作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 スズキのインド進出は早かった 】

2012-07-20 10:34:49 | 02 華麗な生活

80年代の初期といえば日本企業の海外進出の黎明期。
多くが中国に、特に沿岸部に進出を始めた時期である。

浜松の小型自動車メーカー、スズキの知名度はトヨタ・本田・
日産と比べ、決して勝って居たとは言えない。

今のインドは、高度成長の波に乗って、好調であるが、
スズキ進出の時点では、インドはまだ遠い国であった。

スズキのインドでのシエアは54%にも上ると言う。
他の日本メーカーを完全に凌駕している。

インドと言えば、連想するのがカーストという階級制度。
今回のスズキの工場労働者による暴動も、カーストによる待遇の差が
理由だと言われている。

しかし自動車を牽引力として、インド進出は良いことだが、
それに便乗して、人件費ピンハネを目的とするハケン屋がはびこる
風潮は日本の恥だとも言える。

日本政府は、人材ピンハネ業を取り締まる方向に向え。

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【 イジメ問題に見る教師の堕落 】

2012-07-20 09:26:49 | 02 華麗な生活

ボクの世代は、戦中・戦後の教育制度改変のあおりを
もろに食った世代である。

小学校という名の学校に行ったことがない。
ナチスドイツの影響を受けて、国民学校と名を変えた6年間。

旧制中学は淡路島には一校しかなかった。
それがマッカーサー司令部の方針で、全ての町村に新制中学が。
英語の時間の筈が、農業実習に姿を替えた。

敵性言語の英語を教える教師が不足していた時代だ。

一学年上級生は、最後の旧制中学に入り、当時は当たり前であった、
上級生による鉄拳制裁を受けた連中。

二年間後輩が来ず、新制高校の二年生になった時に、
待ちに待った、下級生としてボク等が入学してきた。

二年生は喜んだ。これで四年間も上級生にやられた恨みが晴らせると。
ボクの仲間は、相当数が一年上の連中に、言われなき鉄拳制裁を受けた。

ボクも新二年生五人組に、物陰に呼び出された。
五人に囲まれた、その瞬間に担任だった、体育教師坂本先生が、
つむじ風の如く飛び込んで来るや、五人組の全員を殴り飛ばし、蹴り倒して
その五人を叩きのめして下さった。

いつも運動場のどこかに、真っ黒に日焼けして立って居られた先生に、
ボクは暴力を受けえる寸前に助けられた。

以後上級生による、暴力行為はボクには無かった。
坂本先生のような方が、今の学校には居なくなったのであろう。

教師の堕落である。
日教組の罪悪である。
自殺に追いやられた、大津の中二のお父さんは、
地元の有力者の息子を、遠慮なく重刑に追い込んでやれば良い。

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