このブログについて

『何故、生きるの?存在するってどう言うこと?』
 これが私のうつ病です。
 このブログを通して私のうつ病のきっかけから
 今に至るまでの日記。

うつ病で悩んでいる方、
うつ病の方を支える方々、
うつ病患者を生んでしまった方々への
私茶坊三休(ちゃぼう さんきゅう)からのメッセージ。

( ^-^)_且~~~
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序章

「何だ!この書類は!こんなんじゃ印鑑なんか押せないだろ!!承認印を何だと思ってるんだ!!!」
フロア中に響き渡る罵声の声、大阪から単身赴任してきた伊藤部長(仮:全国の伊藤さんごめんなさい)(以下伊藤B)
「三休お前何年目だ!!」
部長席の前に立たされ後で組んだ左手に力が入りながら「5年目です」と答える私。
「大阪の大野(仮:全国の大野さんごめんなさい)は3年目でこれくらいのことできたぞ!」さらに左手に力が入る。
「まったく…ここはこうで・・ここはこう書いて・・」と容赦なく赤い文字が追加されていく。「やり直し」と言われて真っ赤になった書類をイヤミな顔で渡す伊藤B
私は自分の席に戻り真っ赤な文字とPCをにらめっこして書類を再作成する。十分確認をしプリントアウトした書類を再度確認し、三休の印鑑を押して伊藤Bの前に立ち、「再度、承認お願いします。」と書類を提出する。
「だ・か・ら!!ここはこうでああで・・・」とまた容赦ない赤が入る。
「もう1回。」と書類を放り投げ出す伊藤B。
こんなやりとりを3、4回繰り返す。
「5年目になってもこんなことも知らないのか!」
『だってこんなのやったことないし、存在自体しらねーもん』と心の中で叫ぶ。
その間伊藤Bはクドクドとご自分の武勇伝やら大阪の部下の自慢話をしている。
馬の耳に念仏状態の私はもう右手の感覚がない。
「押したくないけどしょうがねーなー」と印をする伊藤B。
「ありがとうございます」と無表情で受け取り喫煙室で同僚になだめられいると
伊藤Bが喫煙室に入ってくるなり「三休お前だめだな!! 全然なってない」等1時間以上クドクドと説教される。
その時はもう伊藤Bの存在が苦痛以外の何者でもなかった。

そう私の『うつ』への入り口はパワーハラスメントだったのです。

( ^-^)_且~~~
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最後の日

今日玲に手紙を書いて、離婚届と一緒に投函した。
これで私はすべてのものを失った。
もう残っているのは、この価値のない私の命だけだ。
このブログと同じく誰の目にもとまらずひっそりと死を迎えよう。
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今日は気分がよかったです

今日は目覚めもよく、朝7時前に起きました。
オフクロの声と一郎の鳴き声が聞こえました。
何でも一郎が幼稚園の『お着替え』をぐずっているみたいでした。聞くところによると毎日の事らしい。。。
そんなやり取りを横目に私は朝ごはんを食べ、少々ゆっくりとして役所に用事があったので出かけました。外は風が少々冷たかったけどよいお天気で散歩もとても心地よかったです。そして近くでボランティアをやっているというケアセンターによったのですが、ボランティアの募集はもうしていないとの事。
ボランティア活動をして社会復帰のステップを踏もうと思っていたので少々残念でしたが「まー天気もいいしよい散歩だったなー」と思い家に帰りました。
家に帰り、お昼ごはんを早めに済ませてオフクロがやっている裏の畑の草むしりをして労働に汗を掻こうとしたら通り雨にやられ一時中断、「せっかくやる気になったのにーp()q!!」と思っていたら一郎が幼稚園から帰ってくる時間になり、お迎えにいきました。バスの中で私を見つけた一郎はお友達を押しのけて真っ先に下車しました。幼稚園の先生に「一郎君今日、お砂をかぶってしまって目にお砂が入ってしまって目をこすってしまった」との事、目をじっくり見たけど砂は取り除かれていたようだったので一郎と手をつなぎながら帰りました。帰りの道中、
三休:「何でお砂かぶっちゃったの?」
一郎:「自分でバーンした!」
をぃ!!
三休:「今日は給食何食べたの?」
一郎:「んとねーパンと御飯!」
をぃ!をぃ!んなわけないだろー!!
三休:「他には?」
一郎:「んとねーあとお茶漬け!」
こりゃほとんど食べてないな。。。
んな漫才をしながら帰ってまた私は畑仕事に戻りました。
2時間位働いてオフクロが私を呼び「一郎を眼科に連れて行くから」との事、
一郎の顔を見たらびっくり目の周りが真っ赤!!!何でもかゆくてこすりまくったらしい。もともとアレルギー気味だったのでその内眼科には行く予定だったので早まっただけで、私は畑仕事を中断し、次郎とお留守番をすることになりました。次郎はオフクロが見えなくなるやいなや叫びます!叫びます!叫びます!
2時間半格闘の末力尽きた次郎は私と顔をくっつけて寝ました。
結局何も成果の出ない一日でしたがとても気持ちのよい一日でした。
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はじめてのカウンセリング

