幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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『悲しみの果て』エレファントカシマシ ~ 死別 と 死生観 ~

2014-12-12 | 
テーマ:
http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/kanasiminohate%E3%80%80/より


『悲しみの果て』という曲で、


「悲しみの果てに

 何があるかなんて

 俺は知らない

 見たこともない

 ただ あなたの顔が

 浮かんで消えるだろう」



 と歌われています。


(作詞・作曲:宮本浩次 歌:エレファントカシマシ)


悲しみ、苦しみは様々ですが、特に死別の悲しみは言葉では表しきれません。

刻々と心は複雑に変わっていきますし、大変デリケートなものです。


「慰めの言葉に救われた」

 という方もあれば、

「普通に接してほしい」

 という場合もありますし、

「普通の接し方って、なんだろう」

「何もなかったような接し方が普通なのでしょうか?」

「同じ言葉でも、その人との関係や時期によって変わる」

 という声も聞こえてきます。



また、伴侶と死別された方が、こう言われました。

「伴侶を亡くした私は同時に色々なことを失った」


色々なこと、それは、、

「気力の喪失」であったり

「役割の喪失」であったり、

「生きる目的の喪失」であったりします。


そして、その一つ一つの喪失感は大変なものです。


また、


「あの人にもう一度会いたい」


「世界で一番大切な人を失った今、

 自分はなんのために生きているのかなと思う」


「この心の揺れがなんなのか知りたい」


と、未知の心に戸惑い、どうすればいいのか分からず

途方に暮れてしまいます。



突き詰めていくと

「生とは?」

「死とは?」


という問題に行きつくでしょう。


これは、万人共通の問題です。


ここで必要になってくるのが「死生観」、


私の提唱する

「死考力(しこうりょく)」

です。


この「死考力」をつけるベストは【古典に学ぶ】こと。


なぜなら、日本古典の死生観は、世界的に見ても目を見張るものがあるからです。


三大古典『徒然草』『歎異抄』『方丈記』

いずれも、傑出した無常観、死生観が全編にあふれています。

また、日本を代表する名文『白骨の御文章(はっこつのごぶんしょう)』は、

そのタイトル通り、無常を切々と訴えています。




国民的作家、司馬遼太郎氏(NHK大河ドラマ原作となった作品は7作と最も多い)は、

こう書いています。


「明治以前の文章家のなかで、平易達意の名文家は、

 筆者不明の『歎異鈔』と

 室町末期に本願寺を中興した蓮如上人(白骨の御文章)

 宮本武蔵(五輪之書)のほかにはみられない」(真説宮本武蔵)」
  
  (出典)司馬遼太郎『真説宮本武蔵』講談社文庫、1983年


また、同氏の『世に棲む日日』の登場人物が吉田松陰に対して、

「自分のとりえは、蓮如上人の白骨の御文章が暗誦できます」

と語る場面もあります。



おそらく、葬儀で一番多く唱和されるのも、この『白骨の御文章』でありましょう。


「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて

 夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」


という一節は、一度は耳にされたことがあるでしょう。



次回から、この『白骨の御文章』を少しずつお話ししていきたいと思います。


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