1日1話・今日の話題のネタ

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著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

4月6日・谷川浩司の底

2017-04-06 | 歴史と人生
4月6日は、夭逝の天才画家ラファエロが生まれた日(1483年。別の日生まれの説もあり)だが、将棋棋士、谷川浩司の誕生日でもある。

谷川浩司は、1962年、兵庫県神戸市で生まれた。実家は、浄土真宗の寺である。
浩司が5歳のころ、兄との兄弟げんかがおさまるようにと、親が将棋盤と駒を買い与え、彼は将棋をはじめた。以来、将棋に目のない子どもとなり、小学校2年生のときには、神戸の地下街で開催された将棋祭りに参加し、招待棋士の内藤國雄(当時八段)と対戦して、勝ったことがあるという(もちろんこれはハンディ戦で、内藤八段は、飛車、角の二枚落ちで、しかも同時に40人を相手にするという四十局同時指しだった)。
将棋の世界では、プロを目指す子どもは、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である奨励会というものに入会して、腕をみがくのだが、谷川は小学校5年生のときから奨励会で将棋を指した。
中学2年のとき、四段になり、プロ入り。
21歳のとき、初タイトルの「名人」を獲得。
35歳のときに5期目の名人となり、十七世名人の資格を得た。
終盤に一気にスピード感をもって相手の玉を詰めていく「光速流」と言われる棋風で知られる。
2012年、50歳で日本将棋連盟会長に就任。
2017年、54歳のとき、将棋タイトル戦でのコンピュータソフト使用疑惑問題の収拾をはかるため会長職を辞任した。

1996年、33歳のとき、王将のタイトルをもっていた谷川は、8歳年下の羽生善治に敗れ、王将の位を羽生に明け渡した。羽生はこれによって名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将の七タイトルを独占し、谷川は無冠となった。それまで色紙にサインを求められると「王将 谷川浩司」と書いていた谷川は、以後「谷川浩司」とだけ書くようになった。
そんな無冠になった敗北者の谷川に、長野県の中学校から、「飛翔」揮毫の依頼が舞い込んだ。谷川が書いた「飛翔」を、学校に飾りたい、と。
負けた谷川になぜ? その校長は意図をこう説明した。
現代の子どもは、一度つまずくと、折れて立ち直れないもののように思いがちである。挫折した経験を、転じてプラスにして、ふたたび立ち上がっていく経験を、子どもたちに示したい。そこで、いま無冠となった谷川が書いた「飛翔」の文字こそ、これからふたたび復活する谷川の姿と重なり、子どもたちに強い説得力をもって響くであろう、と。
このことばが谷川を奮起させ、無冠となった同じ年の11月、谷川は竜王戦の挑戦権を得て、竜王・羽生と対局。谷川は四勝一敗で勝ち、みごと竜王に返り咲いた。
その後、谷川は名人にも返り咲き、十七世名人の資格を得た。

調子のいいとき、羽振りのいいときは、誰でもいい顔をしていられる。まわりの人もちやほやしてくれる。でも、落ち目になったとき、どん底にいるとき、平然としているのはむずかしい。苦しいときは、みんな知らんぷりだったり。でも、そういうときこそ、「底の人」かどうかが問われるときである。
(2017年4月6日)



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