竹島問題を考える <<其の2>> 〜画像で知る竹島問題〜
<竹島問題の歴史的経緯 part1>
日本の領土にもかかわらず日本人が行けない場所があるのをご存知ですか?
日本の事なかれ主義が生んだ悲劇とは
今年7月韓国済州島へ降り立つ小泉総理
日韓国交正常化40周年を翌年に控えノムヒョン大統領と会談した
しかし未だ打ち解けていないことがすぐ近くにある

面積は日比谷公園とほぼ同じ 日本人が足を踏み入れることができない島だ


今年6月、その竹島への上陸を試みた男がいた
山本カメラマンが愕然とした写真がこれだ 一体何が写っているのか
驚くことに山頂には高射砲がすえられ韓国の国境警備隊が常駐
それだけではない 通信基地やヘリポートまで存在する

※この件は、週刊文春にも特集が載りました
週刊文春 Catch Up 竹島現地取材 日本の領土が奪われた!
http://blackwindow.hp.infoseek.co.jp/hokanko/image/takeshima1.jpg
韓国軍による竹島の占領…いつまで日本政府は傍観を決め込むのか
http://blackwindow.hp.infoseek.co.jp/hokanko/image/takeshima2.jpg
歴史はこうして歪曲される・・・そのお手本のようなプロパガンダ人形(鬱陵島の博物館)
http://blackwindow.hp.infoseek.co.jp/hokanko/image/takeshima3.jpg
日韓ともに譲らぬ竹島だが国際法ではどう取られているかというと

