Pangea on the Land

創造と共に
リアルな生き方の記録

オヤジにできること

2017-05-14 22:07:12 | DIARY
紅葉(こうよう)を楽しむことを紅葉(もみじ)狩りという。
「モミジ」というのは限定された種を言うわけではなく、紅葉するもの全般を指し、
ている言葉であることはあまり知られていない。
今ではなかなか聞くことはないが、春の桜の花見は紅葉狩りと同様に「桜狩り」と
呼ばれていた。
桜は農作物(穀物)の作付けの開始を意味し、紅葉狩りは終わりを意味している。
逆に紅葉狩りは「狩り」の開始を合図とし、桜狩りはその終わりを意味する。
桜狩りと紅葉狩りは農と狩りの「転換期」である。

先週、ようやく旭川でも桜が満開になった。
3月にアパートから戸建ての借家に引っ越した僕は庭に畑を作り、北海道のどの家にもある
風除室で種から苗を育て、まだ早いがいくつか畑に植えた。
まだ早いけれど、このごろの僕は何かしていないと落ち着かない。
自分で原因はわかっている。
去年、結婚した彼女と僕のあいだにできた子供が生まれるからだ。
おまけに双子なのである。

そんな落ち着かない日々。
ようやく旭川の桜が満開になった5月8日に子供が産まれた。
産まれたところで男には何ができるわけでもないので、産まれてからも結局は
落ち着かないままだ。
なぜだか「北の国から」を焦って見返したり、昔観た映画を見たり、本棚や物干し場を
作ったり、男にできることなんてそんなことしかない。

そして、何もできない男の僕が図々しくも子供の名前を考えた。
僕の子供に対する考えがその名前に詰まっている。
大前提として、子供は親の所有物ではないし、オタマジャクシが必ずカエルになる必要なんて
全くないと僕は思っている。
その考えが強いせいなのか、親が子供の一生の名前を決めるこのスタイルも好きじゃなく、
名前に意味をもたせたくなかった。
ただ、この社会のシステム上、どうしても名前が必要なら、僕が子供に持たせたかったのは
「意味」や「願い」ではなく、「響」だった。

僕はクリスチャンでもなんでもないが、聖書の言葉を借りるのなら、
「はじめに言葉(響)があった。言葉が世界を創った。」である。
あとは子供が自分の世界をどうつくるのか、「自由」にすればいいはずだ。

「自由…」。

僕がどうしても、子供が産まれる前に見返したかった映画が二本あった。
「トゥルーマン ショー」(ロックだ!)と「海の上のピアニスト」だ。
どちらも僕の解釈では「自由」をテーマとしている。
「海の上のピアニスト」の中で「鍵盤には限りがある。弾く人間の側に自由がある」というシーンがある。
中沢新一という文化人類学者は「人間は死を持つことで自由を手に入れた」と言っているが、二つの
言葉はよく似ているし、僕の「自由」という言葉の捉え方も同じだ。

親父になった僕が子供らにできることは、本棚を造って、畑を耕して、家に侵入してくる虫を
退治してあげること。
そして、子供らが大人になるまで、僕が親父という役割を終えるまで、可能な限り自由の幅を広げてあげること。
親父にはそれくらいしかできない。
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