病院へ着き1時間のカウンセリングを受けました。男性のカウンセラーの先生でとても感じのよい方でしたそして、私は思っている事を話しました。
その後担当医の先生の問診をオヤジとオフクロと3人で受け、私が導いた答えは
私の望んでいる事は明確で「玲ともう一度やり直したい、1年以上玲を苦しめてきた事の償いをしたい。」というものでそのために社会復帰をしようと思いました。また、私が苦しいように玲もたぶん苦しんでいるだろう、だからしばらくそっとしてあげる事も玲への愛情であると考えました。
担当医の先生は「死ぬ」「自傷行為を行う」のは私の性格(自虐的傾向にある)事に今まで大量に飲んでいた薬が拍車をかけることがあると教えてくれ、その薬をやめるように処方してもらいました。
また、アルコールについては晩酌程度ならOKとしてくれました。
ボランティアに参加することや社会に触れる事を進めてくれました。
規則正しい生活を送り、少しずつ社会に慣れていけばよいとのことでした。
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踏み出せなかった1歩を踏み出せました

今日は病院の日で私は行きは電車でかよう練習をしました。
電車で1時間弱の病院まで1人で行きました。
今まで踏み出せなかった1歩を踏み出す勇気をだして電車に乗りました。
電車に乗っていると手足の痺れや吐き気、頭痛と身体的に拒絶反応がでましたが、
我慢できない程ではなく、病院に無事たどり着きました。
他人からすれば大した事ではないのでしょうが、私にとってはとても大きな1歩だったと充実感に浸れるようになりました。
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玲へ

ごめんなさい。
私はあなたと別れるという事が受け止められませんでした。
自分でもどうなるか怖くなってしまいます。
あなたを苦しめたくないですが、私はあなたともう一度やり直しがしたかったです。病気になる前のあの楽しかった生活をもう一度できればと考えていました。
しかしあなたは1年以上私を支えてくれて、頑張ってくれて、とうとう私を支えきれなくさせてしまって本当にごめんなさい。
家庭を壊す覚悟は相当なものであったと思います。
本当にごめんなさい。
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すべてを失った。。。。

私は結局、すべてを失った。マイホームも売却することになりそれなりの値段で売れるらしい。少々の借金は残るとの事。
また会社も休職期間満了で復帰不可能なかたちで会社を退職する。
玲とももう一緒には居られない、離婚するしかない。
家を失い、職を失い、家庭を失い、最愛なる妻も失った。
私に残されたものは借金と先の見えない将来だけである。
もう何もかもがどうでもよくなった。私にはもう何も残っていないのだから。。。
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我が甥っ子一郎と次郎

先に記述したとおり現在私は兄の息子一郎と次郎の子育てをオフクロと共に行っています。今日は一郎と次郎について書き込みします。
一郎は4歳で現在幼稚園の年中さんです。
今まで社会というものにあまり触れていない生活をしていたため
とても甘えん坊です。また自分の意思表示ができず何かあるとすぐに泣いてしまいます。
これは直さないととオフクロと心を鬼にして教育しています。
集中力があまりなく、色々な物に興味は示すのですがすぐに飽きてしまいます。
これは個性と考えています。片付けをしないのがたまに傷ですが。。。。^^

次郎は10ヶ月でやっと離乳食を食べているところです。
今までは母乳で育ってきたためミルクは飲まないのかと思っていましたが、ぐびぐび飲んでくれて一安心です。
今まで放っておかれていたのか、誰かが近くにいないと泣き叫びます。レンタルして借りているサークルの中ではビービー泣いています。
少々かわいそうではありますが、これに慣れてくれないと私達が身動きがとれません。
とても頑固で泣き叫び始めると1,2時間は平気で泣き叫びまくります。現在は泣き叫び終わり、う○こもすませて私の背中ですやすやと寝ています。
こんな生活がいつまでつづくやら。。。。
トホホー
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電車に挑戦

今日は雨も降っていなく私の体調もよかったため
乗れなかった電車に挑戦しました。
徒歩で12,3分の最寄駅に徒歩で行きました。予定の電車には間に合わず、次の電車まで少々時間があったためタバコとコーヒーをたしなみながら電車を待っていました。待っている間はとても緊張して手に汗を掻いていました。
20分程待って来た電車に乗りました。
電車内の乗客はまばらでしたがやはり「誰かに見られてるのでは?」という感覚にとらわれましたが、深呼吸をして気持ちを落ち着かせることができました。
それからは難なく車両から見える懐かしい風景を眺めながら車内で落ち着いて乗ることができ、目的地の成田に到着しました。
懐かしい成田の町の参道を散歩ました。うなぎの蒲焼の匂いや色々なお店を懐かしく感じながら10分程度で到着する『あま太郎』という大判焼き屋で大判焼きをお土産にまた電車に乗って家に帰りました。
電車に乗れて少し自信がつきました。^^
調子にのった私は「次はボランティア活動かな?」なんて考えています^^