明治38年、日本は国際法の原則にのっとり閣議決定で島根県所属の竹島と命名し日本領に編入
これに対しもと東亜日報企画部長のイジョンガク氏はこう語る
第二次世界大戦後、連合国軍総司令部により竹島は日本領から除外され日本の統治下からいったん離れることとなる
一方開放された韓国はすぐさま竹島領有を宣言
昭和27年、李ラインを引き竹島を主権海域に取り込んだ
日本の外務省は直ちにこの李ラインに抗議、アメリカイギリスもそれを支持した
(補足)
★相次ぐ韓国船の当て逃げとマスコミ−李承晩ライン
大日本史番外編 朝鮮の巻−李承晩ライン
(前略)
もう一つ、終戦間もない頃、日本人が韓国を憎むようになった、より直接的、具体的なものとしては、日本側では"悪名高い李承晩ライン"がある。日本が連合国占領下にあった期間は、いわゆるマッカーサー・ラインによって日本漁船の漁場は制限されていたのだが、講和条約を前にして、韓国政府はその撤廃にそなえ「李承晩ライン」(後に「平和線」と改称)を、その領海の外側に広範囲に設定した。その線以内は、水産物だけでなく天然資源も鉱物も、韓国が独占的に保護利用する権利を持つと宣言したのである。翌53年には漁業資源保護法を制定し、李ライン内にはいった日本漁船は片端から拿捕されるに至った。1955年11月には、韓国連合参謀本部は李ライン侵犯船に対する砲撃、撃沈を声明して、日本漁民をふるえあがらせた。1952年以降5年間で拿捕された日本漁船は152隻、抑留船員は2025人にも及んだのである。
(中略)
微力な日本政府は、韓国政府の、国際法を無視したこれらの行為に対してなんら為す術はなく、漁民は悲嘆にくれ、国民は遺恨の思いを心中につのらせた。日本政府は抑留された漁船員を還してもらうために、本来は強制退去の対象者である在日朝鮮人の犯罪者472人を仮釈放して、在留特別許可を与えたのである。折から(1954年)おこった竹島(韓国名・独島)の所属をめぐる日韓交渉も、韓国側の無電台の設置、官憲の常駐という実力行使の前に、日本側は事実上沈黙させられた。これもまた韓国横暴の印象を日本人の中に植えつけたように思われる。
韓国がここまで傍若無人にやれたのは、日本の武装が貧弱で反撃できないことを見越していたからだ。(海上自衛隊の発足は1954年7月)
「朝日新聞 天声人語」 1963年9月28日
李ライン海域で日本漁船がまた捕獲された。韓国警備艇の武装した隊員が乗り移り三十四人の日本人船員を連行している。同じ二十七日の朝、別の漁船も追われ十人の船員は海に飛びこんで逃げ、船長は一時重体だったという。冷たい海中をいのちがけの避難だ。李ラインでの無法がまたはげしくなった。
(以下略)
そしてサンフランシスコ条約で国際法上竹島は日本領土と承認されるのだが
(補足)
※サンフランシスコ平和条約中における竹島の取り扱い
竹島問題 (韓国による武力占有)
(b)サンフランシスコ講和条約における、竹島の取り扱いについて
日本の領土である事が最終的に確定された、サンフランシコ講和条約締結に至る、竹島の取り扱いについて、詳しく見てみましょう。
(中略)
即ちこの時点で、米国国務省の竹島の見解は変わり、日本領であると判断されたのです。この国務省方針はダレス国務長官特別顧問にも引き継がれ、最終的に米国国務省は竹島は日本領であると結論付けています。
(中略)
米国政府からの正式な回答では、竹島または独島は、朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあり、この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされてなかったと結論付けられて、韓国側に通達されています。
この方針に沿って、1951(昭和26)年9月25日に調印されたサンフランシスコ講和条約の第二条では、竹島は日本領と確定されました。
韓国側が、講和条約の条文内に竹島を日本の領土から除外する項目を入れる事を要求した理由は、日本が放棄する朝鮮の領域に竹島の名前が入らなければ、竹島が日本の領域に入ることを認めてたからです。そのために、竹島が韓国の領域にあることをダレス国務長官特別顧問に説明し、条文中に竹島の文言を挿入することを求めたのですが、国務省の見解は上述の通り、竹島は歴史的に見ても日本の領土である、というものでした。韓国側の竹島領有の根拠は完全に破綻しています。
平和条約中にSCAPINと矛盾する項目がないから、その覚書の方針が貫かれたという韓国の主張は明らかに誤りであり、不当なものなのです。
昭和29年1月、韓国は突如竹島に領土標識を設置、続いて5月民間守備隊派遣、
9月には武装守備を決定と、次々と既成事実を作り上げていった
これに対し当時の岸総理は・・・
昭和40年、国交正常化で竹島問題解決かと思われたが日韓基本条約でも竹島問題は棚上げされた
(補足)
韓日の障害物「独島」爆破したい…朴元大統領発言
40年前「竹島、日韓共同管理を」 韓国が米の提案拒否
【ソウル=山本勇二】日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)について、米国が一九六五年、韓国に対し、日韓共同で灯台を建設して管理し、領有権争いをしないよう促したものの韓国側が拒否していた事実が明らかになった。
この間、韓国は李ラインを立てに日本漁船に対する銃撃拿捕などを繰り返し
4000人近い日本漁民が拘留された しかも其の過程で、44人もの日本人漁民が死傷している。



