海馬のささやき

社会の出来事、身近な出来事を気ままに書き連ねてゆきたいと思います。コメント欄の代わりはみなさんのトラックバックです。

じしん

2016-10-14 | 感想
熊本で地震が起きました。震度は7、しかも2回

僕の暮らしている熊本市は震度6で振られた(揺れたという感じはいま思い起こしてもしません!!)のですが・・・。およそ1週間分の出来事を思い出して書いてみたいと思います。が、記憶があやふやなところがあります。あと、スマフォでもっと写真撮っておけばよかったかなと。しかし、写真撮る余裕なんてありゃしなかったなと。

僕が幸運だったのは、家がつぶれることなく、電気が止まることなく、食事も多少とはいえ買い置きがあったため、避難所に避難することなく過ごすことができたことです。なので、はたから見れば被災者となるのでしょうが、被災者であるという自覚をなかなか持つことができません。僕の住んでいる周囲でも家がつぶれたり、橋が通れないという様子を目にしているのですけどね・・・。



4月14日。
 夜9時過ぎにぼんやりテレビを見ていたら低いズーンという音。ゴジラの映画で耳にする、ゴジラの足音そのものの音です。その音とともに家が突然揺れだしました。これまでも何度か地震は経験しているので、そんなもんだなとおもっていたらどんどん揺れがつよくなり、揺れるというより振られるという状態になり・・・。すると、スマフォの緊急地震速報が鳴り響きだしました。なんだこりゃとびっくりしているうちに揺れは収まりました。家の停電はなく、水も止まることはありませんでしたが念のために風呂おけに水をためることにしました。しかし、徐々に水圧が落ちてきている様子もあり、風呂おけに半分強ためたところでため水をやめました。今後余震が起きるだろうけど、この強さよりは強くもないだろうと判断したことは否定しません。
 飲み水は、台風の時に買っておいたミネラルウォーターの買い置きが一箱(2リッターペットボトル8本)あったので心配はしていませんでした。テレビからは、つぶれた家の様子などが流れており、考えられない被害が生じているのだという事はわかりましたがそれ以上のことがわかりませんでした。
 我が家の対応もひと段落着いたので、近所の人で自分がケアマネジメントを担当している人の内安否確認が必要だと判断した人のところに行くために外出しました。外出してから目にしたのは、マンションから飛び出してきて道路で不安げにたたずむ人、ひび割れた道、道路になだれ落ちた屋根、マンションの配管から噴き出す水、ホテルから避難してきた外国人観光客でした。話している言葉から、どうも中国の人のようでした。汚れた空気のひどい中国から、まぁ多少なりとも空気の良い熊本に来て楽しんでいたろうにこんなひどい目にあうとは気の毒だと思いました。
 見慣れた光景がこのように変貌していることには驚く以外はありませんでした。安否の確認もできたので自宅に帰宅しました。外にいる間、歩き回っている間も余震がおきました。低いズーンという音ともに地面が揺れ、周囲の家や建物が揺れるゆさゆさという音とともに、人の悲鳴が深夜の街に響いていました。自動販売機の盗難警報装置の音があっちこっちで鳴り響いていました。


4月15日。
 職場に行き、かたずけをしました。併せて、マネジメントを受け持っている人で自宅まではいかずとも安否確認が必要かなという人に電話をいれました。仕事はまともにできる状況でもなかったので、早々に切り上げることになりました。
 仕事を終えた後、食料品の備蓄が心もとなかったので買い出しに出たのですが、大きなスーパーは締まっている状況だったのでコンビニをあてにしました。が、パン、おにぎり類は軒並み品切れ、ホットスナックはすっからかん、冷凍食品もほとんどない状況。母は食欲が低下している状態が続いていたこともあり、ヨーグルト(プレーンヨーグルトじゃないとダメ)の買い置きが必要だろうと考えましたが、なかなか手に入らず大変でしたがなんとか2パック入手できました。冷凍食品もなんとかピラフやお好み焼き類が手に入りました。家に買い置きしてあるパックご飯やおかず類も多少あり、電気も生きていることから、食事が全く駄目だというおもいはありませんでした。買い出しの途中、いつもならちょっとお店によって何か食べようかとなるのですが、外食やさんは軒並み閉店。コンビニも先に書いたような有様。やっとの思いでから某コンビニであげくん手に入れ空腹をしのぎ、帰宅後に食事をとりました。ちなみにコンビニは8件ほど回りました
 テレビでは、震源に一番近く被害も一番ひどい益城町の様子が流れていました。家がつぶれるほどの地震が熊本でおきるなんて考えていませんでした。私の家の近くでは、マンションが真っ二つ、新幹線が脱線、熊本城がひどいことになっているということもあり、上空をヘリコプターがず~っと旋回していました。ヘリコプターを眺めながら、あの人たちご飯やトイレ大丈夫かいな?と変な心配をしました


