科学と宗教の共存

意識の覚醒を通して新たなる領域を書いてみたい。

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理性から愛へと自己拡大を目指して その九

2017-05-12 14:49:11 | 日記
 見せかけの善とホンモノの善

 親切、平等、平和、、これらの言葉を語るのは、悪の手口に使われやすい。善人ボケしていると、知らずに騙されてしまう。これは個人でも国家レベルでも、似ているものだ。
政府が国民目線で各自の家庭にまで入り込んでくるのは、行き過ぎであるが、国民が善人ボケして、問題が起こると、国に解決を求めるのは、却って別の問題をつくってしまう。国を善人だと思うのは、善人ボケであり、却って危険なのである。大切なことは、悪が助長されないように、国民と国家の程よい距離というものがあるということだ。

 今の政府は、親切、平等、平和、、を語りつつ、国が家庭の中にまで入り始めている。マイナンバー制度を始めとして、国の一元管理が進行している。これは悪の侵入を容易にする。悪が人々を誘い込む、洗脳する、囲い込んでいく手口というものは、正に、人々に甘い言葉で善意を装うものだ。

 親切、平等、平和、、これらを使って、国が家庭にまで入り込んで、老後の面倒までも見る。揺りかごから墓場まで、、となったら、これは危険なのである。主人と奴隷の関係に進んでいくからである。これらは見せかけの善であり、安易な道、悪に狙われやすい善なのである。個人レベルでは、気を付けよう、甘い言葉と夜の道。社会や国家レベルでも危険は潜んでいる。
、、、、、

 前段では、見せかけの善、偽りの善を語ったが、ホンモノの善、真実なるものは、親切、平等、平和、、からは出て来ない。これらの言葉そのものが悪いというよりは、それをマイナスの方に利用して安易な道に進むことに問題があるということだ。

 ホンモノは真実生々としている。これが実感されるのは、生命、真実、愛、、こうした意識の領域なのである。
 そもそも人間をどう観るかから始まる。ここの最初の理解、認識が、その後の生き方、人生を規定してしまうと考えてもよいだろう。

 例えば、平等について、結果平等を重視すると、それは安易な道、悪が入りこんでくる道となる。ここには、創意工夫して知恵を磨く、、など努力精進して結果を出すなどの考えはない。悪が支配しやすい環境をつくることになる。

 各自が神の創造として等しく生かされている、、このように平等の意味を捉えて、各自に内在している神の智慧、力を感じ取り、神の痕跡を見出していく中に、生きている知恵、力が出てくるのだと信じて努力すれば、どこかの時点で実感が出てくるようになる。

 いつも、心臓を意識して、イエス様の愛が宿り鼓動している、、この愛が我自身をつくり、維持している、、こう意識して、我を考え、人を考え、語り生活すると、意識の中に変化が起きてくる。
 常に今の中に創造の智慧、力が働いていると自然に実感されるようになったりする。今このように生きて呼吸していることが、正に奇跡の人生なのだと、実感されたりもする。
 各自の中に神の痕跡を見出す作業とは、科学的理性的に考えても全くおかしくはない。 科学の理論などは、対象を客観的に観察分析、実験等を通して出てくるものだ。ここから客観的な知恵が動き出して、結果が出てくるのである。
 仏教では、修行と悟りの道に入ることにより、どこかの時点で、苦を断ち切る智慧、修行を通して解脱する智慧が出てくる。

 これが、イエス様の愛の教えでは、各自の生命の活動の中に、愛が生きて呼吸していると意識し続ける中に、生きている知恵、創造の智慧、力が動き出して、結果が出てくるようになる。どれも求めるものに応じた知恵が働きだすということには変わりがないのである。真剣に努力する中に真なるものが出てくる。
 
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