★相次ぐ韓国船の当て逃げとマスコミ ★李承晩ライン より
>死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。
>赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。
>抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立する1965年まで抑留され、
>韓国に人質として利用された。 その年月、最大13年。
>日本政府は、彼らを帰してもらうために、在日朝鮮人の犯罪者を
>仮釈放して、在留特別許可を与えた・・・その犯罪在日朝鮮人の数、472人。
>韓国は国際法上認められていない、自称”平和線”によって
>拿捕された漁民を人質として利用し、日韓条約と日韓漁業協定を
>韓国に圧倒的有利な内容で締結させた。
>折から(1954年)おこった竹島の所属を巡る
>日韓交渉も韓国側の無電台の設置、官憲の常駐という実力行使の前に
>日本側は事実上沈黙させられた・・・
(補足)
下條正男氏講演 「領土問題の現状と課題」
韓国は李承晩ラインを盾に何名くらいの日本人を抑留し、日本漁船を拿捕したと思いますか。三、九二九人が抑留され、三二八隻が拿捕されました。その過程で四十四名の方が死傷しています。公海上に引かれた李承晩ラインを根拠に拿捕するのは拉致と同じ状況です。その抑留した人々を韓国側は外交交渉の手段に使いました。もしこれらの人々を返してもらいたかったら、日本は賠償をしなさい、在日韓国人の法的地位を認めなさい、あるいはまた朝鮮半島に残してきた日本人の個人資産をゼロにしなさいという外交交渉です。その外交カードとなったのが竹島問題です。
竹島問題 (韓国による武力占有)
1952(昭和27)年1月18日、韓国の李承晩大統領は、根拠も無く「大韓民国国務院公示十四号=隣接海洋の主権に関する大統領宣言」にて「李承晩ライン」を一方的に国際法を無視して設置しました。その公海上に引かれた「李承晩ライン」の内側には、サンフランシスコ平和条約で確定された日本領の竹島が含まれていました。
韓国政府は根拠の無い「李承晩ライン」を口実に日本の漁船を不当に拿捕しはじめ、翌年の1953(昭和28)年1月12日「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示し、2月4日には、日本の第一大邦丸の日本人漁労長が韓国艦の銃撃で射殺されるという事件が発生しました。日本政府は韓国政府に対し、第一大邦丸の事件を公海上で発生した事件として抗議しましたが、逆に李承晩大統領は、日本漁船の「李承晩ライン」侵犯を警告であると主張しました。
(中略)
9月25日、韓国政府に対して、竹島の領有権問題を国際司法裁判所に提訴しようと韓国政府に提議したが、10月28日に拒否され、韓国は不法占拠を継続しました。日韓の漁業秩序は、その後も「李承晩ライン」のために混乱を続けました。
1965(昭和40)年の日韓の国交正常化とともに「日韓漁業協定」が締結され、「李承晩ライン」はその時になって廃止されました。しかし、今現在も沿岸警備隊を約40人を置き日本漁船などが近づくことを厳重に取り締まり、港湾施設の建設や地価の公示、金泳三大統領時代の1997年には記念碑「大韓民国の東端」を設置、韓国の文化財保護法で天然保護区域に指定、竹島を国立公園指定をしようとしたり、又竹島の切手を発行するなどの実効支配と既成事実化を図っているのです。
韓国に拿捕された漁民を叔父にもつ人の話
(其の3へ続く)
日本の領土にもかかわらず日本人が行けない場所があるのをご存知ですか?
日本の事なかれ主義が生んだ悲劇とは
今年7月韓国済州島へ降り立つ小泉総理
日韓国交正常化40周年を翌年に控えノムヒョン大統領と会談した
しかし未だ打ち解けていないことがすぐ近くにある

面積は日比谷公園とほぼ同じ 日本人が足を踏み入れることができない島だ


今年6月、その竹島への上陸を試みた男がいた
山本カメラマンが愕然とした写真がこれだ 一体何が写っているのか
驚くことに山頂には高射砲がすえられ韓国の国境警備隊が常駐
それだけではない 通信基地やヘリポートまで存在する

※この件は、週刊文春にも特集が載りました
週刊文春 Catch Up 竹島現地取材 日本の領土が奪われた!
http://blackwindow.hp.infoseek.co.jp/hokanko/image/takeshima1.jpg
韓国軍による竹島の占領…いつまで日本政府は傍観を決め込むのか
http://blackwindow.hp.infoseek.co.jp/hokanko/image/takeshima2.jpg
歴史はこうして歪曲される・・・そのお手本のようなプロパガンダ人形(鬱陵島の博物館)
http://blackwindow.hp.infoseek.co.jp/hokanko/image/takeshima3.jpg
日韓ともに譲らぬ竹島だが国際法ではどう取られているかというと

