入学した。発音や演技力を鍛えるかたわら、彼女は広告モデルのアルバイトをし、18歳のときには、彼女はビルの広告塔やテレビCMにいつも登場する売れっ子モデルになっていた。
19歳で演劇学校を卒業後、舞台、テレビドラマ、をへて、ハリウッドに進出。23歳で出演した西部劇「真昼の決闘」で本格的に映画デビューした。
以後「モガンボ」「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」「喝采」「トコリの橋」「泥棒成金」「上流社会」に出演し、その高雅な美貌から「クール・ビューティー」と呼ばれた。
ケリーは、カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世に熱烈なラブレターで口説かれ、26歳のとき、大公と結婚し、彼女はモナコの公妃となった。
観光収入が支えの小国モナコは、彼女を迎えて傾きかけた国家財政を建て直した。
レーニエ3世とのあいだに一男二女をもうけたケリーは、子育てがひと段落すると、詩の朗読という新しい表現活動に乗りだしていたが、そんな矢先の1982年9月、自分でクルマを運転中、下り坂のヘアピンカーブを飛びだし、45メートル下の崖へ転落し、運び込まれたモナコの入院先で没した。52歳だった。
公妃は運転中に脳卒中を起こして意識を失い、ヘアピンカーブでアクセルを踏みこんだものと見られている。2014年現在、モナコではケリーの息子が大公の地位を継いでいる。

グレース・ケリーの映画女優時代は20歳から26歳まで。出演作はたった11本。なかでも「裏窓」は圧巻だった。ケリーがとにかくセクシーで魅力的。脱ぐわけでもないのに、ひたすら妖艶で輝いていた。24歳当時の彼女が観られる「裏窓」は映画ファン必見の作品である。

グレース・ケリーの没後5年くらいから彼女の性愛生活を暴露した伝記が公になりだし、それらを読んだ。17歳で処女を捨て、生涯にわたって恋をしつづけたグリース・ケリーの恋愛遍歴は派手で奔放だけれど、ぜんぜん悪い印象を抱かなかった。
近くにいる男性を片っ端から夢中にさせてしまうグレース・ケリーは、全世界の女性の敵といった存在だったが、彼女とつきあった男たちは交際中も別れた後もずっと彼女を裏切らず愛しつづけた。彼女が生きていたら、ほとんどの者は取材に応じなかったろう。
グレース・ケリーは、若いころから自分の欲望や目標をよく把握していて、周囲の価値観に惑わされず、自分の人生を自分の手でしっかり握って生きた人だったのではないか。
(2016年11月12日)


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