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一日のうち事件がない日はないのかも

幼稚園から帰ってきた一郎はお手手洗いとうがいをぐずりました。ビービーなきながら事を終え昼御飯を食べてししばらくしてからの事です。次郎がう○こをしたので、すぐに取り替えてあげようとしたら、ブリブリ・・・・コロン
!!じゅうたんの上にう○こが3つも・・・・トホホ。。。
さらに御機嫌が直った一郎が今度は家中を走り回って、
すっころんでふすまに頭を激突!!(※ドリフのコントじゃあるまいし。。。) ビービー泣いてオフクロに甘えていました。
そして1人で幼稚園に行って遊んだせいか?すぐにお昼寝をしてしまいました。
こんな日が毎日続くのかな~?
とほほ。。。。
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今日は一日子守です。

今日は一日子守です。
オフクロの体調があまり優れないため私が次郎をおんぶにだっこして御飯をあげたり寝かしつけたりしています。幸い次郎も私に慣れてくれてだっこもおんぶも泣きません。^^
このブログを書いている現在も私のだっこでかわいい寝顔を見せてくれています。
一郎の幼稚園のお迎えも行きました。今日は泣かずに砂遊びやお歌を歌ったりしたそうです。w
なんとなく我が子のように思えてきます^^;
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一郎の入園式

今日は我が甥っ子一郎の入園式でした。
前日から雑巾やら靴やら箸の1本まで名前書きをして準備を進めていました。
制服に着替えた我が甥っ子を見ると自分の子でもないのにとてもプリチーに見えました。しかし私の頭の中には「こいつは泣くな!」と思っていました。
兄貴をせかす様に幼稚園へ行き、私とオフクロは次郎の世話のみでちょっと一休みできました。近所のオフクロの友達がきてコーヒーをすすりながら世間話をしてくつろぎました。
昼前に兄貴達が帰ってきて、案の定一郎は泣きっぱなしだったそうです。
集団行動を始めて体験したのだから当たり前といえば当たり前ですが。。。。
強くなれ!!一郎!!!と思いました。
私も明日あたり電車に挑戦しようと考えております。
電車が克服できたら次の目標は近所の病院で募集しているボランティアに参加することです。
私も強くならなければ!!と心に誓った瞬間、怪獣2匹の泣き声が響き渡ります。
とほほ。。。。。。
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悩んでいる暇なんて・・・・

今日はオヤジと兄貴が私の家に私の荷物を取りに行ってくれました。
洋服BOXやらDVDやらPCやらと結構な量の荷物を取ってきてくれて家の中の大改造でした。一郎は「キャーキャー」と邪魔するし、次郎は「ビーギャービーギャー」騒ぐため事は順調に運ぶわけもなくとりあえずしまえるものはしまって状態でした。
そこで事件が起きました。
何とかオフクロが晩御飯の支度をして晩御飯を食べ終わると、
オヤジが食器を洗い始めました!!
これは我が家に取っては大事件!!
「風呂・飯・寝る」の三拍子オヤジが家事をしています。しかも自分から進んで。。。。
オヤジのその行動にせかされてか、私と兄貴も手伝いました。
オヤジ曰く
「何でも間でもお母さんまかせでは駄目だ!家族6人で協力しあわなければ!」との事。
ごもっとも!! 見直しましたぞ!!父上!!!!
その日の夜オフクロの肩もみをしてあげました。
とても気持ちよさそうでした。
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何を糧に生きればいいの?

今日は土曜日兄貴もオヤジもいるため私は子供の面倒から開放され自分の時間が少し持てた。
その時間にやはり玲の事、自分の将来の事を考えてしまう。
やはり私は玲への気持ち、「玲を幸せにしてあげたい」「甘えてばかりいた私を叩き直して、病気になる前のあの楽しかった日々に戻りたい。」という気持ちがある。これだけ苦労をかけた私の自分自身のエゴである事は十分にわかっているつもりだ。ストーカー的な事はしてはいけないということも十分わかっている。
しかし私はまだ心の整理がつかない。
『病気である』という事を直視した時、「親へ苦労をかけている。」「私がぐずるため玲が苦しんでいる。」と考えから「死んでしまおう」という考えがよぎる。「それは私の勝手な考えでそれをしても誰も幸せになんかならない。」と自分自身に言い聞かせている。
憧れていたSEという仕事に就き挫折し、
最愛の玲と結ばれて幸せな日々を送っていたはずの生活が崩れ、
私はこれからの将来に希望が持てない。
何を糧に生きればよいのだろう?
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