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著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

10月16日・ギュンター・グラスの告白

2016-10-16 | 文学
10月16日は、英国の作家オスカー・ワイルドが生まれた日(1854年)だが、独国の作家ギュンター・グラスの誕生日でもある。

ギュンター・グラスは、1927年、自由都市国家ダンツィヒで生まれた。ダンツィヒは、現在のポーランドのグダニスクだが、ギュンターが生まれた第一次大戦と第二次大戦のあいだの時期、国際連盟に承認、保護された都市国家だった。
父親はドイツ人の食料品店を経営者。母親は西スラヴ系の少数民族カシューブ人だった。
ギュンターが6歳のとき、ダンツィヒの選挙でナチスが過半数をとり、政府は反ユダヤ、反カトリックの法律を施行した。ダンツィヒに住むドイツ人は、ドイツ青年党などドイツ系の組織に吸収され、ユダヤ人とともにポーランド人も迫害されるようになった。
ギュンターが9歳のとき父親がナチス党に入党し、12歳のとき都市国家ダンツィヒはナチスドイツに併合された。ギュンターは15歳で労働奉仕団員となり、17歳のときにはナチスの武装親衛隊員になっていた。
ナチスドイツの降伏によってヨーロッパの第二次世界大戦が終わると、18歳のグラスは米軍の捕虜収容所で半年間暮らした。釈放後は、デュッセルドルフで石工として働きながら、文学グループに加わり、詩や戯曲を書いた。
32歳のとき発表した長編小説『ブリキの太鼓』が話題を呼び、作家生活に入った。『ブリキの太鼓』は西ドイツ、ポーランド、フランス、ユーゴスラビアの4カ国制作で映画化され、グラスが52歳のとき、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞した。
グラスはその後、ダンツィヒ三部作の『ブリキの太鼓』『猫と鼠』『犬の年』などを書き、1999年、72歳のとき、ノーベル文学賞を受賞した。
2006年、78歳の年に自伝的作品『玉ねぎの皮をむきながら』を発表。ダンツィヒでの少年時代から『ブリキの太鼓』を発表するまでの前半生をつづったこの文章のなかで、グラスはかつてナチスの武装親衛隊に在籍していたことを告白。これは各国のメディアに大反響を巻き起こし、ノーベル賞を返還すべきだなどの批判もあった。
2014年、86歳のときに創作活動からの引退を表明した。

『玉ねぎの皮をむきながら』を自分は読んだことがある。
「執拗に質問していると、想起は玉ねぎに似てくる。その皮をむいて一文字一文字、明らかにすることを求める玉ねぎだ。(中略)まだ乾いていて、パリパリと音のする皮の下にさらに別の皮があり、それもむかれると、みずみずしい第三の皮が出てくる。またその下には第四、第五の皮が待っていて、何やらつぶやいている。(中略)玉ねぎにはたくさんの皮がある。山ほどあるのだ。ひと皮むければ、すぐに新たに生まれ変わってしまう。だが、刻むと涙が出てくる。皮はむかれて初めて、真実を語るのだ。」(依岡隆児訳『玉ねぎの皮をむきながら』集英社)
戦争の前後を通じてのむごたらしい事件や悲惨な状況、刻々と変化する情勢に呼応して変わる人の心のいやらしさを見せつけられ、ことばを失う。いろいろ考えさせられる。

元ナチスであったことを隠してノーベル賞をもらったのはけしからんではないか、とグラスを非難する人たちは言うのだろうけれど、その当時にその場に居合わせたら、そんなことも言えないろうし、グラスが経歴について沈黙していた気持ちもわかる気がする。
現在、日本にもそういう暗い時代が迫っているようだけれど、社会の価値判断が目まぐるしく変わる戦争前後の混乱期は、自分の意見をもった近代市民にとってはほんとうに生きにくい、勇気を試される時代である。
(2016年10月16日)


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