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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月26日・グッチの冒険

2017-03-26 | ビジネス
3月26日は、『夜と霧』を書いた精神分析医ヴィクトール・フランクルが生まれた日(1905年)だが、実業家グッチオ・グッチの誕生日でもある。ファッションブランド「グッチ」の創業者である。

グッチオ・グッチは、1881年、イタリアのフィレンツェで生まれた。父親は麦藁帽子の製造会社の経営者だった。
当時、世界に植民地をもち栄華を誇っていた英国でチャンスをつかもうと決心したグッチオは、蒸気船に機関助手として乗りこみ、19歳のときに英国ロンドンにたどりついた。
彼は最高級ホテルのサヴォイに皿洗いとして採用され、やがてウェイターに昇格した。一流ホテルの客から、彼はチップと、上流階級のよいたしなみを吸収した。
グッチオは20歳のとき、イタリアのフィレンツェへ帰った。
帰国後は、商店勤めをしたり、戦争で徴兵され兵役についたりした後、38歳のころから、フィレンツェの高級革製品店に就職し、皮革について学んだ。
40歳のときに独立し、皮革製品を扱う会社を興した。そして、41歳で自分の店を出し、42歳のとき「グッチ(GUCCI)」を店名とした。
グッチははじめ、英国から輸入したカバンの販売と、その修理をしていて、そこで培ったノウハウを生かして、使いやすく丈夫な、自分のブランドのカバンを製造、販売しだした。
グッチは、カバンのほか、トランク、手袋、靴、ベルトなどの商品を手がけ、商売をしだいに広げていった。
グッチには息子が5人いた。そのうち、父親の稼業を手伝った三男アルドと五男ルドルフォが、グッチ・ブランドの発展に大きく貢献した。
三男アルドは稼業の引き継ぐと、父親のイニシャルをブランド・マークとしてデザイン化し、父親の反対を押し切って拡大路線を進め、米国ニューヨークに出店、米国での成功によってグッチ・ブランドを世界的なものとした。
一方、五男ルドルフォは、映画俳優になったが、なかなか芽が出ず、身をもちくずしかけていた。父親はそんな彼を呼び寄せて、家業を手伝わせた。ルドルフォは自分の家のブランド商品を、ソフィア・ローレン、オードリー・ヘップバーンといった大スターに使ってもらうことに成功し、グッチの名は世界に広まった。
グッチオ・グッチは、1953年1月、ミラノで没した。71歳だった。

グッチオの死後、グッチ社の株は遺族に分割され、それがもとで家族内の内紛、権力闘争が起き、1995年には暗殺者が雇われ、家業を継いだグッチオの孫が射殺されるという殺人事件にまで発展した。

ずっと昔、ニューヨークのグッチの店で、グッチのロゴ入りの紙製折りたたみ式マッチ25個入り(10ドル)をひと箱買ってきて、小分けし、おみやげとして友人に配ったことがある。とても好評だった。グッチは人気がある。すべては、若きグッチオの冒険からはじまったことだと思うと、感慨深い。
(2017年3月26日)



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