ぱんだ通信

ぱんだのマークの小児科から

回想録1

2014-10-30 | 医療の話題
当ブログ2000記事の節目です。

医学生,医師としてのこれまでのことを少しずつ振り返ってみます。毎年,卒業生名簿が来るたびにちょっと思い出しますね。医師になって18年目,になりました。医大入学からみると24年目。ちょっとした回想録です。(医学の道を考えている方の参考になれば・・)

1.医学部入学から初期,1・2年生

入学は平成3年(1991年),もう23年半前ですね~,平成初期のバブルがはじけた頃です。
私の学んだ自治医科大学は,無医地区/へき地を中心とした地域医療に従事する医師を育成する目的で作られた大学です。全国から各都道府県2,3名ずつ入学し,一緒に学び,卒後,一斉に出身地に帰って地域医療に従事します。そのため,卒後すぐに即戦力となれるよう,学生の頃から前倒しして学ぶことが多かったと記憶しています。他の医学部のカリキュラムは分かりませんが,自治医大では,1年生前半にどんどん基礎的な学問(生物,物理,科学,数学,英語,ドイツ語,哲学っぽいのや,体育まで・・たくさんあったな)が詰め込まれ,1年生の後半から医学の道へ一気に突入です。(カリキュラム,参考に

まず,1年生の冬から最初の関門「解剖学」が始まりました。人体の構造について,解剖実習を通して学びます。
当時の教授がものすごいオーラを持った方で,後ろに立たれるだけで,緊張が走りました。突然背後から,「うぉい!(低音で),そこに見えるの何だ?あぁ?」って質問が飛んできます。グループのみんな,「誰?答えんの?」って顔を見合わせます。誰か答えられると,ニヤッとしていただけますが,答えられなかったときにはもう大変でした・・今となっては良い想い出です。1コマ90分で70~80コマあったでしょうか。4か月くらい続きました。
このあたりで,自分が医学の道に合っているかどうか,何となく分かると思います。

それと平行して,体を構成する臓器の細胞構造を顕微鏡で学ぶ「組織学」。これは最終試問がグループテストでした。1グループ6人だったかな。各自スライドを渡され,顕微鏡のぞき込んで,どの臓器か,見えるものはなんて構造か,質問が2つ3つきます。グループ全員が答えられたら合格。一人でもダメだとグループ全員で再試となります。再々試,再々々試なんて当たり前でした。これもきつかった・・

ほかには,体の各臓器の細胞の働きを学ぶ「生化学」や,臓器の機能を学ぶ「生理学」,人間を襲う各種病原体を学ぶ「細菌学」や「ウイルス学」「医動物学」,薬の作用を学ぶ「薬理学」,このあたりが,1年生後半から2年生にかけてどんどんやってきます。

3年生になると,各臓器ごとの疾患についての講義が満載となるので,2年生最後のこれらの各試験が第一関門でしたか。無事進級できるかどうか。1,2年生は医学の基礎をたたき込んだ2年間でしたね。

そして,なんといっても,医学書は高い!
ネットはもちろん,コンピュータがまだまだ普及していない時代だったので,情報源は,すべて紙媒体。
ノート取り,コピーが勉強の中心でしたね。

大学時代の前半は遊べる?自由時間が多い?なんて考えていましたが,やっぱり甘くはなかったですね。医学部は科目すべてをクリアしないといけません。イヤだなと思った科目でも,ある程度の勉強は必要でした。


さて,自治医大は全寮制です。
1年から6年生までの600人以上がみんな一つの寮に入ります。1年生は1年生だけのラウンジ(個室が8つ集まっています)で1年間過ごします。2年生になるときに6年生まで5年間住む個室に引越します。今は建て直してきれいな寮になりましたが,当時は古かったです。20期生なので,築20年ですからね・・。
一部屋約5畳。そこに,ベッドと机など入れておしまい。テレビはまだブラウン管でしたから,置いたら一気に狭くなりました。ほか,共用ラウンジに冷蔵庫と衣装ボックスを置いたくらいですね。トイレはラウンジに一つ。お風呂,男子用は大浴場が2つありました。これは広くて結構良かったです。夕方から翌朝までは入れました。洗濯機はラウンジ下にいくつか置いてあってこれも共用でした。
寮食堂もあり,3食提供されていて自由に利用できました。平日昼は,大学の職員食堂など,夜はクラブ活動などで外食が多かったですけどね。自炊している人もいましたね・・
寮は大学敷地内にあり,大学および附属病院まで歩いて約2分の距離です。しかし,これが遠いんですよね,不思議と。特に朝。

家庭教師のアルバイトもやりました。
その頃教えた子たちももう30代か・・どうしてるだろ。

今では駅周辺が整備されて,大学関係者で住居・人口も増え,いろいろな施設ができましたが,最初は何にもないところにできた学校なので,車がないと何もできませんでした。全国から集まるので,ナンバーもいろいろ,全国区でしたね。

携帯電話なし,パソコンもまだほとんど使わない時代でした。
でも困ることはなかったですね。今では考えられないと思います。

テレビでは『振り返れば奴がいる』は全部見ました。(今は主題歌流せないでしょうかね・・いい曲でしたが)
あまりテレビはみませんでしたが,医学ものはみてしまいますね・・
音楽は,B'z,ZARD,ドリカムあたりをよく聴いていましたね。


こうして医学の道に入った最初の2年間が過ぎていきました。
いろいろありましたが,ここまではおおむね順風満帆でしたかね。

つづく。
回想録2
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