明治38年、日本は国際法の原則にのっとり閣議決定で島根県所属の竹島と命名し日本領に編入
これに対しもと東亜日報企画部長のイジョンガク氏はこう語る
第二次世界大戦後、連合国軍総司令部により竹島は日本領から除外され日本の統治下からいったん離れることとなる
一方開放された韓国はすぐさま竹島領有を宣言
昭和27年、李ラインを引き竹島を主権海域に取り込んだ
日本の外務省は直ちにこの李ラインに抗議、アメリカイギリスもそれを支持した
(補足)
★相次ぐ韓国船の当て逃げとマスコミ−李承晩ライン
大日本史番外編 朝鮮の巻−李承晩ライン
(前略)
もう一つ、終戦間もない頃、日本人が韓国を憎むようになった、より直接的、具体的なものとしては、日本側では"悪名高い李承晩ライン"がある。日本が連合国占領下にあった期間は、いわゆるマッカーサー・ラインによって日本漁船の漁場は制限されていたのだが、講和条約を前にして、韓国政府はその撤廃にそなえ「李承晩ライン」(後に「平和線」と改称)を、その領海の外側に広範囲に設定した。その線以内は、水産物だけでなく天然資源も鉱物も、韓国が独占的に保護利用する権利を持つと宣言したのである。翌53年には漁業資源保護法を制定し、李ライン内にはいった日本漁船は片端から拿捕されるに至った。1955年11月には、韓国連合参謀本部は李ライン侵犯船に対する砲撃、撃沈を声明して、日本漁民をふるえあがらせた。1952年以降5年間で拿捕された日本漁船は152隻、抑留船員は2025人にも及んだのである。
(中略)
微力な日本政府は、韓国政府の、国際法を無視したこれらの行為に対してなんら為す術はなく、漁民は悲嘆にくれ、国民は遺恨の思いを心中につのらせた。日本政府は抑留された漁船員を還してもらうために、本来は強制退去の対象者である在日朝鮮人の犯罪者472人を仮釈放して、在留特別許可を与えたのである。折から(1954年)おこった竹島(韓国名・独島)の所属をめぐる日韓交渉も、韓国側の無電台の設置、官憲の常駐という実力行使の前に、日本側は事実上沈黙させられた。これもまた韓国横暴の印象を日本人の中に植えつけたように思われる。
韓国がここまで傍若無人にやれたのは、日本の武装が貧弱で反撃できないことを見越していたからだ。(海上自衛隊の発足は1954年7月)
「朝日新聞 天声人語」 1963年9月28日
李ライン海域で日本漁船がまた捕獲された。韓国警備艇の武装した隊員が乗り移り三十四人の日本人船員を連行している。同じ二十七日の朝、別の漁船も追われ十人の船員は海に飛びこんで逃げ、船長は一時重体だったという。冷たい海中をいのちがけの避難だ。李ラインでの無法がまたはげしくなった。
(以下略)
そしてサンフランシスコ条約で国際法上竹島は日本領土と承認されるのだが
(補足)
※サンフランシスコ平和条約中における竹島の取り扱い
竹島問題 (韓国による武力占有)
(b)サンフランシスコ講和条約における、竹島の取り扱いについて
日本の領土である事が最終的に確定された、サンフランシコ講和条約締結に至る、竹島の取り扱いについて、詳しく見てみましょう。
(中略)
即ちこの時点で、米国国務省の竹島の見解は変わり、日本領であると判断されたのです。この国務省方針はダレス国務長官特別顧問にも引き継がれ、最終的に米国国務省は竹島は日本領であると結論付けています。
(中略)
米国政府からの正式な回答では、竹島または独島は、朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあり、この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされてなかったと結論付けられて、韓国側に通達されています。
この方針に沿って、1951(昭和26)年9月25日に調印されたサンフランシスコ講和条約の第二条では、竹島は日本領と確定されました。
韓国側が、講和条約の条文内に竹島を日本の領土から除外する項目を入れる事を要求した理由は、日本が放棄する朝鮮の領域に竹島の名前が入らなければ、竹島が日本の領域に入ることを認めてたからです。そのために、竹島が韓国の領域にあることをダレス国務長官特別顧問に説明し、条文中に竹島の文言を挿入することを求めたのですが、国務省の見解は上述の通り、竹島は歴史的に見ても日本の領土である、というものでした。韓国側の竹島領有の根拠は完全に破綻しています。
平和条約中にSCAPINと矛盾する項目がないから、その覚書の方針が貫かれたという韓国の主張は明らかに誤りであり、不当なものなのです。
昭和29年1月、韓国は突如竹島に領土標識を設置、続いて5月民間守備隊派遣、
9月には武装守備を決定と、次々と既成事実を作り上げていった
これに対し当時の岸総理は・・・
昭和40年、国交正常化で竹島問題解決かと思われたが日韓基本条約でも竹島問題は棚上げされた
(補足)
韓日の障害物「独島」爆破したい…朴元大統領発言
40年前「竹島、日韓共同管理を」 韓国が米の提案拒否
【ソウル=山本勇二】日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)について、米国が一九六五年、韓国に対し、日韓共同で灯台を建設して管理し、領有権争いをしないよう促したものの韓国側が拒否していた事実が明らかになった。
この間、韓国は李ラインを立てに日本漁船に対する銃撃拿捕などを繰り返し
4000人近い日本漁民が拘留された しかも其の過程で、44人もの日本人漁民が死傷している。