4月16日。
 そろそろ寝ようかと床に敷いた布団に腰を掛けたらとほぼ同時、ズーンという低い音ともに家が揺れ始めました。もう余震来たのか、早いな!と思う間もなく揺さぶられ、振られる状態に。地震は揺れるという印象しかありませんでしたが、揺れるなんてものじゃありません!!しかもなかなか揺れが収まりません。14日の地震より長い時間振れています。すると、電気が切れ真っ暗になりました。家がつぶれるのでは?いや、家の2階ごと外に投げ出されるのではと覚悟を決めました。スマフォからは緊急地震速報のアナウンスが流れていますが、真っ暗な中、家ごと振られている状態で「強い揺れに気をつけてください」というアナウンスを聴くというのはなんだか滑稽だなと感じました。振れ続ける中、スマフォの画面が暗闇の中ボーっと灯っていることと警報の音に不思議と安心感を持ちました。この警報の音、不愉快と感じる人が多いことは知っていたので、なんでこんなことを思うのか?不思議な感じでした。
 14日の地震とは異なる状況に「こりゃとんでもない状況になったな」と思うほかありません。近くにあった懐中電灯を手にしたころ揺れが収まったので1階におり、配電盤を確認したのですが、ブレーカーは落ちていません。ラジオとスマフォからの情報だけが頼りの状態です。水道は完全に止まっていることが確認できました。ツイッターで状況を確認していました。熊本城の石垣が崩れている写真、阿蘇大橋が落ちたという情報・・・ツイッターというかSNSからの情報は落ち着いてみる分には何ら問題は感じませんでした。しばらくすると電気が回復しました。ヤレヤレ一安心と思ったのもつかの間、テレビから流れてくる様子には唖然とするほかありませんでした。マンションの1階がつぶれている様子を見たのですが、知っているマンションがつぶれているじゃありませんか。見慣れた風景でもあったので驚くほかなかったなと。自分の部屋を見てみると、せっかくかたずけた本やコンポのスピーカーが飛び出したり、滑り落ちたりしている様子。また揺れるのかなとおもいかたずけることをやめにしました。しばらくテレビを母と二人、半ば呆然とみていると、母から「少し寝ないと」といわれましたが、その後少し寝たのかどうか?今となっては思い出せません。
 朝になり、外に出てみました。律儀に新聞が配達されていたことには驚きましたし、この日以降も新聞の配達が途切れることはありませんでした。外に出て空を見上げると、きれいな青空に飛行機雲が一筋。あれだけの災害の後のこのすがすがしい青空はなんだろうな?と違和感というか不思議な感覚を覚えました。それと、もの音が何もしないのです。人が動いている気配も何もない、時間が止まるという事はこういうことを言うのかな?と思うくらいしーんとしていたことが印象に残っています。
 飲料水への不安が増してきたので、近所の小学校の避難所に向かいましたが、しばらくしてからじゃないと給水車が来ないと係の人から言われました。避難所についてから、ポリタンクを持ってきていなかったことに気がついて、係の人に聞いたのですが、ポリタンクはいらない、ビニールの袋があるのでそれに入れて配ると聞いて一安心。家にポリタンクを取りに帰ったら給水にありつけないかもしれないという不安があったからです。避難所の近所(=僕の家の近所)を少し歩いてみました。小学校の近くのコンビニをのぞいてみましたが、水はなし、食べるものはなし。お菓子すらありません。売れ残っているのはお酒や雑誌。外に出る。空を見上げると気持ちの良い天気、澄んだ青空なのですが何とも言えない気持ち。ヘリコプターの音がきこえるばかりで車の音も何もしないシ~ンとした雰囲気が漂っています。すぐ近くのレンガ造りの倉庫の壁がくすれ車の上に落ちている様子を見て、自分が被災地にいて、自分が被災者なのだという実感を持ちました。時間が来たので水の配給に並びましたが、給水車の到着が遅くなるとのこと。さらに1時間半ほど待ってようやく給水車がやってきました。道路の混雑が相当ひどいなという印象を持ちましたが、車であっちこっちうろつく気にもならなかったので道路の状況については全く分かりません。給水量の制限があり、一人3リットルまでとのこと。テレビでよく見る給水の袋に水を入れてもらいました。少し安心。
 帰宅後テレビを見てましたが、南阿蘇の温泉宿で孤立した人たちを助けるべく陸自のヘリが投入されている様子が写っていました。何もすることがないこともあり、プレステ2の電源を入れ「エアロダンシング4」というゲーム(というよりフライトシミュレーター)でヘリの操縦を楽しむことにしました。しかし、操縦している際にもドーンという音とともに余震がやってきて家が揺れるのです。あまりに揺れるから、この揺れって何かに似てるなと思ったら、1月の9~10日に東京の秋葉原にラブライブの舞台散策に行った際に乗った旅客機の着陸の時に似てるなとふっと思い出しました。しかしこんな時によくもまぁそんなことをおもい付くものだということにおかしいやら不思議やらといった感じでした
 天気予報で明後日が雨の予報。水をためるべく準備をしました。バケツとプラスチックの衣装ケースを3つほど引っ張り出し外に準備。風呂おけの水は半分強あるのですが、トイレに使う水が思った以上に使うこともあり不安が増してきていましたので。僕は我慢すればいいのですが、せめて母に便所くらいは気を使うことなくしてもらいたっかたしですね。


