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著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

11月7日・コンラート・ローレンツの生活

2016-11-07 | 映画
11月7日は、ポロニウム、ラジウムを発見したマリー・キュリーが生まれた日(1867年)だが、動物学者のコンラート・ローレンツの誕生日でもある。

コンラート・ツァハリアス・ローレンツは、1903年、オーストリア=ハンガリー帝国のウィーンにほど近いアルテンベルクで生まれた。両親ともに医者だった。
子どものころから動物に対して異常なまでに愛情をもっていたコンラートは、父親の希望をいれてウィーン大学医学部に入り、25歳のとき医師博士となった。解剖学研究上の助教授になった彼は30歳で動物学の博士号も取得。ガチョウの研究をはじめ、このころから戦争の一時期を除いて、生涯にわたって魚類、鳥類、哺乳類など動物の行動の研究を一貫してつづけ、動物行動学という新しい学問分野を開いた。
35歳のとき、ナチスに入党し、37歳でケーニヒスベルク大学の心理学の教授に就任。
第二次世界大戦がはじまると、ローレンツは41歳のとき、ドイツ国防軍に徴兵され、軍医として配属。ソ連軍の捕虜となり、39歳から45歳のころまで捕虜収容所にいた。捕虜時代にも医者として働いた。45歳で収容所から解放され、収容所内で書いた原稿と、ペットのムクドリを持って彼はアルテンベルクに帰ってきた。
戦後はドイツのブルデンに設立されたマックス・プランク協会の行動生理学研究所の所長となり、動物の研究を続け、70歳の年にローレンツは、同僚であるニコ・ティンバーゲン、カール・フォン・フリッシュと共にノーベル医学生理学賞を受賞した。ニコ・ティンバーゲンは最初のノーベル経済学賞を受賞したヤン・ティンバーゲンの弟である。
71歳のとき、ローレンツはオーストリアにもどり、科学アカデミー動物社会科学研究所の所長を務めた後、1989年2月、アルテンベルクで没した。85歳だった。

ずっと以前、ハヤカワ文庫からローレンツの『ソロモンの指輪』(日高敏隆訳)が出たときに買ってそれを読み、とても感銘を受けた。ローレンツの家はネズミや鳥を放し飼いにし、オウムは干してあるシャツのボタンを片っ端から食いちぎり、ガンは夜になると寝室に入ってきてローレンツ夫妻といっしょにすごし、朝になると窓から出ていくといったような様子で、読んでいて、ローンツ以上に彼の奥さんに頭が下がる思いがした。それから『動物行動学』『攻撃』『人イヌにあう』などローレンツの本を読んだ。
同じ水、砂、水草、魚を同じ複数のアクアリウムに入れて同じ条件に保っておくと、それぞれがまったくちがった水槽世界になっていくこととか、ローレンツが飼い犬のスージーとドナウ川を泳いで渡った話などなど印象に残っている挿話は多い。

学生時代、同じ下宿に理学部生物学科の先輩が住んでいて、その先輩はカミキリムシを研究していた。大学の生物学研究室にカミキリムシの世界的権威がいて、その愛弟子だった。時々遊びにいった彼の部屋はすごかった。本が積まれ、ピンでとめられた虫の並ぶ標本箱が山と積まれ、いたるところにカミキリムシの住むガラスケースが置かれていた。ユゴーの『レ・ミゼラブル』を愛読する大酒飲みで、後輩にやさしかった。
世の多くの親たちはわが子にこういう人になってもらいたくないと思うかもしれないし、そういう人生は当人にとっては不便や困難も多いだろう。けれど、やっぱり好きな道を進んでいる人は、すてきである。ローレンツの本を読むと、先輩のことを思いだす。
(2016年11月7日)


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