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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月1日・ウィリアム・ワイラーの言

2017-07-01 | 映画
7月1日は、男装の女流作家ジョルジュ・サンドが生まれた日(1804年)だが、ハリウッドの巨匠ウィリアム・ワイラー監督の誕生日でもある。

ウィリアム・ワイラーは、1902年、ドイツのミュールハウゼン(現在はフランス領)で生まれた。出生時の名はヴィルヘルム・ヴァイラー。両親ともにユダヤ系で、父親は旅行会社のセールスマンをへて、服飾品の商売をはじめた。
ウィリアムは、稼業を継ぐことを期待され、第一次世界大戦が終わった17歳のころ、フランス、パリの服飾品店に修行に出された。彼はシュミーズやネクタイを売りながら陰鬱な日々をすごした。服飾業界への興味が息子にないのを見てとった母親は遠縁の親戚にあたるカール・レムリに相談した。レムリは米国で映画会社ユニヴーサル・フィルム社(後のユニヴァーサル・ピクチャーズ社)を創設していた。レムリはウィリアムに会い、彼の採用を決定し、いっしょに大西洋をわたる客船に乗った。
「アメリカは月くらい遠く感じられた(America seemed as far away as the moon)」
19歳のころ、ウィリアムはレムリの会社のニューヨーク支社で働きはじめ、数年間メッセンジャーボーイなどをしていた。その後、ニューヨークの警備隊に1年勤務した後、あらためて映画の道への志を固め、西海岸のハリウッドへ引っ越した。
21歳のワイラーは、ハリウッドでスタジオの掃除や大道具小道具の移動係からはじめて、やがて助監督に採用され、23歳のときにはユニヴァーサルでもっとも若い監督になった。そうして25歳のときに、米国の市民権を取得した。以後、ワイラーは、
「孔雀夫人(Dodsworth)」1936年
「ミニヴァー夫人(Mrs. Miniver)」1942年
「我等の生涯の最良の年(The Best Years of Our Lives)」1946年
「ローマの休日(Roman Holiday)」1953年
「大いなる西部(The Big Country)」1958年
「ベン・ハー(Ben-Hur)」1959年
「噂の二人(The Children's Hour)」1961年
「コレクター(The Collector)」1965年
「おしゃれ泥棒(How to Steal a Million)」1966年
「ファニー・ガール(Funny Girl)」1968年
などなど、歴史に残る数々の名作を撮った。そうしてアカデミー監督賞に12回候補になり、3回受賞した後、1981年7月、心臓麻痺のため、ビバリーヒルズの自宅で没した。79歳だった。

ワイラー監督は完璧主義で有名で、納得のいくまで演技を繰り返させ、撮り直しが90回におよぶという意味で「ナインティ・テイク・ワイラー」と呼ばれた。「ローマの休日」の撮影でも、オードリー・ヘップバーンやグレゴリー・ペックが何べんも何べんも川に飛び込まされた逸話は有名である。

「ローマの休日」と言えば、すでに大スターだったグレゴリー・ペックは当初、台本を読んで、主演男優はヒロインの引き立て役になるとして断った。すると、ワイラーは言った。
「作品が気に入らないのならともかく、きみが役の大きさで仕事を断る男だとは思わなかったよ」
ペックは降参し、出演を承諾した。結果、映画は彼の代表作のひとつになった。
この人情のあやを心得たひと言にとても感心した。少ない予算でも、莫大な予算でも、観ればかならず得をした気のするハイレベルの作品を作れる巨匠中の巨匠だった。
(2017年7月1日)


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