幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


自著『第3の幸せ』【60ページ無料プレゼント中】         

知的思考能力の本質

2009-04-10 | 夢幻

世界20ヶ国語に翻訳された「リング」「らせん」の作者、鈴木光司


「たけしのコマ大数学科」にも出演し、ニュース・ゼロ、世界一受けたい授業
などにも選ばれたサイエンスライター、竹内薫の共著


知的思考能力の本質」を読みましたが、なかなか
興味深い内容でした。





ピックアップしてみますと

p16

明治時代に西周(にしあまね)が「科学」という言葉を考えたとき、百科
・・・分科されてばらばらになった学問・・・ととらえて
しまった。
「哲学から出発して枝分かれしてきた」という点では
確かに言い得ていますが、それが科学の本質ではない。
その根っこにある「哲学」が重要なのです。

明治の人たちは西洋から科学を取り入れるとき、おそらく
枝葉だけ見えて根っこが見えなかった。
そして個別の分野の集合体としてとらえたから
「百科の学=科学」という名前がついて、おそらく
いまだにそのままなんです。


科学の根底に、哲学がなければならない、ということでしょうね。
アインシュタインの有名な言葉を思い出します。

「Science without religion is lame,religion without science is blind」

「宗教無き科学は欠陥であり、科学無き宗教は盲目である」
>

を思い出しました。


p36

面白いと思うのは、キリスト教的な、絶対神という概念と
現代の量子力学は世界観が違うことです。
古典物理学は一神教的な世界観が色濃かったのですが、
両氏物理学が出てきてから、それが変わってきた。
実は、東洋的な世界観と量子論的な世界観がすごく似ている
んです。
西洋の量子物理学者はそのことに気づき始めて、
晩年になると、東洋的な宗教に傾倒する人が多いです。


・アインシュタイン
・ボーア
・ハイゼンベルグ
・シュレディンガー
・デビッド・ボーム
などなど、確かに東洋に大変な関心を持ってますね。


p53

『奇跡の脳』という本を翻訳して認識を新たにしました。
この『奇跡の脳』の著者のジル・テイラー博士は脳科学者なのですが、あるとき脳卒中を起こしました。
そしてテイラー博士は脳卒中が起きた時点から自分の頭で
何が起きているかを全部記録したのです。
(中略)
左脳に支障をきたしたので、右半身が動かず、言葉もしゃべれない。
かろうじて電話をかけることができても、ちゃんとした声を
発することができないというのです。
(中略)
それだけではなく、自分の身体の境界線がなくなるとも
言います。
左脳の方向定位連合野というところが出血で侵されたため、
自分の身体の、方向・位置・境界線を認知できなくなり、
あたかも宇宙と一体化したかのように、自分の身体が流体
として流れるような感覚になった。
たとえば、目の前にあるコップを持ったとき、自分の手と
コップの境界線というのを普通は感じますが、それが
消えてしまい、全体的に混ざってしまうそうなのです。

(中略)

左脳は時系列で過去から未来までを整理していますが、
その整理係である左脳が機能しなくなると「時間」という
概念がなくなる。
すると「今」しかなくなるのです。
これはやはり仏教的ですね。
刹那しかないという感じでしょうか。


私、として思い浮かべるのは、結局“肉体”である場合が
多いようです。
しかし、肉体としての私と、私以外の境界はあいまいで、
(両手両足を失っても私は私であり続ける)
左脳の方向定位連合野を損傷するとコップと自分の肉体との
境界線がなくなる、というのは衝撃的ですね。

肉体を越え、脳を越え、心(意識レベルでなく無意識下のもの、
一般に魂といわれるようなもの、仏教でいう阿頼耶識)をイメージさせる内容です。

時間もまたしかり、時間も仏教で教えるまた夢幻なるものなのでしょうか?
これまたアインシュタインの言葉

「現代科学に足らないものを埋め合わせるものがあるとすれば
それは仏教です」

を思い出しました。


浄土真宗親鸞会で仏教を学ぶと考えが偏るとかいう人も
あるようですが、百科の学といわれる科学の根っこに
あるべき哲学、その究極である仏教の真髄を学ぶ
わけですから、これ以上、広く深い見地はないのでは
ないかと思うのです☆

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。