幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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トルストイ「その泡が-----このおれなんだな」(アンナ・カレーニナ)

2009-03-12 | 人生の目的

トルストイ(Толстой, 1828~1910)は、ロシア文学と

政治の両方に大きな影響を与えた、19世紀を代表する小説家の一人

です。

代表作は、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『人生論』など。

平和主義者としても知られています。

そのロシアの大文豪トルストイは、

大学時代から、死の数日前まで膨大な日記を

書き続けました。

その冒頭は次のような言葉でした。

「もし、自分の人生の目的を(人々と共通の有益な目的を)、
 見出せなかったら、ぼくは人間のうちでもっとも
 不幸な男であろう。
 今こそぼくの生活は、ことごとく、この唯一の目的の
 達成のための不断の努力と化するであろう」
 

ときにトルストイ19歳。

燃える思いを感じます。

それにしても、人生の目的が見いだせないと、もっとも不幸な

人間になってしまうのでしょうか?

実は「そうなんです!」


トルストイは、その代表作の1つ『アンナ・カレーニナ』

次のように書いています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「私とはなにものであるか、なんのために私はここにいるのか、

 ということを知らないでは、とても生きていくことはできない。

 (中略)

 無限の時間の中に、無限の物質の中に、無限の空間の中に、

 泡粒のようなひとつの有機体がつくりだされる。

 その泡はしばらくのあいだそのままでいて、

 やがて消えてしまう。

 その泡が-----このおれなんだな」

 (中略)

 それは、この方面における人間の思索が、数世紀にわたる

 苦心の末に到達した、唯一にして最後の結論であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これは、トルストイ自身の分身ともいえる、リョーヴィンの

 セリフです。

 泡粒のたとえは強烈ですね。

 ちなみに、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

「何のために生きるのかと言う確固たる意識がなければ、

 そのまわりにたとえパンの山を積まれても、

 人間は…この地上にとどまるよりは、

 むしろ自殺の道を選ぶに違いない」

 と書いています。

 さらにリョーヴィンは考えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「そうだ、あの婆さんは、火事のとき、梁(はり)が落ちてきて

 けがをしたんで、おれが治療してやったんだっけ。

 あのときは婆さんもなおったけれど、きょうあすでなくても、

 もう十年もすれば、あの婆さんも土の中に埋められてしまって、

 そのあとにはなにひとつ残りゃしないんだ。

 いや、あんなに器用な優しい手つきで穂をたたいている、

 あの赤い縞のスカートをはいたおしゃれな女だって、

 いずれは、埋められてしまって、なにひとつの残りゃしないんだ。

  (中略)

 それに、なにより重大なのは、なにもあの連中ばかりでなくて、

 このおれも土に埋められてしまって、あとにはなにひとつ

 残らないってことだ。

 これはなんのためだろう?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  

若くして名を世界にはせ、トルストイはあり余る財産を手にしました。

しかし死を真面目に見つめた時、地位も名誉も、何の力にもなら
 
ないと気づいたのです。

臨終にも崩れない本当の幸福はどこにあるのか、50歳に近づい

てから、10年間、仕事を中断して探し求めています。

そして、これまで人生論などを書いてきたが、自分は何一つ

わかっていなかったと、有名な『懺悔』を書き著しましたが、そ
 
の中、次のように語っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『東洋の寓話を読んで、大きな衝撃を受けた。』

 『これ以上、人間の姿を赤裸々に表した話はない。単なる作り話

  ではなく、誰でも納得のゆく真実だ。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その東洋の寓話こそ、お釈迦様の仏説譬喩経の『人間の実相』の

物語でした……。これは日本でも掛け軸となったり、古くから語
 
り継がれている有名な話です。

この内容については、またの機会に!


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