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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月25日・エマーソンの宇宙

2017-05-25 | 思想
5月25日は、「ニットの女王」ソニア・リキエルが生まれた日(1930年)だが、米国の思想家兼詩人、エマーソンの誕生日でもある。

ラルフ・ウォルド・エマーソンは、1803年、米国マサチューセッツ州ボストンで生まれた。父親はユニテリアン派の牧師だった。きょうだいは8人いたが、うち3人は子どものころに亡くなり、成人したのは5人で、そのまん中がラルフだった。
ラルフが8歳になるすこし前に、父親が胃ガンで没し、彼は母親と、親戚の女性たちによって育てられた。
9歳から学校へ通いはじめた彼は、14歳のとき、ハーヴァード大学に入学。大学生のころから詩を書き、式典の折などに朗読した。
大学卒業後、エマーソンは兄がはじめた女学校を手伝って、そこの校長を務めたり、自分の私塾を開いたりしたが、23歳のころ、体調をくずし、暖かいフロリダへ転地療養に向かった。フロリダで知り合った、ナポレオン・ボナパルトのおいのアシール・ミュラと親友になり、また現地ではじめて奴隷のオークションを目撃し衝撃を受けた。
マサチューセッツにもどったエマーソンは、26歳のころから教会の牧師として働きはじめた。しかし、そのころ花嫁に迎えた18歳の妻が、結核で20歳で没すると、古い儀式を墨守するだけの教会に疑問を持つようになり、29歳のとき、牧師を辞めた。
彼はヨーロッパ旅行に出発した。そうして、ヨーロッパ各地で、ジョン・スチュアート・ミル、ワーズワース、カーライル、コールリッジといった世界的な知識人と交流を深めた。
30歳で米国に帰ったエマーソンは、講演家として活動をはじめた。一回の講演に10ドルから50ドルの講演料をもらって、自然、人生、社会などTPOに応じてさまざまな演題で話してまわった。そして、講演会での話を本にして出版した。
33歳のときから、彼はマサチューセッツの、志向を同じくする知識人の仲間で「トランセンダリスト(超越主義者)」のクラブを作り、定期的に集まるようになった。トランセンダリストは、人道主義、個人主義の考え方をもち、人間性の解放を訴える人たちで、『ウォールデン』を書いたヘンリー・ソロー、「フルーツランド」を作ったブロンソン・オルコット、「ブルック・ファーム」を作ったジョージ・リプリーが顔を見せ、女性運動家のマーガレット・フラーもその仲間だった。講演家、著述家として、米国の内外に強い影響力をもったエマーソンは、『緋文字』の作者ホーソーンとも友人だった。
60代の後半から、エマーソンは記憶力が衰えだし、しだいに物忘れがひどくなり、やがて自分の名前も忘れるようになった。そうして公衆の面前に出なくなった彼は、1882年4月、肺炎により没した。78歳だった。

エマーソンは、『バガヴァッド・ギーター』を読み、インド思想に深く共鳴していた。彼は、人間一人ひとりの内にある魂、精神に絶対の信頼を置き、それを型にはめてゆがめようとする社会の制度や組織を批判的に見た。もちろん奴隷解放論者だった。

エマーソンはいかにもトランセンダリストらしいことばを吐いている。
「きみがいったん決心する。すると、全宇宙がそれを実現しようと画策しだすのだ(Once you make a decision, the universe conspires to make it happen.)」(Brainy Quote: http://www.brainyquote.com/)
(2017年5月25日)



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