まったくブログとは関係ない私ごとの話だけど・・・実は名古屋市内のスーパーにテナントとして手芸店を出していたのだが、今月で撤退することになった。まあ、30坪ほどの小さな手芸店で、私が経営し始めてから25年になる。ほとんどは女性の店長任せで、私は月に一二度訪問し、様子を見る程度だった。まあ、楽なものである。もちろん、儲かっていればだけど・・・。
きっかけは私の本業である卸業の顧客先の社長に頼まれたことから始まった。そのお客は瀬戸の本店を始め、名古屋市、豊田市などに7店舗を持つ結構大きな呉服・洋品・手芸のチェーン店の社長だった。
ある日、「おい、マヨ君、実は頼みがある・・・。」、「はあ、何でしょうか」「実は・・・」で始まる話は若かったマヨちゃんには結構重い話であった。(38歳だったかな・・・?)
「実は、血便が出て、てっきり痔だと思い医者へ行ったんだが、どうも大腸がんらしく、手術をしてもせいぜい5年の命らしいわ。」、「えー?そんな・・・」
「それでだが、俺の女房や子供に持っている7つの店の運営は無理だろう。で、順々に店をたたんで行かなければならんのだ。頼みというのはだな、その中の一つ、●●ストアーの中村店をお前が買ってくれんか?」
というような話だった。
「いや、権利関係は今のままで、要は在庫の買い取り、権利金の譲渡、それと従業員の継続雇用をしてもらえばそれでいい。俺はなんとかすべてを損しないよう撤退したいだけだから・・・。」
話はそれほど難しいことはなかったが、そのスーパーは当時開店10週年を迎え、改装オープンの予定だった。テナントもそれにしたがって場所変えも含め、改装をしなければならず、その店としても撤退するチャンスでもあったが、店ごと売却したほうが損が少ないという判断だったようだ。
「わかりました。なんとかやってみます。」と、私。それほど混乱もなく私がその店の運営を任され、きっちり5年後、その社長は亡くなられた。上手に店を撤退され、本店のみを残し、あの世に逝かれた。まことに偉大な方だった。
それから25年。早いものである。だが、その間、世の中は急激に変化し、当時結構繁盛していたスーパーも他社との競合に苦戦し、●●ストアーは投資ファンドに売却され、さらに二年ほど前には和歌山の食品スーパーに転売される。
私の店もなんとかやってきたが、その食品スーパーに変わってから売り上げは急降下。こちらの運営にももちろん問題はあったが、やはり、そのスーパーも都会のスーパー運営のノウハウが不足しているようで、私の店の売り上げの増える見込みはまったくなくなってしまった。今年の正月に店に行ったところ、店長から、「私も65歳になりました。社長さんにこれ以上ご迷惑をかけたくないので、もう閉店されたらどうですか?」と言われてしまった。
確かにここ数年間は赤字で、今後も利益が出る可能性はないだろう。社員としても辛かったようである。
テナントの撤退はそれほど簡単ではない。撤退する半年前に申請し、退店する場合に原状復帰をしなければならない。つまり、撤退費用は結構かかるのだ。
現在は閉店売出し中で、在庫はいくらも残っていない。撤退費用や従業員の退職金を考えるとやや気が重いが、赤字の店がなくなるのだから長い目で見ればやむをえまい。
いずれにしても25年前と世の中は変わってしまったな・・・現在の主婦は手芸や編み物などほとんどしなくなり、仮に買うにしても100円ショップで間に合わせるようだ。もちろん手芸の店といっても売り上げの大半は婦人服だったわけで、ここ数年の低価格化で徐々に売り上げが減少してきたのだ。家賃は下がらない中で、この種の商売はもう限界である。
まあ、いつかはこのような日が来ることはわかっていたが、さみしいような肩の荷が下りたような・・・ちょっと複雑な心境である。
それにしても、飲食業も厳しいけど、物品販売はもっと難しい。たくさんの小売屋さんがあるけど、みんなよく頑張ってるな、僕には向いていなかったようだ、いまさら気付いても遅いけど。
きっかけは私の本業である卸業の顧客先の社長に頼まれたことから始まった。そのお客は瀬戸の本店を始め、名古屋市、豊田市などに7店舗を持つ結構大きな呉服・洋品・手芸のチェーン店の社長だった。
ある日、「おい、マヨ君、実は頼みがある・・・。」、「はあ、何でしょうか」「実は・・・」で始まる話は若かったマヨちゃんには結構重い話であった。(38歳だったかな・・・?)
「実は、血便が出て、てっきり痔だと思い医者へ行ったんだが、どうも大腸がんらしく、手術をしてもせいぜい5年の命らしいわ。」、「えー?そんな・・・」
「それでだが、俺の女房や子供に持っている7つの店の運営は無理だろう。で、順々に店をたたんで行かなければならんのだ。頼みというのはだな、その中の一つ、●●ストアーの中村店をお前が買ってくれんか?」
というような話だった。
「いや、権利関係は今のままで、要は在庫の買い取り、権利金の譲渡、それと従業員の継続雇用をしてもらえばそれでいい。俺はなんとかすべてを損しないよう撤退したいだけだから・・・。」
話はそれほど難しいことはなかったが、そのスーパーは当時開店10週年を迎え、改装オープンの予定だった。テナントもそれにしたがって場所変えも含め、改装をしなければならず、その店としても撤退するチャンスでもあったが、店ごと売却したほうが損が少ないという判断だったようだ。
「わかりました。なんとかやってみます。」と、私。それほど混乱もなく私がその店の運営を任され、きっちり5年後、その社長は亡くなられた。上手に店を撤退され、本店のみを残し、あの世に逝かれた。まことに偉大な方だった。
それから25年。早いものである。だが、その間、世の中は急激に変化し、当時結構繁盛していたスーパーも他社との競合に苦戦し、●●ストアーは投資ファンドに売却され、さらに二年ほど前には和歌山の食品スーパーに転売される。
私の店もなんとかやってきたが、その食品スーパーに変わってから売り上げは急降下。こちらの運営にももちろん問題はあったが、やはり、そのスーパーも都会のスーパー運営のノウハウが不足しているようで、私の店の売り上げの増える見込みはまったくなくなってしまった。今年の正月に店に行ったところ、店長から、「私も65歳になりました。社長さんにこれ以上ご迷惑をかけたくないので、もう閉店されたらどうですか?」と言われてしまった。
確かにここ数年間は赤字で、今後も利益が出る可能性はないだろう。社員としても辛かったようである。
テナントの撤退はそれほど簡単ではない。撤退する半年前に申請し、退店する場合に原状復帰をしなければならない。つまり、撤退費用は結構かかるのだ。
現在は閉店売出し中で、在庫はいくらも残っていない。撤退費用や従業員の退職金を考えるとやや気が重いが、赤字の店がなくなるのだから長い目で見ればやむをえまい。
いずれにしても25年前と世の中は変わってしまったな・・・現在の主婦は手芸や編み物などほとんどしなくなり、仮に買うにしても100円ショップで間に合わせるようだ。もちろん手芸の店といっても売り上げの大半は婦人服だったわけで、ここ数年の低価格化で徐々に売り上げが減少してきたのだ。家賃は下がらない中で、この種の商売はもう限界である。
まあ、いつかはこのような日が来ることはわかっていたが、さみしいような肩の荷が下りたような・・・ちょっと複雑な心境である。
それにしても、飲食業も厳しいけど、物品販売はもっと難しい。たくさんの小売屋さんがあるけど、みんなよく頑張ってるな、僕には向いていなかったようだ、いまさら気付いても遅いけど。
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