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著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

10月31日・キーツのラブレター

2016-10-31 | 文学
10月31日は、ハロウィン。この日は、画家のマリー・ローランサンが生まれた日(1883年)だが、夭逝した詩人ジョン・キーツの誕生日でもある。

ジョン・キーツは、1795年、英国イングランドのロンドンで生まれた。父親は宿屋つきの馬丁だった。ジョンは4人きょうだいのいちばん上の子で、ほかにも生後すぐに死んだきょうだいがいた。下の子たちが生まれると、ジョンは祖父の家に近いロンドン郊外の小さな学校へ入れられた。進歩的な教育方針の家族的な雰囲気の学校で、そこの教師はジョンにルネッサンスの文学を紹介し、彼の目を文学に向かせた。
ジョンが8歳のとき、父親が落馬し頭を打って死亡した。ジョンたちきょうだいは祖母の家に預けられた。そして14歳のとき、母親が結核で死亡した。孤児となった彼は、薬局兼外科医の家に奉公に出、そこの屋根裏部屋に寝起きして働いた。
ジョンたちの母親は亡くなる前、子どもの後見人を指定していて、ジョンは19歳のとき、母親と祖母から、きょうだいに均等分けされた後でもかなりの金額になるお金を相続できるはずだった。が、なぜか後見人も弁護士もそれを渡しも知らせもしなかった。結果、キーツたちきょうだいは生涯、つねにお金で苦労する羽目になった。
奉公を終えたキーツは病院の医学生となり、20歳のとき、外科助手として採用され、手術などに立ち会うようになった。周囲の人間も、キーツ本人も、彼は明らかに医師を目指していていたのだったが、キーツは一方で文学への思いも捨てきれず、詩を書いていた。
21歳の年に、彼は医学免許を手にし、薬剤師、内科医、外科医ができるようになった。医学のかたわら、詩人として活動をはじめた彼の詩は、間もなく雑誌に掲載された。彼は尊敬する詩人のリー・ハントと知り合いになり、22歳になる年にキーツは初の詩集『詩集』を出版した。評判はかんばしくなかったが、これをきっかけに彼は同時代の詩人、編集者、批評家と知り合い、さらに詩作に力を入れ出した。
4つ年下の弟が結核にかかり、キーツはその看病にあたったが、彼自身も頻繁に風邪をひき、健康が悪化しだしていた。それでも彼は旅をし、恋をし、詩を書いた。
キーツが23歳のとき、看病の甲斐むなしく弟は病死した。キーツ自身も結核を発症し、医者に転地療養を勧められた。彼は暖かいイタリアで療養しながら詩を書いたが、病状は快方に向かわず、キーツは1821年2月、ローマで没した。25歳だった。

キーツは、バイロン、シェリーに続くロマン派詩人の巨星である。
キーツの詩「ナイチンゲールに捧げる頌歌(Od to Nightingale)」を読んでから、ナイチンゲール(小夜鳴鳥)という鳥はどんな美しい声で鳴くのだろう、と長年ずっと憧れていた。

22歳のころキーツは、18歳のファニー・ブローンという娘と知り合い、彼らは恋に落ちた。二人はいっしょにダンテの『神曲』を読んだという。キーツは彼女に着想を得て詩を書き、結婚の約束をし、こんな熱烈なラブレターを送った。
「愛はぼくをわがままにする。きみなしではぼくは生きられない。(中略)愛はぼくの信仰だ。ぼくはそのために死ねる。ぼくはきみのために死ねる。(My love has made me selfish. I cannot exist without you...Love is my religion - I could die for that - I could die for you.")」
(2016年10月31日)


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