★相次ぐ韓国船の当て逃げとマスコミ ★李承晩ライン より
>死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。
>赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。
>抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立する1965年まで抑留され、
>韓国に人質として利用された。 その年月、最大13年。
>日本政府は、彼らを帰してもらうために、在日朝鮮人の犯罪者を
>仮釈放して、在留特別許可を与えた・・・その犯罪在日朝鮮人の数、472人。
>韓国は国際法上認められていない、自称”平和線”によって
>拿捕された漁民を人質として利用し、日韓条約と日韓漁業協定を
>韓国に圧倒的有利な内容で締結させた。
>折から(1954年)おこった竹島の所属を巡る
>日韓交渉も韓国側の無電台の設置、官憲の常駐という実力行使の前に
>日本側は事実上沈黙させられた・・・
(補足)
下條正男氏講演 「領土問題の現状と課題」
韓国は李承晩ラインを盾に何名くらいの日本人を抑留し、日本漁船を拿捕したと思いますか。三、九二九人が抑留され、三二八隻が拿捕されました。その過程で四十四名の方が死傷しています。公海上に引かれた李承晩ラインを根拠に拿捕するのは拉致と同じ状況です。その抑留した人々を韓国側は外交交渉の手段に使いました。もしこれらの人々を返してもらいたかったら、日本は賠償をしなさい、在日韓国人の法的地位を認めなさい、あるいはまた朝鮮半島に残してきた日本人の個人資産をゼロにしなさいという外交交渉です。その外交カードとなったのが竹島問題です。
竹島問題 (韓国による武力占有)
1952(昭和27)年1月18日、韓国の李承晩大統領は、根拠も無く「大韓民国国務院公示十四号=隣接海洋の主権に関する大統領宣言」にて「李承晩ライン」を一方的に国際法を無視して設置しました。その公海上に引かれた「李承晩ライン」の内側には、サンフランシスコ平和条約で確定された日本領の竹島が含まれていました。
韓国政府は根拠の無い「李承晩ライン」を口実に日本の漁船を不当に拿捕しはじめ、翌年の1953(昭和28)年1月12日「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示し、2月4日には、日本の第一大邦丸の日本人漁労長が韓国艦の銃撃で射殺されるという事件が発生しました。日本政府は韓国政府に対し、第一大邦丸の事件を公海上で発生した事件として抗議しましたが、逆に李承晩大統領は、日本漁船の「李承晩ライン」侵犯を警告であると主張しました。
(中略)
9月25日、韓国政府に対して、竹島の領有権問題を国際司法裁判所に提訴しようと韓国政府に提議したが、10月28日に拒否され、韓国は不法占拠を継続しました。日韓の漁業秩序は、その後も「李承晩ライン」のために混乱を続けました。
1965(昭和40)年の日韓の国交正常化とともに「日韓漁業協定」が締結され、「李承晩ライン」はその時になって廃止されました。しかし、今現在も沿岸警備隊を約40人を置き日本漁船などが近づくことを厳重に取り締まり、港湾施設の建設や地価の公示、金泳三大統領時代の1997年には記念碑「大韓民国の東端」を設置、韓国の文化財保護法で天然保護区域に指定、竹島を国立公園指定をしようとしたり、又竹島の切手を発行するなどの実効支配と既成事実化を図っているのです。
韓国に拿捕された漁民を叔父にもつ人の話
(其の3へ続く)















ありがとうございます。
むっちゃむかつく
韓国すごく嫌いになりました。
その注目度がそのまま社会に反映されていると思う・・・
少ないのではない。南チョンのあまりにもお馬鹿なことに、まともな日本人は呆れて言葉も無いということなんだよ。
>その注目度がそのまま社会に反映
嫌韓流がこれからの日本社会となるということだな。
ことが一番の問題。ヤバイよ・・・
のっとられるよ・・・一刻も早く日本人は目覚めないと
本当にヤバイよ!
http://sexoffender.99k.org/