4月17日。
 スーパーが空いているという情報をテレビで見ました。母のヨーグルトの買い置きに不安を感じたので(いつ物流が復旧するかのめどまるでなしの状態なので)、あるかどうかわからないなと思ったのですがスーパーに並ぶことにしました。入場制限があったのですが、順番が回って来て入ることができました。よく行くスーパーなのですが、パンの売り場はすっからかん、冷凍食品売り場も品物なし、僕自身の食べるものはさして心配していなかったので、ヨーグルトが売ってあるコーナーに。ヨーグルトは人気がないのでしょう、売れ残っていましたので多めに買い込みました。母は豆乳もよく飲むので豆乳も買おうと思い、売り場に行くとこれも残っていたのでも豆乳も多めに買い込みました。パックご飯はなし、水もなし、意外にお菓子や清涼飲料は売れ残っていました。昨日コンビニで見たのと同様、お酒は不人気で売れ残っていました。肉や野菜もそれなりに入荷していましたが、水が出ないので洗い物をしたくないなと考え、購入はしませんでしたが目の保養にはなったなと。
 その後、職場の近くまで車でぶらっといってみましたら、職場の斜め前の家がつぶれて倒れ、道をふさいでいました。前震では何事もなくたっていた家が見るも無残な様子になっていました。コンビニにも寄りました。商品は当然のようになかったのですが、スマフォのWi-Fiがつながり、OSのアップデート実行モードになったのでそのままぼんやり店先にたたずんでいたら、行列をすれば品物がわずかとはいえ手に入りそうだとのこと。タイミングのいいことに感謝しつつ行列に並びました。お店では一人の購入できる商品の量に制限がかけられていました。食パン一袋、おにぎり1個、惣菜一つとのこと。トラックが次いつ来るのか全く分からないからという理由からでした。僕は、食パン一袋、おにぎり一つを購入しました。


4月18日。
 出勤、仕事場は見るも無残な状況でした。勤務先の斜め前の家がぺしゃんこに。つぶれた家について話を聞くと住人さんは生き埋め状態となり、近所の人に助け出され、その様子がテレビでも流れたとのこと。ああっ、あの場面かと思いだしました。書類の棚をかたずけ、安否確認のために電話をしたり、自宅を訪問する作業をしました。その際に、風呂屋さんの前に行列ができているのを確認したのですが、行列長そうだなぁと。お昼ご飯はちょっとしたおかずとおにぎりが出されました。とてもおいしくいただくことができましたし、なにより手作りというところがありがたいし温かみを感じました。なにせ、この4日間を冷凍食品のみでしのいでましたからね。洗いものはあまりしたくなかったのでインスタントラーメン(袋ラーメン)は食べないようにしていたのです(カップラーメンの買い置きはうっかりしてしていませんでしたが、あまり不便は感じませんでした)。フルタイムでの仕事はできる状態でもなかったので14時30分ごろには切り上げて帰宅となりました。帰宅後、昨夜降った雨をためた水を風呂おけに移しました。大してたまっていませんでしたが、全然たまっていないよりはましだなと。
熊本港で海上保安庁の巡視船が入浴サービスを実施しているとのこと。夜の7時まで受け付けているとのことでした。そこで、灯油用に買っておいたポリタンクで未使用のものが二つあるのを確認していたので、ためみず用の水を探してから風呂に入ろうと考え自宅を出ました。水を探すのは大変なことになりそうだと覚悟をしていましたが、あっさりと近所のホワイト急便の店先で水の補給をどうぞという看板を発見。早速補給したのち熊本港に向かいました。夕方5時30分ごろ到着しましたが、受け付けは終わったとのことでがっかりしました。熊本港に行く際にわたる橋にとんでもない段差ができている(10センチくらい?)ことに驚き、あらためて被害の大きさを実感しました。残念な気持ちで帰るとき、航空自衛隊のC130輸送機が飛んでゆくのが見えました。輸送機の背中に少し励まされたような気分を味わい帰宅しました。


