町内会役員各位あてに、会長が『地蔵尊ご供養会』の案内と祝儀袋を持ってやって来た。
時節柄、忙しいだろうが出席してくれとの事。「いくら包めば良いの?」と聞けば3千円との答え、そこでドット笑いが起こる。
例により祝儀袋は封をしないでくれと、このままだと3年は使えると言う。御丁寧にも私の名前入りで、裏には金、参〇〇〇円と印刷されている。
町内の晴れやかな舞台と云えば祭り事なのだろうが、6月には 大山祇神社、8月は諏訪神社の神輿渡御ご巡幸、9月は地蔵尊ご供養会と地域を守り、家内安全、身体堅固、交通安全、商売繁盛などを祈る。又、この地で生きた御先祖を互いに供養し、和み合う世界を求める地域の文化が継承されている。
若い頃、町内に地蔵尊の御堂があり、寄り合いで一度、中に入った事があったが、寄進された大きな赤い提灯とか、色々な提灯が所狭しと、幾つも天井からぶら下げられていたのが印象深かった。
小さいながら、近くに神社も広場に建てられていて良く遊んだものだ。、私が子供もの頃、その境内には、拍子木で町内に来た事を知らせる紙芝居屋さんのおじさんが居た。
カン、カン、カンと音が聞こえれば馳せ参じ、自転車の荷台の棚に用意された水飴を、小さな棒に巻き付け、赤や白色の最中種(最中の皮)で出来た、小さな三角帽子を付けてくれるのです。
当時1個5円、10円も出せば食べた事の無いジャムせんべいの様な?珍しいものもあったが、私の小使いは1日5円でした。
それをしゃぶりながら、紙芝居の名調子を聞き、続きを楽しみに、拍子木の音で釣られ境内に通ったものでした。
今は駐車場となり、その面影が有りませんが、御堂の有った所に、地域の交流の場として公会堂が建てられ、お地蔵尊と大山祇神社が、公会堂の中に二つ並んで祭られています。
又、公会堂の中には昭和何年だったか?私が撮影した取り壊される前の御堂と神社の写真が飾られている。(石の鳥居と神社は、諏訪神社の境内に移築されています)
昔は地蔵尊は御婦人達の集まりで、神社は男衆の集まりと云うイメージだったが、その集まりが数日前の夕刻にありました。
今は管理を町内会に委託されたとかで、役員全員が男性で、お坊さんを呼び最初は小冊子を持ち皆でお経を唱和してきました。
初めての参加で数珠も持たずにお参りしましたが、坊さんは経典を空中でダイナミックにバラバラと広げ、たたむ挙げ方で、最後は参拝者全員の肩に、その経典をポンポンと上げて頂き、御利益を得て参りました。
聞けばそれは、大般若経(ダイハンニャキョウ)と云い、全部で600巻有るのだそうだ。
お持ち頂いた大般若経の一巻もけっこうな大きさがある。
お経も終われば坊さんを交えて、仕出し屋さんの薄い仕出し容器に入った料理を頂きながら、一献傾ける。
近くにいても普段会えない方や、年代を越え親睦をはかる良い機会で御座いました。