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著書『誇りに思う日本人たち』
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6月16日・荻原井泉水の詩情

2017-06-16 | 文学
6月16日は、ロック・ギタリストのChar(チャー)が生まれた日(1955年)だが、俳人、荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の誕生日でもある。無季自由律の俳句の提唱者である。

荻原井泉水は、1884年、東京の芝で生まれた。本名は、幾太郎。後に藤吉に改名した。幾太郎の前に、男女二人の子が生まれていたが、ともに幼くして没したため、気にした雑貨商の父親が占い師にみてもらったところ、つぎに生まれる子どもは「幾太郎」と名付ければ、長生きする旨を告げられたことによる命名で、改名は、荻原家の当主は代々「幾太郎」を名乗るしきたりだったからだという。
彼が15歳のとき、父親が没した。中学生のころから、俳句を詠んでいた荻原は、一高に入学すると、学校で句会を作り、高浜虚子、河東碧梧桐ら、句界の大物の指導を受けた。
一高を出、東大の文学部言語科に進んだ荻原は、大学在学中の22歳前後から「井泉水」の号を用い、河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加した。五七五にとらわれず、もっと自由に、五五三五、五五五三などの形式で俳句を詠んでみようという運動だった。
これに対し、高浜虚子は五七五の定型を守り、客観写生と花鳥風月に徹するべきだと訴え、保守派にまわって対抗した。
荻原は、大学卒業後、大学院に進み、25歳のころから、新聞の俳句欄の選者となった。そうして、彼は新傾向俳句の運動が不徹底だとして、俳句から季語の制約をも取り払った無季自由律俳句を訴えだし、ついに河東碧梧桐とたもとを分かった。
季語や五七五などの形式にしばられず、自由に詠む。俳句には、句の魂である、光、力がなくてはならない。短いことばで暗示的に表現することで、その奥にある大きな自己、自然を思わせる、そういう俳句こそ、荻原井泉水たちが提唱した無季自由律の俳句だった。
荻原と志を同じくする俳人には、尾崎放哉、種田山頭火などがいる。
彼ら無季自由律の俳人たちは、集まって句会を開く風ではなく、それぞれがひとりで旅をし、また隠遁生活を送り、句作を続ける、そういう傾向があった。
荻原は、40歳のころ、妻と母親を相次いで亡くし、小豆島へ遍路の旅に出、また京都や高野山の寺にこもって住んだ。45歳のとき再婚。
荻原井泉水は、1976年5月、脳血栓のため没した。91歳だった。
井泉水の句につぎのようなものがある。

「まど、外からあけてふきのとですよ」

「いわおにじを吐く」

「棹さして月のただ中」

「鳥屋の鳥よ暮れゆく街を眺めをる」

季語や五七五の韻律の枠組みから飛びだすべきだという考えは、もしも俳句が芸術であるならば、とうぜん起こってしかるべき必然的な欲求かもしれない。荻原井泉水は、ゲーテの詩についての考え方に感銘を受けて、俳句の変革を志したらしい。俳句に体裁よりも「詩」を求めた詩人、それが荻原井泉水である。
(2017年6月16日)



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