4月19日。
 明日夜から雨の予報。我が家の屋根の破損は確認できなかったものの、ほかの地域では屋根の破損がひどい様子でブルーシートの設置に追われている様子がテレビから流れています。仕事から帰宅後、ためみずをするため急きょ16日から準備をしていた衣装ケースやバケツを置く場所に工夫してみました。その後、 再度巡視船の風呂を目指して熊本港へ。やはり無料の入浴サービスは魅力的ですし、巡視船の風呂なんてそうそう体験できるものではありませんからね。しかし、やはりみな考えることは一緒なのか、締め切り予定時間の前にサービスは切り上げたとのこと。申し訳なさそうに保安官の人がペットボトルの水をくれようとしましたが断りました。飲み水にはまだ不安を感じていませんでしたから。それに、少しがっかりもしたし、イラッとしたのも事実。しかし、あとから申し訳ないなぁと後悔。熊本港で給水の支援をしていることを知っていたので、そちらに向かいましたが、どうも飲水の水の様子。しかし、背に腹は代えられないので水をいただきました。クソおもいポリタンクを車まで運んでもらい感謝。その後、昨日チェックしていた風呂屋さんに進路をとりました。長蛇の列を覚悟したのですが、男性は早く入れますよと店員さんに案内され、店内に。久しぶりの風呂にすっきりしました。なにより手足を伸ばして風呂に入れたことのありがたいことといったらありません。風呂につかりながら思い出したことは、前震の日4月14日は父が亡くなってちょうど3年目の日であったことなのです。そういうことを思い出すだけの余裕を持つことができただけでも良かったなと。風呂上りにアイスコーヒーを一杯、天国を味わいました。帰宅後、せっかくもらった水を風呂おけに投入。風呂おけ半分を上回ったので少しホッとしました。食事のあと、テレビを眺めていましたが、水道がいつ復旧するのか全く分からない状況。天気予報をチェック、降水量からいったいどれくらいの水が確保できるかを概算。40立方メートルは入手できそうだと出たのですが、いまいちイメージができない。風呂おけが満杯になればいいなと期待しました・・・。


4月20日。
 明日は仕事は休みにするとのこと。仕事帰りにコンビニによると、あれだけ空っぽのパンや弁当のコーナーにわずかとはいえ商品が並んでいるのを目にしました。うれしくて涙腺が緩みました。商品は並んでいて当たり前に思っていた事が勘違いであったことを再確認。前震から6日目の出来事です。


4月21日。
 仕事休み。朝起きると、雨が結構な量降っているおかげで、水がたくさん確保できました。たまった雨をどんどん風呂場に運ぶと、風呂おけ満水になった挙句、洗濯機にまでためることができましたので、途中でため水の作業をやめることにしました。ためみずの作業と並行してテレビを見ていたら、スーパーが営業を再開したとのことで、急ぎ向かいました。飲み水を手に入れられれば幸いだと思ったからです。買い置きしていた飲料水のペットボトルも8本あったものが4本ほどになっているのを確認。水道の復旧は全くいつになるのかわからない状況だったので、飲料水の入手をしたくて仕方がなかったのです。4日前に並んで入店したスーパーの隣のスーパーに行ったのですが、ペットボトルの水が箱入りでしかも山づみ。ボジョレーヌーボーの山積みなんかとは比較にならないうれしさとありがたさ。その後店内をめぐりましたが、アイスクリームが置いてあったり、冷凍食品が置いてあったり、何より惣菜類やおにぎりが並んでいるさまを見て涙が出そうになりました。半べそ書きながらスーパーの中を歩くなんてことは後にも先にもないことだなと。しかし、本当にうれしかったというかありがたかったというか・・・。自分が飲む分の水分は自分で確保できそうだと判断し、段ボールで買ってきたミネラルウォーターを母の飲み水に使うこととしました。僕は、ペットボトルのお茶やコーヒーを購入しました。
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